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無痛文明論
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | トランスビュー |
発売年月日 | 2003/10/05 |
JAN | 9784901510189 |
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無痛文明論
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商品レビュー
4.1
15件のお客様レビュー
生命倫理的な視点から導入が始まったが、全編通してごく身近な実感に基づきつつ、これまでの哲学の議論を哲学史的すぎない形で踏まえながら、簡潔に論が組み立てられており、好感を持てる哲学者だと感じた。 資本主義さえも飲み込んでしまうペネトレイター(貫通物)としての無痛文明は、人間を自己家...
生命倫理的な視点から導入が始まったが、全編通してごく身近な実感に基づきつつ、これまでの哲学の議論を哲学史的すぎない形で踏まえながら、簡潔に論が組み立てられており、好感を持てる哲学者だと感じた。 資本主義さえも飲み込んでしまうペネトレイター(貫通物)としての無痛文明は、人間を自己家畜化し、自らに反抗する者にさえ、憑依して取り込んでしまう。身体の欲望を満たす代わりに、生命の意志を奪ってしまう無痛文明に対抗するには、やはりバタイユ的なアプローチが有効なようである。絶えずアイデンティティを解体し、無痛文明の熱源に飛び込んで転轍を試み続ける。こうした生き様は、中心軸を持った誠実な生とされる。他者との関わりにおいて自らの醜さが露呈する瞬間こそが、条件付きでない愛の瞬間であり、そこでは真の意味での承認・肯定・祝福が行われるのである。絶対的孤独に由来する存在の光の平等は、私たちに戦いと癒しとをもたらす。これは死の受容をも可能にする。 無痛本流の心地よさに対抗し、戦士として負け続けること。『ハーモニー』や『生殖記』を想起させる良書だったと思う。ところどころオジサン特有のスピリチュアルか?という文面があったとはいえ。
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※このレビューにはネタバレを含みます
これからの世界を考える上でこれまでの世界とは何だったのかという観点でみると面白い。 痛みを避けることにより弊害を受けていいるのだがそれ自体にも気づかない。そんな「無痛文明」から決して逃れられない作者が放つ魂の叫びみたいな本。 現在は変わりつつあるような気もするが世界を「近代の科学」で語り尽くせるという認識に立っているとこの考えに陥るような気がする。「災害」は人類が抑え込める的な記載があるのだが、そもそもその時点で事実誤認があると思う。それ故の「無痛文明」なのだが。
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現代文明は、人びとの「身体の欲望」を満たすことで、みずからの身を切り裂かれるような痛切な痛みによる自己解体を通して「生命のよろこび」を実現しようとする動きを「目隠し」してしまっていると著者は批判します。そのうえで、現代における文明が人びとを巻き込みつつ展開している「無痛奔流」から...
現代文明は、人びとの「身体の欲望」を満たすことで、みずからの身を切り裂かれるような痛切な痛みによる自己解体を通して「生命のよろこび」を実現しようとする動きを「目隠し」してしまっていると著者は批判します。そのうえで、現代における文明が人びとを巻き込みつつ展開している「無痛奔流」から脱却するための困難な戦いへと読者をみちびいていこうとします。 フーコーの「生権力」批判に通じるようなテーマを中心的にあつかっていますが、レヴィナスやドゥルーズ=ガタリ、ニーチェの問題にも通じるような洞察が随所に示されており、しかも著者自身のことばでわかりやすく、情熱的に語っているところに本書の特徴があります。 ただ、「身体の欲望」と「生命のよろこび」を対置し、あるいは「深層アイデンティティ」と「私が私であるための中心軸」を区別する議論の枠組みに、疎外論的な構図から脱却しきれていないような印象を受けてしまいます。むろん著者は、ロマン主義的な自然賛美の立場とみずからの「生命学」の立場を明確に区別しています。とはいうものの、あらかじめこうした対概念が区別されたうえで、両者を混同させてしまうような無痛文明の巧妙な装置が現に自己のうちにも働いていることを指摘し、だからこそ無痛奔流の流れに巻き込まれつつそれに抵抗するような戦いが必要だと訴えるという、疎外論に典型的なしかたで議論が展開されていることは否定できないように思います。 端的にいえば、まだ絶望が足りないのではないかという疑問を、どうしても拭うことができずにいます。
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