商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2000/10/30 |
| JAN | 9784000004497 |
- 書籍
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偶然性・アイロニー・連帯
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偶然性・アイロニー・連帯
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ローティ→肩甲骨のおののき 以下松岡正剛引用 リチャード・ローティの両親は戦前の共産党員だった。両親はいっときトロツキー(130夜)の秘書を匿ったことがあった。少年ローティはそういう両親が誇らしかった。その両親の影響らしいのだが、ローティは12歳のころには、「人間としての大事なことは、社会的不正義との闘いに自分をささげることである」という仄かな確信をもつようになった。 しかし他方では、12歳のローティはニュージャージー北西部の山に自生する野生の蘭の美しさにとても惹かれていた。その途方もなく官能的な美しさには「うしろめたさ」を感じるほどだった。 では、「トロツキーと野生の蘭」をともに抱くにはどうしたらいいのか ◯戦後の学問そのものの方向性に根差した独創的思考 言語はゲームに過ぎないことを喝破したリトゲンシュタイン、アプリオリなんてないことを証明したゲーデル、相対性理論のさらにその先科学は人間のものの見方のひとつに過ぎないことこそがその優位性であることに気付かせる物理学、文化人類学の存在論的転回… コスモスからカオスへ を体現する「偶然性」の思考の源流がリチャード•ローティ。 現代美術作家のワイド・ガイトンもおそらくローティーのコンセントを作品化している。コンテンジェンシームーブメント。 偶然性に身を委ねる、とは何かの実践こそがローティ以降の哲学的試行錯誤となっているし、あらゆる分野でローティ的価値観を垣間見る。マイケル・サンデルの「すべては運である」。
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リチャード・ローティ。 本書を読み進める前の彼の印象は、近代以降の真理探究哲学を完全否定したアンチ哲学の哲学者、というか、会話をし続けることが哲学であるというスタンスでやりきったアメリカのおっちゃんというイメージでした。 本書は、三部構成で、タイトルにあるように「偶然性」につい...
リチャード・ローティ。 本書を読み進める前の彼の印象は、近代以降の真理探究哲学を完全否定したアンチ哲学の哲学者、というか、会話をし続けることが哲学であるというスタンスでやりきったアメリカのおっちゃんというイメージでした。 本書は、三部構成で、タイトルにあるように「偶然性」について、「アイロニー」について、「連帯」についてのパートで書かれていますが、正直なところ第一部「偶然性」から読み進めてサッパリなところも多く、納得したとしても、いざメモを取ろうとして、はて何と書き残せばいいやらとなってしまいました。 さいわい併読した、『100分de名著「偶然性・アイロニー・連帯」』(朱喜哲さん)のお陰で本書の全体像とローティ哲学のエッセンスをくみ取ることはできました。 ローティは、「リベラル・アイロニストのあり方」を本書で提示してみせたのですが、対比させている「形而上学者」や「真理」や「コモン・センス」については、とっても鋭く批判しているように感じました。 それぞれにあたる哲学者への痛烈な批評もすごいのですが、取り上げている著述家がフロイトやハイデガー、プルーストやニーチェ、デリダ、ナボコフ、オーウェルといったメンツで、後半につれて文芸批評に斬り込んでいくところ、非常に面白かったです。 個人的には、ナボコフ論での「カスビームの床屋」の提言がグッと来ました。われわれは感情教育で被害者に共感することは学んでいますが、残酷さに無自覚であるという点において、加害者もまたわれわれと同類であることを気づかせてくれる挿話です。 ローティもいうように、「われわれ」を拡張していくことによって、会話を守り、連帯を生んでいくことが、いまの分断された世界や危険なポピュリズムに陥ることを防ぐ術であると納得しました。 たまたま、朱喜哲さんを『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)で知っていたため、私の中で、「ネガティヴ・ケイパビリティ ー 朱喜哲 ー ローティ」とつながって思い読んでみた哲学者でしたが、予想通りの難しさと、魅力的な語りのローティに引き込まれる読書体験でした。 本書とは違いますが、朱喜哲さんによると、ローティの「バザールとクラブ」の比喩が、(「世界と世間」みたいにみえるかもしれませんが、)本書のテーマの一つである「公私について」の重要なたとえとなっているそうなので調べていこうと思っています。
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本書は、公共的な正義・連帯と私的な自己創造を、包括的な哲学観や思想・理論によって統一しようとする「単一の語彙」の放棄を主張する。真理は存在せず、言語・自己・道徳観は、歴史的な「偶然性」により生じた一時的な産物にすぎない。ある時点の語彙を常に疑い、自身の行為が他者に与え得る残酷さを...
本書は、公共的な正義・連帯と私的な自己創造を、包括的な哲学観や思想・理論によって統一しようとする「単一の語彙」の放棄を主張する。真理は存在せず、言語・自己・道徳観は、歴史的な「偶然性」により生じた一時的な産物にすぎない。ある時点の語彙を常に疑い、自身の行為が他者に与え得る残酷さを自覚する「リベラル・アイロニスト」像が提起される。「残酷さ」こそが人間の共通項であり、人間同士の紐帯を生み出し得る。これは、詩的・文学的な営みにより涵養される。以上が本書の概要である。 著者の主張にはいくつかの難点があると考える。まず、「真理の放棄」は相対主義的であり、「リベラル・アイロニスト」像はブルジョワ的かつ自文化中心主義的である。「偶然性」の称揚は、至った結論や権力の正当性を認める根拠にもなり得るため、全体主義やマキャベリズムをも容認しかねない。また、彼の自文化主義的・エスノセントリズム的な立場からは、「リベラル・アイロニスト」が詩的・文学的な営みを通じてエンパシー能力をいくら高めたとて、そこから想像される「残酷さ」は狭い射程に留まるだろう。さらに、道徳観や信仰のみならず、真理の探求可能性や科学的技法までもを軽視・放棄してしまうことは、人類の連帯をむしろ遠ざけるようにも思われる。 しかしながら、「単一の語彙」の放棄は、異なる信念・思想を持つ共同体や個人が会話を継続するためには重要である。ここで、ロバート・ブランダムなどに代表される意味論的推論主義が持つ合理的合意形成の可能性を連帯へのオルタナティブとして挙げたい。会話の継続による意味形成によって、異なる価値観や信念を持ちながらもより広範囲の連帯が実現し得るのではないだろうか。
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