文学を探せ 講談社文芸文庫

坪内祐三(著者)

• 販売会社／発売会社: 講談社
• 発売年月日: 2025/05/12
• JAN: 9784065394809

商品レビュー

2025/06/15

『文学を探せ』は、坪内祐三氏による約10年間にわたって執筆された文学批評エッセイの集成で、現代日本文学の多面性と複雑さを探求する意欲的な著作です。本書は氏の編集者としての経験と深い文学的洞察を基に、中上健次の死がもたらした「理論の崩壊」から始まり、高橋源一郎や室井佑月といった同時代作家の作品分析を通じて、文学とジャーナリズム、現実と虚構の境界線を問い直しています。特に室井佑月の作品については、「心身のフィクション」を創出する独自の文学として評価し、従来の「私小説」概念を拡張する可能性を見出しています。

日本文学における「私小説」の曖昧さと多様性が本書の重要なテーマの一つとなっており、荒木経惟の写真表現を「私小説」の一形態として捉える独創的な視点を提示しています。著者は文学が作家だけでなく、庭師や本屋の店主、編集者、批評家など様々な立場の人々によって形成されることを論じ、「耳の文学」という概念を導入して、朗読や会話を通じた文学享受の形式にも注目しています。これらの考察を通じて、文学の形式やジャンルの多様性と変化を深く掘り下げています。

フランス文学が日本文学に与えた影響についても詳細に分析され、特に「喪失」や「追悼」というテーマが日本の「私小説」や「自己告白」と深く結びついている可能性が指摘されています。ジャン・ジュネ、ミシェル・トゥルニエ、アルベール・カミュ、マルグリット・デュラスなど具体的なフランス作家の作品が、日本の作家の精神性や表現にどのような影響を与えたかが論じられており、海外文学の翻訳がもたらす意味の変容という専門的な視点も含まれています。

著者は「年表」が「文学」となりうる可能性についても独自の考察を展開し、単なる事実の羅列である年表が読み手に感情や物語を喚起させる力を持つことを、新聞の死亡記事や文学年表を例に示しています。また、約半世紀にわたる主要文芸誌の新年号短篇小説を「おせち料理」に例えて年代別に分析し、石川淳から村上春樹まで、日本文学の変遷と特徴を網羅的に検討しています。この通時的・共時的な批評は、文学史における短篇小説の位置づけと文芸誌の役割を明確に示しています。

現代の文学環境に対する批判的視点も本書の特徴であり、特にインターネット書評の質の低下と匿名性による無責任な発言を厳しく批判しています。著者は文学批評のあるべき姿を追求し、「消費される言葉」と「批評される言葉」という概念を用いて、読者と批評家の役割の違いを明確にしています。沢木耕太郎の「血の味」を例に、「純文学」と「ノンフィクション」の境界が曖昧になっている現代文学の傾向についても深く考察しています。

本書は著者の個人的な体験と金銭的苦難を率直に告白する「あとがき」で締めくくられており、文学創作が単なる芸術活動ではなく、生活の基盤の上で成立する「労働」であることを示しています。「文学を探せ」というタイトルには、個人的な苦難と社会への批判という二つの軸が込められており、文学が個人の内面と社会の外側を結びつける機能を持つことが強調されています。全体として、現代日本文学の複雑さと可能性を多角的に探求した、文学批評の優れた成果といえる作品です。