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道元『正法眼蔵』を読む 角川ソフィア文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | KADOKAWA |
| 発売年月日 | 2024/01/23 |
| JAN | 9784044008093 |

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建長寺の宿泊坐禅会で聞いた「仏道を習うとは…」の文言の出典が正法眼蔵と知り、ひとまずとっつきやすそうな本だったので手にとった。曹洞宗の僧侶でアカデミックな背景もしっかりした著者で、しかも自分もまだよくわからないことがあるが、今の自分の解釈はこうというスタンスで、語り口も読みやすく...
建長寺の宿泊坐禅会で聞いた「仏道を習うとは…」の文言の出典が正法眼蔵と知り、ひとまずとっつきやすそうな本だったので手にとった。曹洞宗の僧侶でアカデミックな背景もしっかりした著者で、しかも自分もまだよくわからないことがあるが、今の自分の解釈はこうというスタンスで、語り口も読みやすく嬉しい。 現成公案、有時、三界唯心、夢中説夢、空華、坐禅儀、魔訶般若波羅蜜、仏性、礼拝得髄、山水経、洗浄、菩提薩埵四摂法の各巻を取り上げている。 面白いのが坐禅のノウハウだけでなく、便所の仕方や歯磨きの仕方なども丁寧に説明しているところ。特に最近の中国は楊子が廃れてみな口臭いみたいな話とかは笑える。 道元の考えていることは現在の哲学や科学でも言われていることのように思う。ものの認識の仕方、今の私の中にすべての時があるとかは時間とは脳内で存在するものという考え方とか、山が歩くとか。 この世に存在するあらゆるものは心。人生に成功も失敗もなくそれぞれの日常があるだけ、その世界を仏の世界にする。坐禅をすると何になるのか、「何にもならん!」という澤木老師の回答。 スティーブジョブズのstay hungry, stay foolishの原典的な「潜航密用は愚のごとく魯のごとし、ただよく相続するを主中の主と名づく」が『宝鏡三昧』という禅籍にあることも知った。 ちょっと誤字も多かったので、直感に反する読み方のふりがながあっているのかどうかは不安。 道元の考えにめっちゃ興味が出たのでまた何か読みたい。今自分が好きでやっているお茶にも取り入れるべき考えがいっぱい、といか茶禅一味というのがわかってきた気もする。坐禅もできる範囲で再開する。
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道元『正法眼蔵』の入門書である。言葉遣いは平易であり、著者の文章自体が理解できないということはないだろう。ただし、内容自体は当たり前に仏教そのものであるため、理解が困難な部分も多くある。『正法眼蔵』自体が難解な書物であり、多様な人が多様な解釈をしているようなので、本書もその一つと...
道元『正法眼蔵』の入門書である。言葉遣いは平易であり、著者の文章自体が理解できないということはないだろう。ただし、内容自体は当たり前に仏教そのものであるため、理解が困難な部分も多くある。『正法眼蔵』自体が難解な書物であり、多様な人が多様な解釈をしているようなので、本書もその一つということになる。著者は『正法眼蔵』執筆の動機について『正伝の仏法を言葉に記して、当時の迷える人だけでなく、未来の私たちをも救う道を選んだのではないか』と推測する。さらに、『道元は、言葉によって言い表すことのできない教えを言葉によって示そうとした希な仏祖であり、そうして示された『正法眼蔵』は希な文献』だと評している。 私の理解困難なポイントは次の2点に集約されると思う。 (1)「全ての存在が仏である」というのは「既にあること」なのか、それとも「修行により達成されること」なのか。 (2)そもそも「仏」とは何か。 私には、『この夢のような現実の世界』や『風や雨や水や火』などが、ありのままで仏であるというのなら、仏など無いというのと何も変わらないようにも思う。著者は『日常を仏の世界にしなければならない、理想の世界にしなければならない、というのが道元の教えである』と説明しているので、その部分の理解に必要とされるのが修行(坐禅)であり、論理的思考では到達できないということなのだろう。「仏」という言葉のそもそもの意味は「目覚めた人」であるが、もはやそんな意味合いでもあるまい。論理的思考として、上記の(1)と(2)が分かるように、本書は書かれていない。ヒントは道元の和歌にあるような気もする。 『峯の色 谷の響も皆ながら 吾が釈迦牟尼の声と姿と』 私の理解は前述のように十分とは到底言えないが、この和歌には何か心を打つものを感じる。この本を読んだ一番の収穫だったかもしれない。この和歌に限らず、道元の言葉は総じて、我々の常識的な見方に揺さぶりをかけることを目的としているようにも思える。道元は出家至上主義だと何かで読んでいたが、『まことの師に、出家・在家は関係ない』というのは意外であった。ここに、私のような人間でもわずかな理解が得られる可能性を見ることも許されるだろうか。 西洋哲学との類似点としては、有時とハイデガーの例が有名である。道元は『時すでにこれ有なり、有はみな時なり』と説いている。他にも、唯識の『客観世界は主観の反映である』という発想は、カントの考え方に近いのではないかと感じたり、坐禅において認識の拡大(転換?)のためにあらゆる先行概念の放棄を求められるのは、フッサールのエポケーを連想したりもした。また、布施を『捨てる宝を、知らない人に施すようなものである』として見返りを一切求めない行為だとする理解は、デリダの贈与を思わせるものであった。 著者の説明に明確に違和感を覚えた箇所もあった。著者は『現成公案』について、『〝私(道元)こそが正しい〟という思いはなかった』と推測し、『多様性を認めながら、しかも自分の信じる道を生きていく』ことだという説明をしている。しかし、『正伝の仏法』という認識があれば、これこそが正しいと思って当たり前ではないだろうか。多様性のような考え方はあまりに現代的であり、鎌倉時代の仏教者の誠実さとは両立しないのではないか。著者が『個人的なことですが、〝我こそが正しい〟と主張する人はあまり信じられません』と思うことは理解できるが、それはそれである。仮に著者の解釈が正しいとしたら、道元は、そのような分かりやすい現代的な価値観を提示するために『正法眼蔵』という難解な書物を書いたのかという疑問も生じてしまうように思われる。
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比較的わかりやすい部分 書き示し伝えたかったこと 正法眼蔵とは 多様性を認める―現成公案 存在と時間―有時 全世界は心―三界唯心 人生は夢のようなもの―夢中説夢・空華 坐禅の心得と作法―坐禅儀 般若心経の解説―摩訶般若波羅蜜 仏性とは何か―仏性 まことの師を尊ぶ―礼拝得髄 山が歩...
比較的わかりやすい部分 書き示し伝えたかったこと 正法眼蔵とは 多様性を認める―現成公案 存在と時間―有時 全世界は心―三界唯心 人生は夢のようなもの―夢中説夢・空華 坐禅の心得と作法―坐禅儀 般若心経の解説―摩訶般若波羅蜜 仏性とは何か―仏性 まことの師を尊ぶ―礼拝得髄 山が歩く―山水経 作法これ宗旨―洗浄 修行者の4つの実践―菩提薩〓四摂法 情識では理解困難 正伝の仏法→道元の説き明かし・親切な解説 そう簡単にわかってたまるか 一生の参究 張り合いがないのが仏法 そうだったのか→あたりまえのことだった
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