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道元『正法眼蔵』を読む の商品レビュー

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2024/11/08

道元『正法眼蔵』の入門書である。 言葉遣いは平易であり、著者の文章の意味自体が分からない、ということはないだろう。ただし、書かれている内容自体は、当たり前に「仏教」しているので、理解が困難な部分もあると思う。 『正法眼蔵』自体が難解な書物であり、多様な人が多様な解釈をしているよう...

道元『正法眼蔵』の入門書である。 言葉遣いは平易であり、著者の文章の意味自体が分からない、ということはないだろう。ただし、書かれている内容自体は、当たり前に「仏教」しているので、理解が困難な部分もあると思う。 『正法眼蔵』自体が難解な書物であり、多様な人が多様な解釈をしているようなので、本書の記述もその一つということになる。 著者の解釈は時に現代的である。 『自分の見方、自分の考え方が、必ずしも正しいのではないことを自覚しながら謙虚に、多様性を認めながら、しかも自分の信じる道を生きていく、それが「現成公案」ということであると言えます。』 『人生は「今」「ここ」「このこと」を「生きてゆく」ということの連続であり、そこに懸命になるしかない、それが「有時」ということの実践であると思われます。』 もちろんそれだけでなく、いかにも大乗仏教的な難解な部分もあった。 『この夢のような現実の世界が諸仏そのものであると言います。諸仏というのはほかでもなく、私たちの眼前にある風や雨や水や火がもろもろの仏であるというのです。』 『実は諸仏の世界には、凡(凡人)も聖(聖人)もなく、迷いも悟りもないのです。』 私の理解困難なポイントは以下の2点に集約されると思う。 (1)「全ての存在が仏である」というのは「既にあること」なのか、「修行により達成されること」なのか。 (2)そもそも「仏」とは何か。 ここを理解するのには、おそらく「論理的思考ではだめ」ということなんだろう。そうでなければ、修行(坐禅)が必要な理由が分からないからだ。(2)は、言葉のそもそもの意味は「目覚めた人」である。しかし「全ての存在が仏」ということになると、この意味でないことは明白だ。ヒントは道元の和歌にあるような気もするが、論理的思考として、上記の(1)と(2)が分かるように、本書は書かれていない。 『峯の色 谷の響も皆ながら 吾が釈迦牟尼の声と姿と』

Posted byブクログ

2024/02/22

比較的わかりやすい部分 書き示し伝えたかったこと 正法眼蔵とは 多様性を認める―現成公案 存在と時間―有時 全世界は心―三界唯心 人生は夢のようなもの―夢中説夢・空華 坐禅の心得と作法―坐禅儀 般若心経の解説―摩訶般若波羅蜜 仏性とは何か―仏性 まことの師を尊ぶ―礼拝得髄 山が歩...

比較的わかりやすい部分 書き示し伝えたかったこと 正法眼蔵とは 多様性を認める―現成公案 存在と時間―有時 全世界は心―三界唯心 人生は夢のようなもの―夢中説夢・空華 坐禅の心得と作法―坐禅儀 般若心経の解説―摩訶般若波羅蜜 仏性とは何か―仏性 まことの師を尊ぶ―礼拝得髄 山が歩く―山水経 作法これ宗旨―洗浄 修行者の4つの実践―菩提薩〓四摂法 情識では理解困難 正伝の仏法→道元の説き明かし・親切な解説 そう簡単にわかってたまるか 一生の参究 張り合いがないのが仏法 そうだったのか→あたりまえのことだった

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