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MOCT 「ソ連」を伝えたモスクワ放送の日本人
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 集英社 |
発売年月日 | 2023/11/24 |
JAN | 9784087817478 |
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商品レビュー
3.7
12件のお客様レビュー
モスクワオリンピックのマスコット、ミーシャの絵柄のベリカードが手元にあるので、聴いていたのは1980年前後だろう。日本ではBCLブームが下火になりかけた頃から海外放送を聴き始め、例に漏れずベリカード集めもしていた。 モスクワ放送の受信報告書の提出先は「日ソ友の会」で、ベリカードも...
モスクワオリンピックのマスコット、ミーシャの絵柄のベリカードが手元にあるので、聴いていたのは1980年前後だろう。日本ではBCLブームが下火になりかけた頃から海外放送を聴き始め、例に漏れずベリカード集めもしていた。 モスクワ放送の受信報告書の提出先は「日ソ友の会」で、ベリカードもそこから送られてきた。送り主の表記を見てロシア大嫌いな祖母が「お前はロシアのスパイか」と激怒したのを覚えている。そんなだったので、モスクワ放送のベリカードは後にも先にもそれ1枚。朝鮮中央放送(北朝鮮)や北京放送からの郵便には何も言われなかったのが不思議だ。 当時聴いていたモスクワ放送は、朝鮮中央放送の強烈さとは裏腹に、プロパガンダ色はあまり感じず「ミッドナイト・イン・モスコー」のような西洋的でポップな番組の印象が強かった。本書を読んで、そうした日本人にも親しみやすい番組作りに奔走された方の、苦労や努力があったことがよくわかった。 本書で紹介される何人もの、モスクワ放送の日本語放送に関わられた方は、それぞれの事情や意図があってソ連・ロシアに渡られ、彼の国の現状を日本に伝える使命感や責任感に駆られ、志をあるいは果たせずに帰国したり、三者三様の人生を送られていて、それらを丹念に追いかけた力作で非常に読み応えがあった。 皆が皆、共産主義に傾倒したわけでもなく、文化的な共鳴を覚えた人もいて、政治思想的に反感を覚えても、国ごと否定しなくても良いのだということを、放送を通して伝えようとしてくれていたのだ。 冷戦が終わり共産主義体制が崩壊してからもなお、ロシアはソ連の影を引きずり、西側諸国から敵視、あるいは敬遠されている。多くの国が日本向け放送を廃止して、いま続けているのは必ずしも日本に友好的でない国が中心だ。北朝鮮、中国、韓国。イラン、ベトナム、台湾、タイ、インドネシア、モンゴルは例外か。ロシアも停波して、インターネットで「ラジオ・スプートニク」として継続していたが、それも休止したのは本書にある通り。プロパガンダ、そして投資を引き出す対象として、この国の魅力がなくなってきたことの証左か。
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戦後、モスクワ放送から日本に向けてラジオでソ連のことを伝えた日本人らのルポルタージュ。自ら越境した人、捕虜から伝える側に入った人など様々。戦後から冷戦時代のことについては概ね口が重いなあという印象だった。話せないというより話したくないことが多いのではと感じた。最後にロシアに関わっ...
戦後、モスクワ放送から日本に向けてラジオでソ連のことを伝えた日本人らのルポルタージュ。自ら越境した人、捕虜から伝える側に入った人など様々。戦後から冷戦時代のことについては概ね口が重いなあという印象だった。話せないというより話したくないことが多いのではと感じた。最後にロシアに関わった人の思いは、“ロシアを急がせないでほしい もう少し待ってほしい ロシアの人にもいずれ声を上げる人が出てくるから““互いにもっと好かれる国になりますように“など。葛藤も痛いほどにわかるが、今も命が失われていることを考えると受け入れるのは難しいと思った。
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※このレビューにはネタバレを含みます
自分がロシアと関わりを持ったころは「モスクワ放送」、極東に足繁く通ってた90年代は「Voice of Russia」、しばらく離れていて、2012年からまた関わり出したら、2014年に「ラジオ・スプートニク」に名称変更。そして今やインターネット放送からサイト情報へ。「声」として聴くことは叶わない。 2012-15年の間だったか、その後か、スプートニクのTさんから取材を受けたこともあったなあ。そうか、モスクワ放送から脈々と繋がる歴史の上に、スプートニクもあるのだなと、本書を読んで改めて思った。 先の戦争中、そして戦後と、世界初の社会主義国家としてのプロパガンダの意は多分に大きかったと思うが、そこで働く現場の人間の思いはどうだったか? 何人もの日本人が業務を担い、日本に向けてニュースを届けてきた。それら人物に焦点を当てて、ロシアの今昔および、報道の変遷、在り方そのものを問い直すかのような内容になっていて、非常に読み応えある。 個人的には、なんと言っても1991年8月のクーデターの様子、その後のソ連崩壊の時代だ。 91年8月、直接「モスクワ放送」を聴いていたわけではないが、「ゴルビー拉致監禁」「クーデター」の報道は職場にいて騒然としたもの。その年の9月からロシア入りを予定していた身としては、ひょっとしたら自分の人生が変わるなと思った瞬間だった。 「初日は国家非常事態委員会の言う通りの放送。2日目に中立になり、3日目は(クーデターに対抗する)民主派の動きを伝える内容に変わっていった」 意外と早く事態は収拾したと記憶していたが、現地も、そして報道機関も冷静に対応してた様子が本書にも綴られている。 ロシア入りは2週間の遅れで実行され、その後1年、ロシアで暮すことに。なので、当時、インターネットも、電話ですらもタイムリーに利用できない時代だったので、12月のゴルバチョフの辞任表明、ソ連崩壊のニュースは、逆に現地に居て、意外と平穏というか、日常が地続きだった印象がある。 サンクトペテルブルク(当時レニングラード)の街に、妙な恰好した宗教団体がドンちゃんやりながら練り歩いていた姿をよく見かけたが、オウム真理教がモスクワ放送の放送枠を買いにきてたりもしたんだと、今さらながらに驚いている。 「1992年10月に教団独特の黄色い服装をした4人の信者が訪れたことを語り、 「当時、日本向けに(毎日)4時間の放送をしていた。訪れた人は、この4時間の枠をすべて欲しいと要求してきた。それに見合った相当の補償はすると迫られた。オウム真理教については良からぬうわさを聞いていたので断ったが金額的には魅力のある話だった」(東京本社版1995年4月18日夕刊)」 その後の経済崩壊、2000年前後の内戦危機を乗り越え、その後、2014年のソチ五輪あたりまでは、国力が増し対外的にも開かれ、豊かで強い国家となっていくロシア。逆に、放送局のほうは方向性を失っていく。 「イデオロギーに縛られることはなく自由になったが、それは同時に、放送を運営する国家からすれば、お金をかけてまで宣伝するものはなくなっていたことを意味する。」 ところが、今、また新たな冷戦というか、東西両陣営の鍔迫り合いが激化する中、国家の意図や真意を、正しく伝える意義は増してきているのではないかと思う。エピローグで著者はこう語る。 「中立より大事なのは独立しているってことだと思うのです。独立して、誰のために伝えるかをいつも考える。報道って市民のためですよね」 大切なことだ。
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