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起きられない朝のための短歌入門
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 書肆侃侃房 |
発売年月日 | 2023/11/10 |
JAN | 9784863855830 |
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起きられない朝のための短歌入門
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商品レビュー
4.5
6件のお客様レビュー
「おやすみ短歌」に味を占めて手に取った本。ところがこの本、別に朝をテーマにした短歌を集めた物ではなく、現代歌人2人の対話による、ガチガチの短歌集だった。それでもそれぞれの視点の面白さに引っ張られて最後まで読んでしまいました。片方の歌人の我妻俊樹さんの歌が、並行して読んでいる「海の...
「おやすみ短歌」に味を占めて手に取った本。ところがこの本、別に朝をテーマにした短歌を集めた物ではなく、現代歌人2人の対話による、ガチガチの短歌集だった。それでもそれぞれの視点の面白さに引っ張られて最後まで読んでしまいました。片方の歌人の我妻俊樹さんの歌が、並行して読んでいる「海のうた」に出てきたところがハイライトかな。
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私に知識がないせいで、何を言ってるか半分もわからないけど面白い本だった。笑 ところどころわかるところがあって、特に作りかたのくだりが興味深かったな。こんなふうに作るのか、と思えて。 推敲の時に、単語を「線路」から「道路」「レール」とかに換えてるうちは同じで、「へちま」とかに換え始...
私に知識がないせいで、何を言ってるか半分もわからないけど面白い本だった。笑 ところどころわかるところがあって、特に作りかたのくだりが興味深かったな。こんなふうに作るのか、と思えて。 推敲の時に、単語を「線路」から「道路」「レール」とかに換えてるうちは同じで、「へちま」とかに換え始めると面白いときもあるとか。 助詞とか名詞がどちらが良いか迷う時は、一旦寝かせたり。自分の中から短歌を長芋みたいにうまく掘り出せた、という例えも興味深かった。体型と服が違うように、その人に合う定型の型がある、とか。 それ以外のところはおおむね置いてきぼりだったけれど、最初に言った通り私がついていけないだけで楽しそうな雰囲気があって、面白いなと思った。もっと短歌に詳しくなってから読み直してみたい。 全然詳しくないのだけれど、佐藤佐太郎さんと堂園昌彦さんが好きかも、と思った。 P154 花と灰混ぜて三和土にぶち撒けて夏に繋がる道を隠せり 堂園昌彦 P144,148,150のこの歌とその解説も好き。 秋分の日の電車にて床にさす光とともに運ばれて行く 佐藤佐太郎 散らばりしぎんなんを見し かちかちとわれは犬歯の鳴るをしづめし 葛原妙子 女なること忘れをりしが夏たけて鯉魚(りぎょ)たり夢に濃きやみを泳(ゆ)く 馬場あき子
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歌人ふたりが短歌を作ることと読むことについて徹底的に語り合った対談集。 まえがきの〆に書かれた「定型とは言葉を抑圧する仕組みである一方で、どんな言葉にも居場所をあたえる大義名分でもある」がこの本全体の要約になっていると思う。なぜ短歌なのか、短歌でできること、短歌にしかできない...
歌人ふたりが短歌を作ることと読むことについて徹底的に語り合った対談集。 まえがきの〆に書かれた「定型とは言葉を抑圧する仕組みである一方で、どんな言葉にも居場所をあたえる大義名分でもある」がこの本全体の要約になっていると思う。なぜ短歌なのか、短歌でできること、短歌にしかできないこととは何なのか。 この二人の実作を知らないので(巻末の二十首はもちろん先に目を通した)第一章は少し話が見えづらいところもあったけれど、やはり作るにしても批評するにしても穂村弘の影響から逃れられない世代の話が共感できた。読者としても新世代の人の歌集を読んでいて常に穂村さんの影がちらつくのはいかんともしがたい。ニューウェーブ短歌の「ステキ」な語彙とある種の限界の話も興味深かったし、もっと掘り下げてほしかった。 一首鑑賞を通じてどんなふうに読む人たちなのかがわかったところでの第二章以降は、短歌に限らず己と言葉との距離、あるいは世界と言葉と自分との距離の話として二人の会話にとても入り込んで読めた。定型というのは言葉と、そしてそこに込めているつもりの思考を自分から切り離して見るための手段だろう。「歌で起きてることのすべてに作者が気づいているわけじゃない」というのはどんな創作物にも当てはまり、だからこそ批評の仕事がある。読むというのはそれだけで一つの翻訳作業、だけれども「入れ替えられてしまう中身の外側に、しぶとく生き延びていく容れ物があるはずだ」。短歌という詩形そのものがこの「生き延びていく容れ物」なのだと思う。
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