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あの胸が岬のように遠かった 河野裕子との青春
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 新潮社 |
| 発売年月日 | 2022/03/24 |
| JAN | 9784103326427 |
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あの胸が岬のように遠かった
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商品レビュー
4.2
16件のお客様レビュー
人生の選択における納得と矜持
本書は、歌人にして細胞生物学者である著者永田和弘が、同じ歌人で、病没するまで38年間夫婦として連れ添った河野裕子との主に出会いから結婚に至るまでのおよそ5年にわたる愛と青春の日々を、裕子が遺していた日記と互いに宛てた手紙や著者の記憶をもとに辿り、折々に二人が詠んだ歌を織り込みなが...
本書は、歌人にして細胞生物学者である著者永田和弘が、同じ歌人で、病没するまで38年間夫婦として連れ添った河野裕子との主に出会いから結婚に至るまでのおよそ5年にわたる愛と青春の日々を、裕子が遺していた日記と互いに宛てた手紙や著者の記憶をもとに辿り、折々に二人が詠んだ歌を織り込みながら、赤裸々に綴った回想録であり、著者の言葉を借りれば二人の青春記である。本書のタイトルは、著者が裕子との熱愛の初期に詠んだ「あの胸が岬のように遠かった。畜生!いつまでおれの少年」という短歌の上句からとられたものである。この歌は、著者の解説によれば、裕子の胸になかなか「手を伸ばせない自らの少年性の口惜しさを嘆く歌」といい、心身ともに初心な二人の恋愛模様を象徴する一首として援用されたものであろう。しかし、純粋で一途な二人の恋愛は、自らの繊細で研ぎ澄まされた感受性や横溢する誠実さ故に、また立ちはだかる現実の壁を前に、その後起伏の激しい波瀾に富んだ道のりを歩むことになる。そのただ中でありのままの心情を吐露した裕子の日記と永田に宛てた手紙はとりわけ、時に甘やかに時に苦く切なく読者の胸を打つ。最後の、不様で悔いだらけの青春と言いながら、「このようにしか生きられなかった」という二人の述懐は、もとより人生の選択における後悔や諦念ではなく、納得と矜持であろう。
fugyogyo
想外に幼少期の回顧録から始まり、あらまあ熱烈なこと、と読み進め、終盤はそれ読者たち知っていいの!?と動揺しきりでした。先にお子さんが奥様の評伝書いてる以上ある程度もういいかなってのはあったんだろうけども。さすがずっと歌に己の心を込めてきた人たちだ。
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友人から勧められた本ですが、短歌という素材になかなか気持ちが乗らず放っておきました。まあ、高齢の母親の唯一の楽しみが短歌なので次の帰省の話材にでもしようかと思い、やっと開いた次第です。でもその瞬間から引き込まれるように読破です。雨宿りで入ったカフェで一気読み。雨が上がって夜になっ...
友人から勧められた本ですが、短歌という素材になかなか気持ちが乗らず放っておきました。まあ、高齢の母親の唯一の楽しみが短歌なので次の帰省の話材にでもしようかと思い、やっと開いた次第です。でもその瞬間から引き込まれるように読破です。雨宿りで入ったカフェで一気読み。雨が上がって夜になっていました。歌人夫婦の青春の日々を妻の日記と著者の日記いうプライベート、さらにはお互いの作品として発表した短歌の数々、そして著者の思い出から構成される生々しい心の動きが剥き出しで露出されます。人の日記を読むことは禁断の行為のように感じてしまいますが著者自身が妻の死後に初めて読む動揺もこちら側にシンクロしてきて、かなり艶かしい気持ちになります。日記の記述対象がお互いであり、それが三者関係からの二者関係への移行というプロセスも含め、見ちゃいけないものを見ている気分になりました。ただ、お互いの心の振幅が、短歌というパブリックな表現に昇華されていることと、童貞と処女のピュアな絡み合いということ、あるいは現時点でもイノセントな著者の子供っぽさが、エロチックとは違う気持ちを喚起します。自分には、こういう恋愛に憧れていた時代があったことをなんとなく思い出し、それは団塊の世代が獲得した男女関係なのだとも思いました。この二人の恋には短歌という表現は絶対必要であり、そもそもの短歌の成り立ちに近いものではないのでしょうか?極プライベートを超シンボリックに定型化する短歌、その芸術への感応力は心の問題にどれだけデリケートか、という測定なのかも。自分、これから短歌、どれだけ楽しめるのかな…
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