- 中古
- 書籍
- 書籍
蛇の言葉を話した男
定価 ¥3,960
2,255円 定価より1,705円(43%)おトク
獲得ポイント20P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2021/06/26 |
JAN | 9784309208275 |
- 書籍
- 書籍
蛇の言葉を話した男
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
蛇の言葉を話した男
¥2,255
在庫なし
商品レビュー
4.4
22件のお客様レビュー
どこにも行けない、滅ぶしか道が無い者たちの物語。エストニアを舞台としたファンタジー小説であり、時代についての言及はされていないものの、キリスト教が広がり始めていることから中世くらいのイメージが立ち現れる。語り手であるレーメットは森に住まう者の一員であり、蛇の言葉を使うことができる...
どこにも行けない、滅ぶしか道が無い者たちの物語。エストニアを舞台としたファンタジー小説であり、時代についての言及はされていないものの、キリスト教が広がり始めていることから中世くらいのイメージが立ち現れる。語り手であるレーメットは森に住まう者の一員であり、蛇の言葉を使うことができる。蛇の言葉は動物との対話を可能とし、従わせることで森から恩恵を授かれる便利な技術だ。しかし今この言葉を使う者はほとんどいない。みんな蛇の言葉を忘れてしまい、そこに秘められた力についての憧憬も薄れてしまっている。 森の近くには村があり、西洋から持ち込まれたキリスト教によって急速に近代化が進みつつあった。森の住人たちの中にもちらほらとそちらの生活に移行する者が現れ始め、森と人間たちの関係は変化し、その流れを止めることは誰にもできない。語り手のレーメット自身にもそれは同様だ。 この小説は何かを変えようとすることを描いた物語ではない。 何かを受け入れる物語でもない。 ただ、そのような避けられない流れがあったこと。いまなおそれは流れ続けていること。そのことをファンタジーという装置を使い、伝えようとした小説なのだと思う。 語り手のレーメットは馴染んだ森での生活から離れようとする気はなく、畑を耕したり、パンを食べたり、馬の糞についてだらだらしゃべっている村の生活のことを心底バカバカしいと思っている。一方で、村人たちはキリスト教の教えに従い、騎士に憧れたりしながら森人たちのことを軽く軽蔑している。双方に受け入れることは無く、双方に自分たちの方に賢さが備わっていると思っているようだ。 つまり、語り手であるレーメットの視点に立ちながら話は進んでいくものの、時代に取り残された者(=レーメットたち)の生活を理想化するわけではなく、かといって村人たちの善良さを強調するわけでもない。それが本書をより深みのあるものにしている。ここで描かれているのは双方に知恵があり、双方に愚かだということなのだ。 読みながら思い出したのはデヴィッド・グレーバーの『万物の黎明』で、あの本に書かれていたように、森の住人たちには森の住人たちなりの理論があり、それは西洋で形作られた考え方と優劣を付けられるようなものではない。だからこの物語では、森の中にいる邪悪な存在のこともちゃんと描くし、騎士という西洋および戦の象徴である人たちのことも優劣無しで描く。価値観をどこかに据え置こうとはしない。見せたいのは、感じ取ってほしいのは歴史であり、であるがゆえに全体の視点はフラットだ。 物語はときにゆるやかに、ときに激烈に進行する。それまで何行もかけてレーメットの気持ちを描写していたかと思えば、次の行では突然彼にとっての大事な人がぼろきれのように死に、ただの肉と化す。そのテンポは独特で、平静でありながらイメージが豊潤なためドライブ感が強い。エストニアの歴史や近代化がたどった流れを風刺しているようなので、そのすべてを捉えきることは(解説を見るまで)できなかったけれど、何より「おとぎ話」としての、つまり虚構としての強靭さに惹きつけられる。 これは悲劇であり喜劇だ。 どこかで違っていれば別の可能性があったはずなのに、というレーメットの言葉は近代化によって失われた数々の文化に対する哀愁と言えるだろう。だがそこで彼は必要以上に悲観に暮れることをしない。もはやすべては過ぎ去ったことであり、いまさら変えようも無いことなのだと諦念を抱いてそこで終わり。近代化によって形成された社会と、祖先からの知恵を受け継ぎ守られてきた社会。双方に価値があり、双方に知恵がある。それは逆説的に双方に価値は無く、双方に愚かなのだと言い換えることが可能なのだ。 一人称フェチとしては、主人公のフラットでありながらフリースタイルのように次々と言葉を繰り出し、イメージを想起させる”濃い”語りが好きだった。なおかつ語り手を「ヒーロー」とすることはなく、愚かさを抱えた人間のひとりとして描いていたところも嗜好に刺さる(それは物語の要請上からくるものではあるが)。 唐突に放り込まれる暴力と、言葉を理解する蛇や熊との対話。村と森との関係性。どれもがファンタジックで素敵な手触りを持ち、しかし一方で、メタファーとして「いま・ここ」にある世界の像をより深く見つめさせる力を持っている。そんな稀有な小説だった。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
・少なくとも五年ぶりくらい読書というものに没頭できた。感謝。 ・動物と人間は今よりもっと近いものだったかもしれない。 ・森を捨てていった人たちに感覚が近い私だから、本の世界にいたらなんて前時代的なことを、非合理的なことを、古臭くてださいことをと主人公のことを思ってしまうと思う。知らないものや洗練されたものに憧れるけれど、どちらがいいかはその人次第。自分が古臭いと思うものを馬鹿にしないように。そこには豊かな文化があるかもしれない。私よりも敬意を払うべきものかもしれない。誰がどんな選択をしようがその人の自由だけれど、その評価はその人がその人自身に下せばいいものであり、外野がとやかく言うことではない。人に影響力を与えようとすると滑稽なことになるかもしれないよ。争いになるかもしれないよ。
Posted by
ぼくは眠りの中を泳いだ。眠りは波のように僕をあやし、ほとんど手で触れられるようだった。眠りは苔のように柔らかく、同時に、砂のように指の間に入り込んできた。 引き込まれて一気に読んだ
Posted by