- 中古
- 書籍
- 書籍
土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎
定価 ¥1,870
1,100円 定価より770円(41%)おトク
獲得ポイント10P
在庫あり
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 晶文社 |
発売年月日 | 2021/04/24 |
JAN | 9784794972613 |
- 書籍
- 書籍
土偶を読む
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
土偶を読む
¥1,100
在庫あり
商品レビュー
4
63件のお客様レビュー
白銀比は1:1.41(ルート2)で構成される比率で、日本では「大和比」とも呼ばれ、日本人が最も好む縦横比ともいわれている。白銀比は法隆寺の金堂や五重塔、あるいは伊勢神宮のけんちくなどにも用いられており、全体の景観に独特の安定感を与えている。身近なところでは、コピー用紙やノートで用...
白銀比は1:1.41(ルート2)で構成される比率で、日本では「大和比」とも呼ばれ、日本人が最も好む縦横比ともいわれている。白銀比は法隆寺の金堂や五重塔、あるいは伊勢神宮のけんちくなどにも用いられており、全体の景観に独特の安定感を与えている。身近なところでは、コピー用紙やノートで用いられるA判やB判も縦横が白銀比である。あるいはドラえもん、アンパンマン、キティちゃん、トトロなど、日本人に馴染みのあるキャラクターも縦横がほぼ白銀比になっている。なお、西洋では1:1.61の「黄金比」がより好まれると言われる。
Posted by
(01) 土偶は読み物だろうか,という疑問が浮かぶ.「読む」ことも比喩であって,著者はイコノロジーの適用を読むこととしている.いわゆる絵ときであるが,ある特定の時代の西洋絵画のように,ほぼ明確になっている年代や作者から系譜をたどり,編年として象徴体系を細密に描くことができる範疇は...
(01) 土偶は読み物だろうか,という疑問が浮かぶ.「読む」ことも比喩であって,著者はイコノロジーの適用を読むこととしている.いわゆる絵ときであるが,ある特定の時代の西洋絵画のように,ほぼ明確になっている年代や作者から系譜をたどり,編年として象徴体系を細密に描くことができる範疇はあるだろう.先史時代の土偶にそれは可能であるのだろうか.可読な文献記録のない時代の断片のような図像史料として土偶を「読む」試み(*02)が本書である.しかし,既に手厳しく批判されているように,この試みにあたって,アカデミックに既に決定されつつある編年を参照する労を省き,ほぼ感性のみで読み解こうという姿は危うい.その危うさをスリルとして,あるいは与太話(*03)として楽しむこともできなくはない. (02) 当時の植生あるいは貝類の生態が,土偶が示す図像に並行して語られていく.トチノキ,クリ,イネ,ヒエ,オニグルミ,サトイモなど,野生から栽培までグラデーションのある食用植物を土偶の主に頭部とされる一面に類似を見出していく.また,ハマグリ,イタボガキなどの貝類をモチーフにした土偶があると断定していく.その断言は,不気味なぐらいに虚しく響いている.アナロジーが状況証拠であることを説きながらも,その一方で圧のある主張などの矛盾を見ていく作業は楽しいものになるかもしれない. (03) 「インストール」という比喩も散見される.縄文時代の野生の思考,いわば縄文脳をインストールして,当時の遺物である土偶を眺め,現在の自然環境を観察し,類似を発見するという方法を採用している.土偶には,言うまでもなく魔力がある.その魔力が導くさまざまな精霊を著者は自らに憑依させているとも言える.「インストール」という語の珍妙な響きは,オカルティックであり,縄文にも土偶にも縛られない何かが,著者にこの本を,半ば自動筆記として書かせているようにも感じられる.
Posted by
非常に面白く読んだ。 それなりに形態学と考古学てき事実を組み合わせ、学際研究の嚆矢かと思われたのだが、、、、 本書を読む方は、これに対する批判書である「土偶を読むを読む」も併せて読まれることを結構強くお勧めします。 本書において考古学的見地を勘案しているように主張されていることが...
非常に面白く読んだ。 それなりに形態学と考古学てき事実を組み合わせ、学際研究の嚆矢かと思われたのだが、、、、 本書を読む方は、これに対する批判書である「土偶を読むを読む」も併せて読まれることを結構強くお勧めします。 本書において考古学的見地を勘案しているように主張されていることが、いかに不十分であるかということ、土偶の編年的形態推移がいかに勘案されていないかということがよくわかります。 両方読み合せると、本書はアーティストによる主観の域を出ず、研究者としての取り組み方としては大変問題があるように思えました。
Posted by