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キム 光文社古典新訳文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 光文社 |
| 発売年月日 | 2020/12/09 |
| JAN | 9784334754365 |
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キム
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商品レビュー
3.6
7件のお客様レビュー
キプリング、ガンダーラ美術コレクションの文脈で出てきた気がして読んだんだけど、父がラホール美術館館長だったことしかわかんなかったな、けど普通に近代の冒険譚(フィクションだけど)としておもしろかった! サイードで引用たくさんしてたの、そういえばそうかも。全然その時キム知らなかったか...
キプリング、ガンダーラ美術コレクションの文脈で出てきた気がして読んだんだけど、父がラホール美術館館長だったことしかわかんなかったな、けど普通に近代の冒険譚(フィクションだけど)としておもしろかった! サイードで引用たくさんしてたの、そういえばそうかも。全然その時キム知らなかったから、よくわかんなかったけど。そっちも読み返したいな
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アレイスター・クロウリーがこの作品を重要な副読本として挙げたことは、この物語が持つ深層的な精神的・神秘的次元を示唆しています。 物語の中心には、2つの探求が交錯しています。白人でありながらインドの街頭で育った少年キムと、「河」を探し求めるチベット僧ラマの旅です。 ラマの探し求...
アレイスター・クロウリーがこの作品を重要な副読本として挙げたことは、この物語が持つ深層的な精神的・神秘的次元を示唆しています。 物語の中心には、2つの探求が交錯しています。白人でありながらインドの街頭で育った少年キムと、「河」を探し求めるチベット僧ラマの旅です。 ラマの探し求める「河」とは、仏陀が矢を射た場所から湧き出るという神聖な水であり、解脱をもたらすものとされています。 一方キムは、イギリスのスパイ組織「第七連隊」が展開する「グレート・ゲーム」―ロシアとの情報戦―に参加していきます。 一見すると相反するこの2つの探求―世俗的な情報戦と霊的な悟りの追求―は、物語の進行とともに不思議な調和を見せていきます。 キムの最も特異な資質は、その「変容の才能」にあります。彼は状況に応じてヒンドゥー教徒、イスラム教徒、仏教徒など、さまざまな宗教的・民族的アイデンティティを自在に演じ分けます。この能力は表面的には優れたスパイとしての適性を示すものですが、より深い次元では東洋的な「無我」の体現として読むことができます。 重要なのは、キムのこの変容能力が単なる演技や表面的な模倣ではなく、彼の存在の本質に根ざしていることです。彼はある意味で「誰でもない者」です―白人でもなく、インド人でもなく、どの宗教にも完全には属さない存在。この「空白性」こそが、彼に「誰にでもなれる」という逆説的な力を与えています。 これは仏教的な「空」の概念や、魔術的伝統における「真の自己」の探求と深く共鳴しています。クロウリーの魔術体系の中心概念である「真の意志」の発見は、社会的に与えられたアイデンティティを超越し、自己の本質的な存在を見出すプロセスです。キムの旅は、まさにこの「真の意志」の発見の旅として読むことができるのです。 キムの変容能力はまた、彼の意識の特異な状態とも結びついています。物語の中で何度か描かれる、キムが周囲の世界から「離脱」し、自分の内面に沈潜する場面は、瞑想的な意識状態を想起させます。特に印象的なのは、ラマから学んだ「観察の術」を用いる場面です。これは単なる記憶術ではなく、意識を変容させ、通常とは異なる知覚モードに入り込む技術として描かれています。 キムは物語を通して、二つの異なる学びの過程を経験します。一つは、セント・ザビエル校での西洋式教育であり、もう一つはラマから受ける東洋的な智慧の伝授です。この二重の学びは、表面的には対立するように見えますが、キムの内面では次第に統合されていきます。 特にラマとの関係は、伝統的な師弟関係(グル・チェラ)の様相を呈しています。キムは単なる少年の好奇心からではなく、ラマの「チェラ」(弟子)として真摯に師に仕えます。この関係性は、表面的には少年の冒険物語の一要素に過ぎないように見えますが、東洋的な霊的伝統における師弟関係の本質―存在そのものの変容をもたらす場―を描き出しています。 物語のクライマックスにおいて、ラマはついに探し求めていた「河」を見出します。しかしこの「河」は、物理的な水の流れというよりも、意識の特異な状態、霊的体験として描かれています。ラマは「私は河を見た!私は河を見たぞ!」と叫びますが、彼が見たのは通常の意味での川ではありません。 この場面の描写は驚くほど神秘体験に近いものです: 「彼は大いなる光の中にいた―輝かしく、虹色に輝く光の中に。彼の四肢は重さを失い、力が彼の中に、彼の周りに、そして彼を通して流れていた。」 これは単なる比喩的表現を超えた、変性意識状態の直接的な描写として読むことができます。ラマの体験は、仏教的な悟りの状態、あるいは様々な神秘的伝統で語られる「合一」の体験に近いものとして描かれているのです。 同様に印象的なのは、熱病から回復する過程でのキムの体験です。「私は誰なのか」という彼の問いは、単なるアイデンティティの混乱ではなく、東洋的な自己探求の本質的な問いとして響きます。この場面でキムは自分の身体から「抜け出す」経験をしますが、これもまた変性意識状態の古典的な描写と言えるでしょう。
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社命により『百年の孤独』を読んでいるというおびーに対抗してジョセフラドヤード・キプリングの『キム』を読んでみました どのへんが対抗なのかは本好きならすぐわかりますよね ページ数がだいたい一緒とかじゃないですからね( ・`ω・´) はいはい『キム』ね 簡単に言うと、舞台は大英帝...
社命により『百年の孤独』を読んでいるというおびーに対抗してジョセフラドヤード・キプリングの『キム』を読んでみました どのへんが対抗なのかは本好きならすぐわかりますよね ページ数がだいたい一緒とかじゃないですからね( ・`ω・´) はいはい『キム』ね 簡単に言うと、舞台は大英帝国植民地時代のインド、両親を亡くしたアイリッシュ系イギリス人の少年キムはラホールの街でしたたかにそして自由に暮らしていましたが、ある日チベット仏教の老僧と出会い弟子になります 老僧の供として、聖なる川を探す旅に出ることになったキムを待っていたのは、壮大なる冒険の旅でした いやー、面白かったー まぁね、今の時代ちょっと眉をひそめる表現はそこかしこにあるんだけど、それはやっぱりちょっと脇に置いておこう 眉をひそめる時代になったのはひとつ人類の進歩でもあるわけだから、今はちょっと置いておこう なんか毎回書いてる気もするけど、やっぱり何百年も残る物語ってそれなりに面白いのよ 本作はほんともう老僧とキムのガンガンに深まる絆がもうね、尊いのよ キムの自由奔放なキャラクターが、より一層お師匠さまへの敬愛の情を際立たせるのよ なんかもう見習ってほしい 誰とは言わないが見習ってほしい もちろん、ぜんぜん分かんねポカーンってのも多いんだけど、やっぱり古典はいいね〜 次はドイツやで!対抗が続くw
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