1,800円以上の注文で送料無料
ふつう d BOOKS
  • 中古
  • 書籍
  • 書籍
  • 1219-06-29

ふつう d BOOKS

深澤直人(著者)

追加する に追加する

ふつう d BOOKS

定価 ¥2,530

2,200円 定価より330円(13%)おトク

獲得ポイント20P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 ディアンドデパートメント
発売年月日 2020/07/10
JAN 9784903097626

ふつう

¥2,200

商品レビュー

4.4

27件のお客様レビュー

レビューを投稿

みんなの感想まとめ
  • ふつうの価値再発見
  • 日常の美しさ
  • 洗練されたシンプルさ
  • 心地よい時間の過ごし方
  • 深澤直人の視点
  • 日常の小さな喜び
  • スローライフの提案
  • 平均顔説の考察
  • 身近な存在との交流
  • 忙しい生活の中の豊かさ

日常の中に潜む「ふつう」の価値を再発見する本書は、無印良品で知られる深澤直人によるエッセイで、15年間の連載をまとめたものです。美しさや魅力は、シンプルさや平均的なバランスに根ざしているという考え方が中心にあり、特に「平均顔説」にも触れながら、洗練されたふつうを探求しています。読者は、無駄を省いたデザインや日常の小さな喜びに共鳴し、心地よい時間を大切にすることの重要性を感じます。特に、日常の中でのスローな時間の過ごし方や、身近な存在との交流が描かれ、忙しい生活の中での心の豊かさを再確認させてくれます。深澤氏の独自の視点が、ふつうをより深く理解する手助けとなります。

※この内容はAIが作成したものであり、ブックオフ公式オンラインストアの見解や意図を示すものではありません。

2026/07/18

「ふつう」をデザインする、その着眼点について、「ふつう」とは何なのかを考える日々が書かれている。「ふつう」がただ普通なのではなくて、「スーパーノーマル」なところが深澤直人さんの作風で、ふつうを「いいふつう」にするにはどうしたら良いのかが、ただ何となく感じるのではなくてしっかり「わ...

「ふつう」をデザインする、その着眼点について、「ふつう」とは何なのかを考える日々が書かれている。「ふつう」がただ普通なのではなくて、「スーパーノーマル」なところが深澤直人さんの作風で、ふつうを「いいふつう」にするにはどうしたら良いのかが、ただ何となく感じるのではなくてしっかり「わかって」いないと形にはならないのだから、その解像度の高さに震える。どうやって感じて、どうやってその構成要素を理解して、それをカタチに落とし込むのか、もっと知りたいと思った。

Posted by ブクログ

2026/01/28

「ふつう」 ありのままであること。 そこに在ってそこに調和していること。 無意識的なかたち。 「ふつう」と聞くと「良く」も「悪く」も「ふつう」、どちらかというと悪いという語感がありますが、ここで書かれる「ふつう」とは、「より良いふつう」のこと。 「ふつう」であることの洗練さ、...

「ふつう」 ありのままであること。 そこに在ってそこに調和していること。 無意識的なかたち。 「ふつう」と聞くと「良く」も「悪く」も「ふつう」、どちらかというと悪いという語感がありますが、ここで書かれる「ふつう」とは、「より良いふつう」のこと。 「ふつう」であることの洗練さ、手慣れさを追究するデザイナーの日々の視点や思考を楽しく読ませていただきました。 この本に出会ったのは市立の図書館で、膨大な本の中から薄青の布地の装丁がパッと目に入り、すぐに気に入って家の本棚の仲間入りしたのでした。 ふつうに、飾らずにありたい、そんな自分に深く染み入る本でした。

Posted by ブクログ

2025/12/27

「ふつう」とは日常に散らばった点を結んだ線の輪郭のことだ。「ふつうそうだろ」「そんなのふつうじゃない」 「それ、ふつうすぎない?」。誰もがきっとそう思っている、そう感じている、そう捉えている、という暗黙に共有する抽象の輪郭が「ふつう」の原理だと思う。私は、その一見曖昧な抽象の輪郭...

「ふつう」とは日常に散らばった点を結んだ線の輪郭のことだ。「ふつうそうだろ」「そんなのふつうじゃない」 「それ、ふつうすぎない?」。誰もがきっとそう思っている、そう感じている、そう捉えている、という暗黙に共有する抽象の輪郭が「ふつう」の原理だと思う。私は、その一見曖昧な抽象の輪郭を細くはっきりと見据えたい。それはデザインという抽象の輪郭でもある。  自分なりに理解するとアフォーダンスとは、環境が人に提供する価値のことで、その価値は無限であり、人がその価値を途切れずに見いだし続けることを「行為」と定義するのではないかということだ。例えばテーブルに手をついて「よいしょ」と立ち上がるときのその手をつく位置がその状況において見いだされた、あるいはテーブルのその厳密な位置が提供した価値であるということである。その状況が一般的であればあるほどその価値、つまり手をつく位置は似てくるということで、それを別の言い方で「ふつう」ともいうのではないかと思う。会話の中で「そんなときはふつうここに手をつくんじゃない??」とか、「ふつうはそんなところに手をつかないよ」とかいうときの「ふつう」は、  似たような状況や環境下で人がピックアップする価値を表しているのではないかと思う。その状況や環境下で人とものの機能が相互にぴったりとはまって完結したことを「ふつう」というのだ。もちろん、テープルや環境が同じでも、 テーブルの向こうにいる人と口論している状況だと立ち上がるときに手をつく位置が少し異なってくる。恋人が隣にいるときにも異なってくる。つまりものや環境が提供する価値はその状況によっても異なるということで、同じ状況下では同じような価値をピックアップするということである。だから手がつかれた位置やそれによる行為によって、その人の心理が露出するということが理解でき、アフォーダンスは身体的な機能だけでなく行為とセットされた心情を見せる要素になる。  政治にも地方自治にもデザインが必要だ。すべての人が感じ入ることのできる未来のビジョンを具体的に提示できなければ、みんなが間違えた決断をしてしまう。人は「感じていること」と「考えること」とが必ずしも同じではない。 「感じること」は人間の本能だから生態的に言えば皆同じである。しかし考えて出そうとする意見や答えはみんなが感じ取っている素直な感触とは異なる場合があるし、ひとつにはまとまらない。考えや話し合いだけでは誤った決断をしてしまうことがある。被災地の人々はその場の経験から共通に感じ取っているものがある。それはその地の感触であり、その修正を繰り返して抽出されてきたエッセンスである。デザインとは人が共通に感じている真実を明示して同調の基礎を築くことである。考えや意見や話し合いは矛盾し、ぶつかり合い、まとまらない。何が豊かだったかを、そして何が豊かなのかを問い直すのに、今は大切な時かもしれない。  もしかするとこの「ふつう」という概念は、我々デザイナーが暗黙のうちに目指しているキーワードなのかもしれません。「あるべき姿」であり、ユングの言う「集合的無意識」や「元型」にあたるもの、あるいは、平野啓一郎が私のデザインを指して言った「近接的無関心」なるものかもしれません。「近接的無関心」はそこに存在しているだけでいいもののこと。独りになると寂しいけど、うるさく構われたくない、でも側にはいてほしいという欲求を満たしていることと理解しています。これこそ「ふつう」の概念ではないかと思うのです。  人は「違和感」に気づきやすいですが、「調和」とは何をして感じられているのかはわかりにくいものです。人間には「いい」と感じる感覚器が備わっていると信じますが、「なぜいいか」とはあまり考えないのです。ただ感じるだけ。私は「ふつう」とは何かを絶え間なく考えているのです。  ふつうということがいかに素晴らしいかということを、人は暗黙のうちにわかっていると思います。

Posted by ブクログ

関連商品

同じジャンルのおすすめ商品

同じジャンルのおすすめ商品

最近チェックした商品

履歴をすべて削除しました