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リベラリズムはなぜ失敗したのか
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 原書房 |
| 発売年月日 | 2019/11/21 |
| JAN | 9784562057108 |
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リベラリズムはなぜ失敗したのか
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商品レビュー
3.4
10件のお客様レビュー
パトリック・J・ディネーンのこの一冊は、現代リベラリズムに対する最も鋭い批判のひとつだ。タイトルにある「失敗した」という言葉は意外なことに、リベラリズムが「成功しすぎた」ことこそが問題の本質だと著者はそう断言する。 ◾️逆説の核心 個人を伝統的共同体や慣習から解放するという...
パトリック・J・ディネーンのこの一冊は、現代リベラリズムに対する最も鋭い批判のひとつだ。タイトルにある「失敗した」という言葉は意外なことに、リベラリズムが「成功しすぎた」ことこそが問題の本質だと著者はそう断言する。 ◾️逆説の核心 個人を伝統的共同体や慣習から解放するというリベラリズムの約束は見事に実現された。しかしその代償として、国家と市場という新たな巨大機構への従属が生まれ、格差の拡大、人間関係の希薄化、環境破壊が加速した。私たちは本当に「自由」になったのか、それとも別の形の隷属に置き換わっただけなのか。 ◾️個人主義と国家権力は共犯だった 多くの人が信じる「小さな政府=個人主義」という図式は幻想にすぎない。ディネーンは、個人主義がむしろ中央集権的国家を必要とし、両者が手を組んでリベラリズム以前の共同体を解体してきたと指摘する(84頁)。アメリカ建国者、特にマディソンはこの仕組みを意図的に設計した(130-132頁、205-209頁)。 ◾️現代政治の停滞を説明する だからこそ、保守派が小さな政府を実現できず、進歩派が私的領域への介入を止められないという現在の状況も腑に落ちる。左右両派とも、同じリベラリズムという同一前提の内部で動いているにすぎない。 ◾️行き着く先 このまま進めば、自由・平等を掲げながら、実質的には行政国家と監視体制に支えられた「軟らかい専制」へと変質するだろう――ディネーンはトクヴィルの予言を現代に蘇らせる(220頁)。 ◾️唯一の希望とその限界 著者は古典的教養教育の再興を提唱し、真の自由とは欲望を抑制する能力にあると説く(163頁)。しかし、誰もが自己実現と豊かさを求める現代において、この処方箋がどれだけ現実的かは疑問が残る。時計の針を戻すことは、もはやほぼ不可能に近い。 それでも本書は、現代社会の違和感に明確な座標を与えてくれる。「自由」という言葉が以前と同じ響きを失うほどの、静かな衝撃を残す一冊。政治哲学に関心のある人にも、格差や孤独に漠然とした不安を抱える人にも、お薦めしたい。
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※このレビューにはネタバレを含みます
リベラリズムが成功したからこそ現代の危機が起きている。 リベラリズムの個人主義が、国家の大きな規範に飲み込まれた。 リベラルアーツは自らの欲望をコントロールする術を身につけるためのものだった。時間をかけて修養することで手にできるもの。 近代のリベラリズムは、個人の欲望を解放するだけで、コントロールするための術は教えていない。 ギリシャのポリスの生活を見習うべき。コミュニタリアンに似ている。
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西側自由社会に生きる我々にとって、所与のものである自由主義そのものに問題がある、と認識を根底から崩してくる本。非常に興味深く、また危険な書だ。 ここでいう自由主義=リベラリズムとは、カマラ・ハリスが大統領選で訴えたものではなく、ましてや日本の「リベラル」の浅薄なものではない。ホ...
西側自由社会に生きる我々にとって、所与のものである自由主義そのものに問題がある、と認識を根底から崩してくる本。非常に興味深く、また危険な書だ。 ここでいう自由主義=リベラリズムとは、カマラ・ハリスが大統領選で訴えたものではなく、ましてや日本の「リベラル」の浅薄なものではない。ホッブスやロック、ミルの提唱したそもそもの自由主義である。 著者はリベラリズムは、個人を元来自由なものであるから、その生得の自由をどこまでも伸ばすとともに、自由に制限をかける従来のシステム(国家や宗教、家庭、慣習など)を破壊することが目的である、と論ずる。その結果、暴走した欲望がかつてないほどの経済的格差を生み、地域社会が破壊され人々は根無し草となり、政治的に無知な大半の人々は政治的自由はあっても政治的影響力を振るうことができず不満を抱くこととなる。 この論旨は、驚くほど現在の状況に合致する。富裕層のロビー活動によってますます富めるものとそうでないものの経済的格差は開き、行き過ぎた自由のもたらすモラル崩壊が電車の中とか、公共の場とかそこここで見られ、選挙の投票率は上がらない。(ちなみに自由民主主義とよく言うが、自由主義と民主主義は相容れない、という議論もなされている。自分の自由/欲望を叶えるために努力する一人のエリートよりも、凡人百人のほうが民主主義的には正しいのだから) と、ここで迂闊にいや全くそのとおり、と膝を打ちたくなるところに本書の危険性があると思う。確かに経済的、教育、政治、社会が抱える諸問題は、そもそも現代社会の立脚点たる古典的自由主義に問題がある、というロジックは非常にわかりやすい。だからこそ、そのわかりやすさが故に、理解しつつ批判的精神を持って我々はこの書を読まねばならないと思う。 それでも著者は最後にポストリベラリズムとして、リベラリズム以前に立ち戻る事はありえず、またリベラリズムが行き詰まっていた旧制のだはなどその功績は認めるべきであるとも記している。分断された人と人と、人と地域との関連性を復活させ、より発展した体制を築くべき、と前向きな言葉を持って占めている。 盲信すべきではないが、そもそもの前提たる自由主義的考えを疑うことによって新たな視点を手に入れられる書。
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