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ザ・ディスプレイスト 難民作家18人の自分と家族の物語
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ザ・ディスプレイスト 難民作家18人の自分と家族の物語

ヴィエト・タン・ウェン(編者), 山田文(訳者)

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ザ・ディスプレイスト 難民作家18人の自分と家族の物語

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 ポプラ社
発売年月日 2019/02/07
JAN 9784591162125

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2020/07/23

displaysed -故郷、故国を失った、はずされた、追放された、難民、流民 難民としての経験をした筆者たちが出自について回想し、アイデンティティを問うた作品が集められたアンソロジーです。サブタイトルにあるとおり執筆陣のほとんどは作家であるため、事実を書き残すことは主眼ではな...

displaysed -故郷、故国を失った、はずされた、追放された、難民、流民 難民としての経験をした筆者たちが出自について回想し、アイデンティティを問うた作品が集められたアンソロジーです。サブタイトルにあるとおり執筆陣のほとんどは作家であるため、事実を書き残すことは主眼ではなく文学的なトーンを帯びた作品が多くを占めています。編者をはじめとして難民としてだけではなく文学者であることに強く意識を向けて書かれたものも少なくありません。 客観的な記録・報告文を期待すると当てが外れて、戸惑うかもしれません。

Posted by ブクログ

2020/02/28

エッセイ、ノンフィクションなんだよね、つまりこれは現実。 どんな国で、どんな状況で、どうして難民になるのか、そして行った先の国でどんなことが待ち受けているのか。まるで知らなかった。 悲惨で読むのがつらい話もあったが、そうだよねきっとそうだよねと共感するところも。 どれもよかった...

エッセイ、ノンフィクションなんだよね、つまりこれは現実。 どんな国で、どんな状況で、どうして難民になるのか、そして行った先の国でどんなことが待ち受けているのか。まるで知らなかった。 悲惨で読むのがつらい話もあったが、そうだよねきっとそうだよねと共感するところも。 どれもよかったけれど、中でも『トランプの壁は、つくられる前からおいしい食べものに負けていた』(アリエル・ドルフマン)、『恩知らずの難民』(ティナ・ナイェリー)がよかった。

Posted by ブクログ

2019/06/03

タイトルの「ディスプレイスト(The Displaced)」は文字通り難民を指す。 動詞のdisplaceは、「(本来の場所から)動かす、はずす、取り除く」ことである。 これがdisplacedとなると、本来の場所から取り除かれた、すなわち故郷・故国を失った、追放された(人々)と...

タイトルの「ディスプレイスト(The Displaced)」は文字通り難民を指す。 動詞のdisplaceは、「(本来の場所から)動かす、はずす、取り除く」ことである。 これがdisplacedとなると、本来の場所から取り除かれた、すなわち故郷・故国を失った、追放された(人々)となるわけである。 移民が、希望して自ら外国に行く人々である一方、難民は、よんどころなく、致し方なく、故郷を追われた人々である。文化も生活習慣も言葉も仕事も友人も(時には家族も)失い、異国での暮らしを余儀なくされる。 本書は難民としての経験を持つ18人の作家の難民生活に関するエッセイ集である。 故郷はアフガニスタン、ソヴィエト、ベトナム、アルゼンチン、エチオピア、ボスニア、ハンガリー、イランとさまざまで、多くはアメリカやカナダに渡っている。 本書が刊行されたのは2018年4月であり、もちろん、その背景には、トランプ大統領の就任、その後の排他的政策がある。 多くの作家たちは、自らが主体というよりも、親世代が国を離れるのに伴われて子供の頃に難民となっている。成人してから外国に渡り、作家となるほどに言語を習得できるかと言えば、そこには1つ大きな壁があるだろう。また経済的にも苦しい中で、生活するだけで精一杯ということもあろう。そうした意味で、子供世代が多いのは当然といえば当然なのかもしれない。 子供の目から「難民」を見たとき、その不安や寄る辺なさは倍増する。訳も分からずそれまでの生活環境から切り離され、大切なものを失い、着いた先では他人の都合に左右され、時には蔑まれる日々。 ある子は目立たぬようにしようとし、ある子はとにかく勉強で一番になるよう努力し、ある子は自分の存在を確認するために作家となった。 心の奥底には、喪失がもたらす大きな「穴」がある。その体験を呑み込むためには、時に、長い長い年月が掛かる。 1つ、印象的なエピソードがある。 ウクライナからウィーンに逃れてきた少年。アメリカへの亡命の許可が出るのを待っている。父は真面目な人で、故郷でも人々がよくするような「ズル」はしたことがなかった。困窮する難民生活でも父は常にルールを守る人だった。だが、ある時、父は、少年を伴って、団体客に紛れて、美術史博物館に忍び入る。美術館のチケットを買う余裕はなかったのだ。暖房の効いた美術館で、マリア・テレジアのコレクションを半日かけてたっぷり鑑賞した後、少年と父は売店に立ち寄る。驚いたことに、父は「ポストカードを買おう」と言った。2人で2枚ずつ選んだカードの代金を払い、きちんと胸ポケットに入れた父は「人間らしく振る舞わなくちゃいけない」と言うのだ。 運命を人手に委ね、見知らぬ異国で、「あれをしなければならない」「これをしてはならない」とがんじがらめの日々。 ささやかな余裕すらなくした生活の中で自分の尊厳を保つことは、どれほど難しいことだったのだろうか。 その時、少年の父が買ったポストカードの重さを思う。 自身も難民作家である編者は、「はじめに」でこう述べる。 作家とは痛みのあるところへと向かうべきものであり、よそ者であることがどういう感覚かを知っている必要がある。 と。 身をもって「よそ者」の感覚を知った作家たちの言葉は、彼ら自身の背後にいる他の多くの難民たちの声なき声をも代弁する。 その声がずしりと胸に響く。

Posted by ブクログ

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