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「自然」という幻想 多自然ガーデニングによる新しい自然保護
定価 ¥1,980
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 草思社 |
発売年月日 | 2018/07/16 |
JAN | 9784794223425 |
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「自然」という幻想
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「自然」という幻想
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商品レビュー
3.6
9件のお客様レビュー
手付かずの自然、というのがいいわけではない、しかもめったにそんなのはない。という立脚点から、人為的な撹乱を容認する、というより肯定的に行うべし、という本。 ホントかな? という思いが拭えない。
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起点をどこにするのか。遡るのか、前に進むのか。 自然とは何か。自然と人間、そうやって区別したところから始まるのは多分間違っている。手つかずの自然。人間の影響が及んでいない定まった、あるべき自然。一体そんなものはあるのか。 ただの郷愁でしかない。希望に彩られた幻想でしかない。...
起点をどこにするのか。遡るのか、前に進むのか。 自然とは何か。自然と人間、そうやって区別したところから始まるのは多分間違っている。手つかずの自然。人間の影響が及んでいない定まった、あるべき自然。一体そんなものはあるのか。 ただの郷愁でしかない。希望に彩られた幻想でしかない。例え人間が存在しなかったとしてもそんなものはどこにも現れることはない。 恐らく人間やそれによってもたらされる人工というものの対比的に自然という定義が生まれるから、その枠に囚われて、それ以上に進めない。その枠の中にしか居場所を見つけることができない。これは言葉と定義と人間が作る世界のあらゆる場面にて表れてくるお決まりのルーチンでしかない。 人間を含んだ、人間が改変し続ける、影響を及ぼし続ける「自然」でしかその定義は存在し得ない。だから、そこから始めるしかない、始めればよいと言っている。 気候変動はもう起こっている。自分たちがもたらしたものだ。それが自然にも当たり前に圧力を加えていく。変化を促していく。変化できなければ居場所を失い消えていくしかない。 自然を守りたいとするならば、遡るのではなく、ありもしないいつかの姿をキープすること、そんなできもしないことを追い求めるのではなく、自然が変化していくのを後押しすることしかできることはない。変わっていく自然がそのままの「自然」だということを理解しなくてはならない。途轍もない影響を地球に及ぼしながら人間は生きている。自然の一部としてある人間が圧倒的な改変を自然に自分自身に課しているのだ。そのことをちゃんと自覚しなければならない。そこにある自然の一員としての自分たちという責任を覚えたときに、周りにある自然に果たすべき役割を果たしたいのならば、何をするべきなのか、一体何ができるのか、それが真っ先にあるべきだと思う。人間都合の自然論や、勝手気ままな郷愁や、感情的な語卓が並べられる余裕はきっとこの地球上にはもうない。 人間によってスピードが早められている地球の変化に着いていけなくなってしまっている自然を人間の手で動かしたり、その変化の道筋を整えてあげる。変化を認めないのではなく、変化していく自然のダイナミズムに、将来の可能性を信じて手を貸すことだ。責任を果たしながら、人間に出来る範囲で変わっていく世界の一助となることだ。 人間の上から目線の自然というほど、この世界はちっぽけで単純なものじゃない。 例え、この地球がどんな姿に変わっていくのだとしても、それが「自然」だというだけ。 きっと人間の及ぶ話ではない。 だからこそ、自分たちのためにいま出来ることをするだけだ。
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エマ・マリス氏は、米国・シアトル出身のサイエンスライター。ネイチャー誌、ナショナルジオグラフィック誌、ニューヨークタイムス紙などに、自然、人々、食べ物、言語、書籍、映画などをテーマに執筆している。 本書は、2011年に発表された『Rambunctious Garden : Sav...
エマ・マリス氏は、米国・シアトル出身のサイエンスライター。ネイチャー誌、ナショナルジオグラフィック誌、ニューヨークタイムス紙などに、自然、人々、食べ物、言語、書籍、映画などをテーマに執筆している。 本書は、2011年に発表された『Rambunctious Garden : Saving Nature in a Post-Wild World(ごちゃまぜの庭:野生後の世界で自然を保護する)』の全訳で、2018年に出版された。 私は、自然保護について何ら専門的な知識を持ち合わせてはいないが、訳者の岸由二氏(慶応大学名誉教授)によると、ここ10年ほど、世界の自然保護の分野は、大論争と新しい希望の時代に入ったという。それは、人の暮らしから隔絶された「手つかず」の自然、人の攪乱を受けなかったはずの過去の自然、「外来種」を徹底的に排除した自然生態系、そんな自然にこそ価値ありとし、その回復を自明の指針としてきた伝統的な理解に、改定をせまる多様な議論・実勢が登場しているということであり、著者は本書で、そうしたパラダイムの変化(の兆候)を具体的な事例を挙げて紹介している。 読了して、このテーマの議論の前提として再認識したことが2点ある。 ひとつは、自然保護家が声高に叫ぶ「手つかずの野生(Wilderness)」というものは、地球上に(氷結地帯などは除き)ほとんど存在しないということである。例えば、米国の自然保護家の多くは、ヨーロッパ人が移住を始める以前の北米大陸を「手つかずの自然」と位置付けるが、現実には、ベーリング海峡を渡って先史時代以来住んでいた先住民が、既にそれ以前に自然を攪乱させており、「手つかずの自然」ではなかったのである。 もうひとつは、人為的なものがなくても、自然は常に変化するということである。従来は、自然(生態系)は不変である、あるいは、わずかな揺らぎはあるものの、基本的には安定した平衡状態にあるとする「自然の均衡」説が主流であったが、実際には、自然は非平衡状態にあり、常に変化するものであることが明らかになってきたのだ。 この2つを考えれば、仮に過去の自然状態を回復することが可能だとしても、そもそも、その基準となる時点を合理的に定めることができないことは明らかである。 そして著者は、「手つかずの自然」こそ理想という考え方を捨てて、「ごちゃまぜの庭(多自然ガーデン)」というコンセプトを提唱するのである。それは、①人間以外の生物の権利を守ろう、②カリスマ的な大型生物を守ろう、③絶滅率を下げよう、④遺伝的な多様性を守ろう、➄生物多様性を定義し、守ろう、⑥生態系サービスを最大化しよう、➆精神的、審美的な自然体験を守ろう、という7つの具体的な目標を掲げ、実現するためのコストを考慮した上で、それぞれの地域に関わる人びとが、自らの地域に適した目標を合意・設定して、自然を保護し、自然の価値を高めていこうというものである。 自然とは何か、それを保護するとはどういうことかについて、いろいろ考えさせてくれる一冊である。 (2021年1月了)
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