![壬申の乱と関ヶ原の戦い なぜ同じ場所で戦われたのか 祥伝社新書527](https://content.bookoff.co.jp/goodsimages/LL/001899/0018998844LL.jpg)
- 中古
- 書籍
- 新書
壬申の乱と関ヶ原の戦い なぜ同じ場所で戦われたのか 祥伝社新書527
![壬申の乱と関ヶ原の戦い なぜ同じ場所で戦われたのか 祥伝社新書527](https://content.bookoff.co.jp/goodsimages/LL/001899/0018998844LL.jpg)
定価 ¥880
220円 定価より660円(75%)おトク
獲得ポイント2P
残り1点 ご注文はお早めに
発送時期 1~5日以内に発送
![](https://content.bookoff.co.jp/assets/images/banner/campaign/limited/blank-750-120.png)
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 祥伝社 |
発売年月日 | 2018/02/02 |
JAN | 9784396115272 |
- 書籍
- 新書
壬申の乱と関ヶ原の戦い
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
壬申の乱と関ヶ原の戦い
¥220
残り1点
ご注文はお早めに
商品レビュー
4
19件のお客様レビュー
関ヶ原は日本史上の重要な合戦が起きている場所である。古代には壬申の乱が行われた。慶長五年(一六〇〇年)九月一五日には天下分け目の関ヶ原の合戦が起きた。 各合戦の迎撃側と攻撃側を整理すると以下になる。 壬申の乱:迎撃側・近江朝廷、攻撃側・大海人皇子 青野原の戦い:迎撃側・室町幕府...
関ヶ原は日本史上の重要な合戦が起きている場所である。古代には壬申の乱が行われた。慶長五年(一六〇〇年)九月一五日には天下分け目の関ヶ原の合戦が起きた。 各合戦の迎撃側と攻撃側を整理すると以下になる。 壬申の乱:迎撃側・近江朝廷、攻撃側・大海人皇子 青野原の戦い:迎撃側・室町幕府、攻撃側・北畠顕家 関ヶ原の合戦:迎撃側・石田三成、攻撃側・徳川家康 全て攻撃側が勝利している。壬申の乱と関ヶ原の合戦では勝者の大海人皇子や徳川家康が新しい政治体制を作った。これに対して青野原の戦いは敗者側が室町時代という新しい時代を作った。 壬申の乱と関ヶ原の戦いは攻撃側がそのまま最終勝利まで突き進んだ。これに対して青野原の戦いは攻撃側が勝ち切れなかった。迎撃側が最終防衛に成功している。青野原の戦いだけ敗者側が新しい時代を作ることになるが、最終的な勝者と考えれば全て勝者が新しい政治体制を作ったとなる。 知名度では関ヶ原の合戦が最も高い。壬申の乱もそれなりにある。しかし、青野原の戦いは日本史に詳しい人でも知っているとは限らない。攻撃側が勝利して新しい政治体制を作ったという後の歴史へのつながりが弱いためだろう。
Posted by
日本は外国と比べて、戦乱が少なかったんですね。 それ故、世襲が一般的になった。 納得しました。 ほとんどのものを中国から模倣しているのに、なぜ科挙がなく世襲になったんだろう、と前々から疑問でした。
Posted by
富=地位権力の奪い合いにおいて、史実から長・トップとなるべき人材は軍を如何に先導でき纏めるか、さらに国民、国家を如何に治めていくか、両方がうまく噛み合っていないと崩壊の危機に遭うということ。現代、良いプレイヤーは良い監督になれるとは限らない、それは個人の力から人を纏めるリーダーシ...
富=地位権力の奪い合いにおいて、史実から長・トップとなるべき人材は軍を如何に先導でき纏めるか、さらに国民、国家を如何に治めていくか、両方がうまく噛み合っていないと崩壊の危機に遭うということ。現代、良いプレイヤーは良い監督になれるとは限らない、それは個人の力から人を纏めるリーダーシップが必要だからだ。さらに、それは学ぶ側と教える側では全く違うということだ。
Posted by