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女王ロアーナ、神秘の炎(上)
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2018/01/19 |
JAN | 9784000259309 |
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女王ロアーナ、神秘の炎(上)
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商品レビュー
4.3
3件のお客様レビュー
記憶をなくした主人公(なぜかはわからない)が、自分の過去を、当時の書物や世相を通じて再構築していくという、いかにもエーコらしい捻くれた物語。自分を形作っている要素を、解明というか妄想していくわけだけど、そこはエーコ。当時の書物に対する蘊蓄が詰まっていて、エーコがただ言いたいことを...
記憶をなくした主人公(なぜかはわからない)が、自分の過去を、当時の書物や世相を通じて再構築していくという、いかにもエーコらしい捻くれた物語。自分を形作っている要素を、解明というか妄想していくわけだけど、そこはエーコ。当時の書物に対する蘊蓄が詰まっていて、エーコがただ言いたいことを言うために、小説のテイを成しているだけじゃないかって気もしてくる。それはそれで良い。
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※上下巻合わせての感想です。下巻に詳細あり。 読み始めはまさかこんな展開と思わなんだ!記憶喪失の主人公と一緒に"霧"の中を歩み、たどり着くのはああここなの?!と下巻の、最後の20ページで脳内がスパークした。 脳汁の出る、知的体験ができるしミステリー小説的な面もあり、面白...
※上下巻合わせての感想です。下巻に詳細あり。 読み始めはまさかこんな展開と思わなんだ!記憶喪失の主人公と一緒に"霧"の中を歩み、たどり着くのはああここなの?!と下巻の、最後の20ページで脳内がスパークした。 脳汁の出る、知的体験ができるしミステリー小説的な面もあり、面白い…。 読書人生のマイフェイバリット10に入ってしまうかも。 付け焼き刃だが、分裂症気味な主人公。20世紀の文学の王道のスタイルそのままですね。でも、人はみんな分裂気味かも、あらゆるところであらゆる自分がいるものだから。
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『ぼくの考えは単純さ。いままで誰もそんなふうに考えなかっただけだ。〈神〉は邪悪だということさ』―『16.風が鳴るー第3部 OI NOΣTOI 帰還』 『まさに、その瞬間、ぼくは啓示を与えられた。いまならわかる、この世は目的がなく誤解の怠惰な賜物であるという痛ましい感覚であったが...
『ぼくの考えは単純さ。いままで誰もそんなふうに考えなかっただけだ。〈神〉は邪悪だということさ』―『16.風が鳴るー第3部 OI NOΣTOI 帰還』 『まさに、その瞬間、ぼくは啓示を与えられた。いまならわかる、この世は目的がなく誤解の怠惰な賜物であるという痛ましい感覚であったが、その瞬間ぼくは感じたものを「神はいない」としか表現することができなかった』―『17.賢明な若者―第3部 OI NOΣTOI 帰還』 エーコの「永遠のファシズム」を読んだときに、どことなく上手く言いくるめられたという感覚に囚われた。似たような評論集「歴史が後ずさりするとき」を読んだ際には感じなかった違和感。それが欧州における大戦の大義と作家の少年期の正義感との共振と不協和音に由来するであろうことは薄々理解は出来ていた。それは誰しもが胸の奥に囲っている薄暗い記憶。小さな罪の意識が為せる自己弁護なのだろう。そのことを自伝的小説とされる本書にて確認する。 振り返って見ればどうしてそんな価値観に従っていたのかというような過去の自分の行為も、その時々の理屈があった筈。大抵はそんな子供っぽい屁理屈も一緒に黒い袋に詰めて見てみぬふりを決めこむが、子供だって闇雲に悪さをする訳ではない。厄介なのはその屁理屈の部分は記憶の沼の底に沈んだままで罪深い行為の記憶だけが時折沼の表面に浮かび上がって来ること。もちろん急いでそれを水面下に沈め直しはするのだが、沈める際の手応えが返って記憶を鮮明にさせる。あの時の駄菓子。教室でのいじめ。一つひとつは一見無関係のようだけれど、それを行った自分の中にどんな大義があったのかと見つめ直す行為は、麻酔もそこそこに自らの外科手術を施すような行為。エーコがここでやって見せたのはそんなことなのだろうかと訝しむ。 エーコはその振り返りの過程で「紙の記憶」を頼りに過去を再体験する。如何にも記号論の大家らしい試みであると思う一方、人の価値観の形成には自らが選び取った情報以外にも大きな影響を与えた要素がある筈とも思う。それを環境要因と呼ぶのは余りにも自分自身の過去の行為に対して自らの関与を否定するかのようにも響くけれど、周囲の価値観が自らは預かり知らぬところで決定された後に押し付けられるという側面があることは否定できまい。そこに敢えて目を向けないのは、様々な価値観の錯綜する欧州においては、そんな環境すら自らが選択すべきもの、あるいは選択したもの(あるいは相続したものと言うべきか)と仮定されることなのだろうか。エーコの紙の記憶に対する拘りを見るとき、そんな厳しい考え方もあることを知らされる。 子供ながらに感じていた正しさと全体主義的な価値観の乖離、それこそが沼の底から時折顔を出して記憶を呼び覚まさせようとする原因。そんな乖離を今も感じていないのかと、何処かで誰かが呼び掛けてくる。その声に身震いする。所詮、大人も子供と大差がある訳ではない。 「薔薇の名前」の現代版のような展開から、後半はまさに走馬灯と形容すべき記憶の蘇りの嵐に物語は変容して行く。個人的には主人公の解く筈であった謎がもう少し、仄めかしでも良いので語られて欲しかったとの思いも残るが、フランチェスコ会修道士の弟子の記憶の中に残るものは必ずしも真実そのものではなく、表現され具現化された意図の表層のみ。その裏にある思いは永遠に歴史からは失われる。人の記憶を頼りにすれば、よしんばそれが真理であったとしても生き残ることはない。そんな風にエーコに言われたようにも思う。死後十年は自らの名前を冠した講演会などの開催を禁じたというエーコの意思には、そんなエーコの歴史観もまた見え隠れする。もちろん自分自身の表出し得なかった思いもまた人々の記憶と共に失われる定めと覚悟して。紙の記憶に拘ったエーコの決意に思いを至らせる。
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