1,800円以上の注文で送料無料

なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史 PHP新書1130
  • 中古
  • 書籍
  • 新書

なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史 PHP新書1130

石平(著者)

追加する に追加する

なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか 「脱中華」の日本思想史 PHP新書1130

定価 ¥968

220 定価より748円(77%)おトク

獲得ポイント2P

残り1点 ご注文はお早めに

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 PHP研究所
発売年月日 2018/01/01
JAN 9784569837451

なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか

¥220

残り1点
ご注文はお早めに

カートに追加するカートにいれる

商品レビュー

3.5

10件のお客様レビュー

レビューを投稿

2024/08/21

これまで日本は強大な相手と対峙する時に政治体制・思想面で大きな決断を下してきた(白村江の戦い敗戦→大化の改新、開国→明治維新) 儒教の教えは大筋は正しい内容であるが、中華思想・華夷秩序・徳治主義・易姓革命などの思想が日本とは相容れない。聖徳太子らは仏教の教えに帰依することで儒教思...

これまで日本は強大な相手と対峙する時に政治体制・思想面で大きな決断を下してきた(白村江の戦い敗戦→大化の改新、開国→明治維新) 儒教の教えは大筋は正しい内容であるが、中華思想・華夷秩序・徳治主義・易姓革命などの思想が日本とは相容れない。聖徳太子らは仏教の教えに帰依することで儒教思想から距離を取った。その後、奈良・鎌倉・室町と仏教の大衆化・簡易化が進む。江戸に入り武士の拠り所として朱子学が官学として採用されるも、賀茂真淵・本居宣長らによる国学研究により思想史的には採用されなかった。しかし明治期には再度儒教がクローズアップされる、教育勅語は儒教的思想に基づくものであり、全国民に対する勅語という意味ではまさに天皇が徳治主義による国民の教化を行ったこととなり、天皇の中華皇帝化であると言える。 著者は、日本にとって儒教や漢意(からごころ)は悪であるかのように説くが、現代日本がそうであるように適切な距離で受け入れ、日本化していくことが日本人にはあっているのではないか。

Posted by ブクログ

2022/05/27

今まで『何故日本は儒教を取り入れなかったか?』なんて考えたこともなかった。中国以外で儒教を正式に取り入れた国は朝鮮とベトナムしかないのだから、世界的に普遍的な価値を持つ思想ではなかったという事なのだろう。古代~中世の日本の指導者たちがそれを選択しなかったのは、著者が指摘するような...

今まで『何故日本は儒教を取り入れなかったか?』なんて考えたこともなかった。中国以外で儒教を正式に取り入れた国は朝鮮とベトナムしかないのだから、世界的に普遍的な価値を持つ思想ではなかったという事なのだろう。古代~中世の日本の指導者たちがそれを選択しなかったのは、著者が指摘するような遠大な展望とか計算があった訳でなく、単に「性に合わなかった」というだけな気がする。そもそも儒教はたびたび王朝が民衆に倒されてきた歴史を説明するために考え出された易姓革命の概念が核心にある。いまだに市民革命の歴史がない日本の風土に合わないことは明白である。 日本人は太古の昔から非常に柔軟に、悪く言えば無節操に外来の思想や文化を取り入れてきた。儒教もその良い所だけチョイスして都合よく取り入れてきたし、それはそれでうまくいったように思う。むしろイマドキの日本人はもっと儒教を学んだ方が良い。

Posted by ブクログ

2020/07/25

他の方も指摘されているように、タイトルと内容が少し違うかなと。内容は推古朝から明治に入るまでの壮大な日本思想史。思想という視点で日本史を見たことが無かったので、とても新鮮な驚きを持って、筆者の立論にうなずきながら読み進めた。具体的には中国にどうやって飲み込まれないかという観点で日...

他の方も指摘されているように、タイトルと内容が少し違うかなと。内容は推古朝から明治に入るまでの壮大な日本思想史。思想という視点で日本史を見たことが無かったので、とても新鮮な驚きを持って、筆者の立論にうなずきながら読み進めた。具体的には中国にどうやって飲み込まれないかという観点で日本の過去の知的リーダー達がどのように思想と向き合ってきたかということについての論考。  筆者は、最初に問を発する。何故、日本の思想家は江戸までは仏教家のみで、それ以降は儒学者なのかと。その問いに答える形で議論を展開。  出発点は推古朝、聖徳太子の時代。当時は隋王朝による大陸統一で、西晋以来数百年ぶりに協力な統一王朝ができて高句麗侵略、新羅・百済の属国化という積極対外政策の時代。日本は、小野妹子の国書にもあるとおり、華夷秩序に対しての異議申し立てを明確にする。その思想的背景が、同時にもたらされた儒教と仏教の扱いの差、仏教の偏重、で明らかになっている。筆者はこれを華夷秩序のバックボーンの儒教では無く、インドからもたらされた世界宗教の仏教を軸に据えることで、儒教=中国の影響を相対化しつつ、富国強兵のため、制度面のみ中国に倣うという政策を取ったと喝破している。  このため仏教が興隆するが、その日本的な受容のあり方について神道との関わり合いも含めて面白い分析をしている。一つは平安〜鎌倉時代にかけて、空海、最澄、法然、日蓮、親鸞と言った思想家による仏教の簡素化と念仏により万人を救済出来るという大衆化の流れ。もう一つは、神道は緻密な仏教理論に圧倒されつつも、本地垂迹説で神と仏が一体化し、しまいには神が優越しているという伊勢神道の理論構築もなされるようになり、神仏の共存が図られていく。  戦国時代には、大衆化の結果、支配者は一向一揆に悩まされるようになる。家康の政策は二つ。一つは寺請制度。寺に檀家登録することにより、戸籍管理をさせて、民の移動を管理し、檀家からの寄付で寺も潤うようにして仏教を統治制度に組み込んでしまう。これにより、仏教はもはや統治と一体化し、思想を必要としなくなった(江戸以降、仏教家の思想家が出てこない理由)。もう一つは、儒教、とりわけ朱子学の奨励。実際に戦争が無くなったこともあり、朱子学の修身、斉家、治国、平天下という思想が武士のレゾンデートルとなり武士階級に受け入れられる。  その一方で、山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠と言った民間レベルでの儒教内部からの朱子学の批判、さらに進んで賀茂馬淵、そして本居宣長により完成された国学(そもそも漢学による必要すらない)という形で在野レベルでは完全に中華思想からの独立を果たす。  ここまでが筆者の確定的分析。明治以降は更に研究を要するとしつつも、イニシャルな思考の枠組みを示している。  まず明治維新に至る過程で漢学への揺り戻しが起きる。尊王攘夷から明治維新を推進したのは武士であり、底流には朱子学あり。また、推古朝以来の海外からの脅威に対して日本というよりも東洋の伝統重視が言われるようになったのも朱子学の影響のためではないかと。  この流れの真骨頂が教育勅語。筆者は、朱子学のの修身、斉家、治国、平天下の思想そのものとした上で、これまでの中国朝鮮や江戸時代にも見られない新たな点として、それが支配階級の理念ではなく国民全体の理念として推奨されたというもの。また、これが天皇の名の下に出されたことは、徳治主義を前提とする中国皇帝の役割を彷彿とさせ、その後の大東亜共栄圏も以下にも日本を中心とした華夷秩序のようで、この時代の日本が一番、日本らしさを失って中国皇帝・中華帝国に近づいた瞬間では無かったかと。この最後の分析は非常に面白く、続編に期待。  

Posted by ブクログ

関連商品

同じジャンルのおすすめ商品

最近チェックした商品