なぜ日本だけが中国の呪縛から逃れられたのか の商品レビュー
これまで日本は強大な相手と対峙する時に政治体制・思想面で大きな決断を下してきた(白村江の戦い敗戦→大化の改新、開国→明治維新) 儒教の教えは大筋は正しい内容であるが、中華思想・華夷秩序・徳治主義・易姓革命などの思想が日本とは相容れない。聖徳太子らは仏教の教えに帰依することで儒教思...
これまで日本は強大な相手と対峙する時に政治体制・思想面で大きな決断を下してきた(白村江の戦い敗戦→大化の改新、開国→明治維新) 儒教の教えは大筋は正しい内容であるが、中華思想・華夷秩序・徳治主義・易姓革命などの思想が日本とは相容れない。聖徳太子らは仏教の教えに帰依することで儒教思想から距離を取った。その後、奈良・鎌倉・室町と仏教の大衆化・簡易化が進む。江戸に入り武士の拠り所として朱子学が官学として採用されるも、賀茂真淵・本居宣長らによる国学研究により思想史的には採用されなかった。しかし明治期には再度儒教がクローズアップされる、教育勅語は儒教的思想に基づくものであり、全国民に対する勅語という意味ではまさに天皇が徳治主義による国民の教化を行ったこととなり、天皇の中華皇帝化であると言える。 著者は、日本にとって儒教や漢意(からごころ)は悪であるかのように説くが、現代日本がそうであるように適切な距離で受け入れ、日本化していくことが日本人にはあっているのではないか。
Posted by
今まで『何故日本は儒教を取り入れなかったか?』なんて考えたこともなかった。中国以外で儒教を正式に取り入れた国は朝鮮とベトナムしかないのだから、世界的に普遍的な価値を持つ思想ではなかったという事なのだろう。古代~中世の日本の指導者たちがそれを選択しなかったのは、著者が指摘するような...
今まで『何故日本は儒教を取り入れなかったか?』なんて考えたこともなかった。中国以外で儒教を正式に取り入れた国は朝鮮とベトナムしかないのだから、世界的に普遍的な価値を持つ思想ではなかったという事なのだろう。古代~中世の日本の指導者たちがそれを選択しなかったのは、著者が指摘するような遠大な展望とか計算があった訳でなく、単に「性に合わなかった」というだけな気がする。そもそも儒教はたびたび王朝が民衆に倒されてきた歴史を説明するために考え出された易姓革命の概念が核心にある。いまだに市民革命の歴史がない日本の風土に合わないことは明白である。 日本人は太古の昔から非常に柔軟に、悪く言えば無節操に外来の思想や文化を取り入れてきた。儒教もその良い所だけチョイスして都合よく取り入れてきたし、それはそれでうまくいったように思う。むしろイマドキの日本人はもっと儒教を学んだ方が良い。
Posted by
他の方も指摘されているように、タイトルと内容が少し違うかなと。内容は推古朝から明治に入るまでの壮大な日本思想史。思想という視点で日本史を見たことが無かったので、とても新鮮な驚きを持って、筆者の立論にうなずきながら読み進めた。具体的には中国にどうやって飲み込まれないかという観点で日...
他の方も指摘されているように、タイトルと内容が少し違うかなと。内容は推古朝から明治に入るまでの壮大な日本思想史。思想という視点で日本史を見たことが無かったので、とても新鮮な驚きを持って、筆者の立論にうなずきながら読み進めた。具体的には中国にどうやって飲み込まれないかという観点で日本の過去の知的リーダー達がどのように思想と向き合ってきたかということについての論考。 筆者は、最初に問を発する。何故、日本の思想家は江戸までは仏教家のみで、それ以降は儒学者なのかと。その問いに答える形で議論を展開。 出発点は推古朝、聖徳太子の時代。当時は隋王朝による大陸統一で、西晋以来数百年ぶりに協力な統一王朝ができて高句麗侵略、新羅・百済の属国化という積極対外政策の時代。日本は、小野妹子の国書にもあるとおり、華夷秩序に対しての異議申し立てを明確にする。その思想的背景が、同時にもたらされた儒教と仏教の扱いの差、仏教の偏重、で明らかになっている。筆者はこれを華夷秩序のバックボーンの儒教では無く、インドからもたらされた世界宗教の仏教を軸に据えることで、儒教=中国の影響を相対化しつつ、富国強兵のため、制度面のみ中国に倣うという政策を取ったと喝破している。 このため仏教が興隆するが、その日本的な受容のあり方について神道との関わり合いも含めて面白い分析をしている。一つは平安〜鎌倉時代にかけて、空海、最澄、法然、日蓮、親鸞と言った思想家による仏教の簡素化と念仏により万人を救済出来るという大衆化の流れ。もう一つは、神道は緻密な仏教理論に圧倒されつつも、本地垂迹説で神と仏が一体化し、しまいには神が優越しているという伊勢神道の理論構築もなされるようになり、神仏の共存が図られていく。 戦国時代には、大衆化の結果、支配者は一向一揆に悩まされるようになる。家康の政策は二つ。一つは寺請制度。寺に檀家登録することにより、戸籍管理をさせて、民の移動を管理し、檀家からの寄付で寺も潤うようにして仏教を統治制度に組み込んでしまう。これにより、仏教はもはや統治と一体化し、思想を必要としなくなった(江戸以降、仏教家の思想家が出てこない理由)。もう一つは、儒教、とりわけ朱子学の奨励。実際に戦争が無くなったこともあり、朱子学の修身、斉家、治国、平天下という思想が武士のレゾンデートルとなり武士階級に受け入れられる。 その一方で、山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠と言った民間レベルでの儒教内部からの朱子学の批判、さらに進んで賀茂馬淵、そして本居宣長により完成された国学(そもそも漢学による必要すらない)という形で在野レベルでは完全に中華思想からの独立を果たす。 ここまでが筆者の確定的分析。明治以降は更に研究を要するとしつつも、イニシャルな思考の枠組みを示している。 まず明治維新に至る過程で漢学への揺り戻しが起きる。尊王攘夷から明治維新を推進したのは武士であり、底流には朱子学あり。また、推古朝以来の海外からの脅威に対して日本というよりも東洋の伝統重視が言われるようになったのも朱子学の影響のためではないかと。 この流れの真骨頂が教育勅語。筆者は、朱子学のの修身、斉家、治国、平天下の思想そのものとした上で、これまでの中国朝鮮や江戸時代にも見られない新たな点として、それが支配階級の理念ではなく国民全体の理念として推奨されたというもの。また、これが天皇の名の下に出されたことは、徳治主義を前提とする中国皇帝の役割を彷彿とさせ、その後の大東亜共栄圏も以下にも日本を中心とした華夷秩序のようで、この時代の日本が一番、日本らしさを失って中国皇帝・中華帝国に近づいた瞬間では無かったかと。この最後の分析は非常に面白く、続編に期待。
Posted by
こうした本に出会うのが新書の面白さである。 いかんせん、著者の日頃の中国嫌悪/日本賛美の傾向とそれが全面に出たタイトル及び帯が、読者の幅を狭めているのではないかと思う。私も中身を読んだ人に勧められなければ読まなかったであろう。 しかし、中身は斬新な切り口から日本の思想史を見渡...
こうした本に出会うのが新書の面白さである。 いかんせん、著者の日頃の中国嫌悪/日本賛美の傾向とそれが全面に出たタイトル及び帯が、読者の幅を狭めているのではないかと思う。私も中身を読んだ人に勧められなければ読まなかったであろう。 しかし、中身は斬新な切り口から日本の思想史を見渡しており、特に前半は非常に興味深い内容であった。 途中、江戸時代の朱子学批判以降が冗長になるが、前半の聖徳太子から奈良、平安、鎌倉時代への流れは、「なるほど、そういうことかもしれない」と思わせる説得力があった。 おそらく、各時代、各分野について細かく研究している人にとっては、ツッコミどころや反論があるだろう。 しかし、(哲学科出身とはいえ)狭義の専門家ではない著者による新たな視点での通史は、それまでとっつきにくく興味がなかった人に、その分野に目を向けさせる入口になることは確かである。 また、単に事実を追うのではなく、その意義を考える上での一つの考え方を提供する点で非常に有意義であると考える。 同様の書として思い浮かんだのが、渡部昇一氏の「ドイツ参謀本部」である。 内容に関する論争を生んだ本ではあるが、我々にとって馴染みの薄いテーマについて、分かりやすくコンパクトに、かつ興味深く分析した点に意義があると思う。 これらの新書は、よしこの分野をもっと学んでみよう!という気を起こさせる。 だからこそ、この作品については、思想を打ち出しすぎたタイトルと帯が読者を狭めるだろう、とやや残念であった… メモ 日本の独立をどう守るかを切実に追求し、中華秩序に下らなかった聖徳太子以後の大和政権、天皇 →P54 普遍性のある仏教という世界宗教のなかに身を置くことによって、中国文明ならびに中華王朝の権威を相対化し、中国と対等な外交関係の確立を模索 P70 663年の白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れた日本は国家存亡の危機 →国防体制強化のために律令制を整備
Posted by
石平の専攻は哲学であることはあまり知られていないのかもしれんが、日本の自称哲学者のほとんどが左翼であるが、共産党が右翼である中国では石平も左翼である。日本が中国の呪縛から逃れられたのは中華のプレゼンスを認めなかったからなのだが、中華を継承した中国共産党と対峙するのは日本の左翼では...
石平の専攻は哲学であることはあまり知られていないのかもしれんが、日本の自称哲学者のほとんどが左翼であるが、共産党が右翼である中国では石平も左翼である。日本が中国の呪縛から逃れられたのは中華のプレゼンスを認めなかったからなのだが、中華を継承した中国共産党と対峙するのは日本の左翼ではなく、右翼なので、日本人としての石平は必然的に右翼のポジションに付くことになろう。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
中華思想と日本思想(というべきか)がよくわかり、また、先人の知恵のすばらしさに感銘する。これまでの歴史があり、今の日本がある。少し方向がずれているのかも、であるが。次の刊行に期待する。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
中華皇帝の「徳」を慕って「教化」を求める周辺国の中で 唯一日本は推古天皇から隋の煬帝に対し、 仏教を国の中心に据えることにより、 中華文明より普遍的な価値にて中華帝国と対等な位置に立つ。 中華「天命思想」 易姓革命により王朝交代の悪循環 日本「記紀」 天照大神の子孫とし血統がつながっている。 草木国土悉皆成仏 日本古来のアニミズムの影響を受け、日本の仏教として存続
Posted by
隣国の中華思想にさらされた本邦が思想的に如何に克服してきたかを探った思想史。 各思想を深掘りすることはないが、流れに沿って簡潔かつ必要十分に特徴を記している。 著者の問題意識や思考の流れを辿ることができ、非常にわかりやすい。 著者が最後に残した疑問は、恐らく今後の著書の中で解き明...
隣国の中華思想にさらされた本邦が思想的に如何に克服してきたかを探った思想史。 各思想を深掘りすることはないが、流れに沿って簡潔かつ必要十分に特徴を記している。 著者の問題意識や思考の流れを辿ることができ、非常にわかりやすい。 著者が最後に残した疑問は、恐らく今後の著書の中で解き明かされるのだろうが、早く読みたい。
Posted by
この本の著者は中国四川省生まれの、私より少し年上の方が書かれている本で、今までに共著本も含めて、10冊以上読んでいます。2007年に日本国籍を取得されたようで、それから書かれた本を私はよく読んでいたと理解しています。 彼が本に書かれている内容は、自分で中国まで足を運んで見聞きし...
この本の著者は中国四川省生まれの、私より少し年上の方が書かれている本で、今までに共著本も含めて、10冊以上読んでいます。2007年に日本国籍を取得されたようで、それから書かれた本を私はよく読んでいたと理解しています。 彼が本に書かれている内容は、自分で中国まで足を運んで見聞きしてきたことをベースに書かれているようなので、いつも参考にして読んでいます。この本のタイトルは大仰なものとなっていますが、私がこの本を読んだ感想は、中国と日本との関わりの歴史を解説してくれているな、というものです。 聖徳太子の頃から、日本は中国との関係に気を遣って、戦略的な外交をしてきたのだなと改めて理解しました。現在は、安倍首相が頑張っているようですが、日本の政治家も歴史に学んで国同士のお付き合いをしてほしいなと思いました。 以下は気になったポイントです。 ・中国の長い歴史において、天命思想と易姓革命から生まれたものは、支配と収奪と統制、そして周期的な動乱と戦争であった。このような歴史は天下万民にとって、苦難の連続以外の何物でもなかった(p20) ・南宋王朝になると、儒教の変種である朱子学が誕生した、官僚になる者に対する徳知主義の要求が具体化された。格物(外部の物事を研究)・致知(物事のなかにある理を理解)・誠意・正心・修身(その具体的の3方法)・斉家・治国・平天下(やるべきことの3つ)、の八条目である、これに加えて中華思想の世界観がある(p24,25、150) ・古代日本では、儒教思想は官僚の世界に限定、社会全体に広がるような思想や倫理にならなかった、仏教思想が中心であった、これは中華帝国と対抗するためだったのかもしれない、浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗・時宗はすべて仏門の人々(p39、42、47、64) ・朝貢体制においては、周辺国の国王や首長は誰一人として、皇帝・天子と号することはできず、皇帝の臣下として、皇帝より一段下の「王」の称号を頂戴することになっていた(p49) ・最後の班田令は唐帝国が滅亡する5年前(902年)であるが、中国はそれ以降「五大十国」の分裂時代に突入し、外部に脅威を与える存在ではなくなったので、外部脅威への対応策として採用された律令制も歴史的役割を終えて消滅する運命となった(p74) ・平安遷都は、南都六宗(三論、成実、法相、倶舎、華厳、律=これらは複雑な戒壇・授戒がある)による日本信仰の一極支配の終焉を意味した(p87、97) ・本地垂迹説とは、仏・菩薩を「本地」、日本の神々を「垂迹」とし、本地である仏・菩薩は日本人を救うために、この日本にやってきて日本の神々に変身(垂迹)した、と説く考えである、一部の日本の神々を菩薩の名前で呼ぶことから始まった(p118、119) ・神宮寺は、神社のなかに寺が付属施設として建てられていたが、宮寺は、神社と寺院が融合した特殊な存在である。仏教と神道はここで一体化した(p120)本地垂迹と神仏習合は、日本の精神と思想の奥深さを示した思想史上の傑作である(p122) ・吉田神道の出現をもって仏教との従属関係を逆転させ、日本の神道として自らの地位を確立した(p129) ・家康が推し進めた仏教対策として、寺請精度(檀家制度)がある。住居移転や結婚、旅行において檀那寺から発行される寺証文が必要とされたので、役所のような働きをした、さらには葬式仏教としての役割も果たした、政治的経済的にも安泰となった日本の仏教は思想史の主役から降りることになった(p136、138) ・幕末明治期の日本人が直面した状況は、飛鳥時代の大和朝廷とほぼ同じであった(p253) 2018年9月24日作成
Posted by
「脱中華」に日本思想史という副題の方が内容をよく言い当てている。 黎明期の日本が強大な支那に対して独立を保つために、儒教ではなく仏教を思想として採用した経緯。そこからの仏教の変容と儒教の対等、さらに国学が生まれていく過程を分かり易く著する。 面白いなあ。 学校の授業って、結構面白...
「脱中華」に日本思想史という副題の方が内容をよく言い当てている。 黎明期の日本が強大な支那に対して独立を保つために、儒教ではなく仏教を思想として採用した経緯。そこからの仏教の変容と儒教の対等、さらに国学が生まれていく過程を分かり易く著する。 面白いなあ。 学校の授業って、結構面白いことをやってるのに、なんで面白いと思わせてくれないのか、逆に不思議でしょうがない。 ただ、明治維新以降に日本が採用した中華的思想についての位置づけが作者もできていない。今後の課題としている。 それも好感だな。
Posted by
- 1