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世界の共同主観的存在構造 岩波文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
| 発売年月日 | 2017/11/01 |
| JAN | 9784003812419 |
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世界の共同主観的存在構造
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世界の共同主観的存在構造
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商品レビュー
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20世紀後半の日本の哲学者、廣松渉の著書。 ハイデガーの『存在と時間』(等)の訳者である哲学者の熊野純彦氏が、「今まで会った中で飛びぬけて魅力的な人物」という廣松渉の世界を知りたいと思い読んだ。 タイトルからおおよそ想像した中身は、人間の認識が、個々人ではなく共同体つまり社会の...
20世紀後半の日本の哲学者、廣松渉の著書。 ハイデガーの『存在と時間』(等)の訳者である哲学者の熊野純彦氏が、「今まで会った中で飛びぬけて魅力的な人物」という廣松渉の世界を知りたいと思い読んだ。 タイトルからおおよそ想像した中身は、人間の認識が、個々人ではなく共同体つまり社会の側から形成されるということであったが、大枠外れていないと思う。 特に、デュルケームを引きながら展開される最終版の議論では、 ①価値判断は社会の側から強制されて根拠となる ②強制力はやがて自己の「内なる声」となる ③集団表象の道徳が必ずしも道徳的とは限らない と問題意識を提示している。 自分の狭い日本の思想・哲学の知識では、吉本隆明の『共同幻想論』や、浅田彰の『構造と力』におけるパノプティコン(監視台)としての「内なる監視の目」という議論に近似すると感じた。 このあたりが現代の思想世界の中心的な問題意識であり続けているのだろうか。 本編は上記問題を定義したところで一旦筆がおかれているが、そのあとの附録の鼎談の内容も圧倒的だった。 特に、フッサール・ハイデガー・サルトル・メルロ=ポンティ・フーコー・デリダという20世紀の哲学・思想の流れが丸々解説されているところは、大変勉強になる。 三名の対談の一人である足立和浩氏が、現代の思想について、「狂気の復権」という言葉で語っているところも興味深かった。 「狂気」は「理性」の病ではなく、逆に「狂気」が「理性」の病をあばく。(p481) 人間の本質とは、理性なのか、狂気なのか。 20世紀の思想・哲学世界は、長い歴史の中で見ると新しくまだ評価が定まっていないと見える一方、現代日本の視点で見ると、直近すぎる故に却って古さが感じられて気恥ずかしい、という二重の理由で何となく手を伸ばしていなかった。 しかし、今回の読書から大変興味深く感じている。 廣松氏は対談の最後を「共同主観性=間主体性の問題に当面せざるをえない」(p488) と締めくくっている。 人間が他者との関わりの中で存在するしかないことは、吉本隆明やハイデガーも提示している問題意識だ。 廣松氏はマルクスについても著作があり、今後読んで理解を深めたいと感じた。 読むことについて、今さらの感、という気恥ずかしさもまだ消えてはいないが、読書は自由であることが素晴らしいと思う。
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数十年前の学生時代に読もうと思いつつ手をつけられなかった本をやっと読了。問題認識も論旨も、そして次の課題も明確だし、論の運びも明晰。確かに、いまもって「主観/客観問題」や「身心問題」、「科学の捉え方」など解決されているわけではなく、いまだに著者の問題認識は古くなっていない。面白い...
数十年前の学生時代に読もうと思いつつ手をつけられなかった本をやっと読了。問題認識も論旨も、そして次の課題も明確だし、論の運びも明晰。確かに、いまもって「主観/客観問題」や「身心問題」、「科学の捉え方」など解決されているわけではなく、いまだに著者の問題認識は古くなっていない。面白い。特にこの岩波文庫版はとても丁寧にルビがふってあって、注も充実しているので読みやすい。
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廣松渉独自の認識論、存在論が第1部と第2部に分かれて展開されていく。フッサール、ハイデガー、サルトルなど近代以降の哲学者をいくつか引用して、人々が、ある物事をどのように共有して対象を認識するのか、すなわち「共同主観化」とはどのような構造となっているのかを深堀する。個々人の自己形...
廣松渉独自の認識論、存在論が第1部と第2部に分かれて展開されていく。フッサール、ハイデガー、サルトルなど近代以降の哲学者をいくつか引用して、人々が、ある物事をどのように共有して対象を認識するのか、すなわち「共同主観化」とはどのような構造となっているのかを深堀する。個々人の自己形成にあたって、歴史や社会とのかかわりがポイントで、とりわけ、言葉という概念が共同主観化が発生する鍵となることが読み取れる。 ちなみに、本書の解説を担当するのが著者の直弟子にあたる熊田純彦で、そこには廣松渉の経歴、思想や本編の要点をあげている。実際に読んでみるとわかるが、文章中に使われる漢字が普段馴染みのないものばかりで、読みづらい印象をもった。そのため、最初にあえて解説部分を読んで、そのあと本書に取り組むと、思想の骨格を掴みやすいかもしれない。
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