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縄文の思想 講談社現代新書2454
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縄文の思想 講談社現代新書2454

瀬川拓郎(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2017/11/15
JAN 9784062884549

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縄文の思想

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商品レビュー

4.1

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2026/01/02

日本の社会の形が弥生時代、農耕社会より始まった、というのことは事実としては正しいと思う。 縄文文化→弥生文化とすると、縄文文化を前社会的とする感覚になるが、果たしてそうなのか? 世界遺産に選ばれた「北海道・北東北の縄文遺跡群」を調べると、どうもそうではないような気がする。 どこか...

日本の社会の形が弥生時代、農耕社会より始まった、というのことは事実としては正しいと思う。 縄文文化→弥生文化とすると、縄文文化を前社会的とする感覚になるが、果たしてそうなのか? 世界遺産に選ばれた「北海道・北東北の縄文遺跡群」を調べると、どうもそうではないような気がする。 どこかで縄文文化、縄文社会について気になるところがあり、福岡伸一先生の薦めもあり、本著を手に取る。 「海民」の存在、南北のつながり(沖縄からアイヌまで)、自分が住む瀬戸内にも関係する内容は興味深いものばかりだった。 ある意味で閉塞的な農耕社会とのアンチとしての海民社会、縄文社会を捉えていることも、現代の日本にとっては学ぶべきところかもしれない。 以下引用~ ・北海道縄文人は、伝統的な「旧石器的生業体系」を維持しながら、そのことによって異文化の産物を入手することが可能だったのであり、もともと植物食への依存が大きくなかったこともあって、農耕を積極的に導入する意味はなかったのです。 ・(アイヌにとって)海の神がむかった「高山」とは、死霊と祖霊の世界の境界であり、山の女神はその世界の住人であったことになります。つまり、海の神の山中往還譚は、海の神がなき女神を訪ねる、他界への往還譚にほかならないのです。 ・生命の誕生や成人は、祖霊の生まれ変わりや祖霊による祝祭とむすびついており、山の神はその祖霊だったということになるのです。 ・海民、アイヌ、南島の人びとの伝説では、海と山の二元的な世界観が語られており、その二つの世界は他界によって有機的にむすびついていました。 そのむすびつきは、洞窟と高山という現実の空間をつうじて可視化され、生者である海の神と死霊・祖霊である山の女神の交流という神話によって論理的に了解されていたのです。 ・山の神をめぐる農耕民の世界観は、「海」と「山」という縄文の二元的な世界観が変形されたものであり、したがって縄文の世界観の継承であると同時に、構造的な変容だったといえそうです。 ・縄文時代の遺跡に強い階層化はうかがえません。分配と平等は縄文の思想でもあったとおもわれます。 谷川は、平等とは分配の平等のことであり、なぜ漁民が惜しみなく分配することができたのかといえば、それが神からの授かりものだったからだ、とのべます。 ・網野善彦は、「延喜式」に記載された神選が、コメや酒などの農作物より海産物が大きな比重を占めていたことから、「日本の神々は農業神としてだけではけっして理解しがたい、著しい海の香を身につけた神々だった」とのべ、列島社会のなりたちを複眼的にとらえる海民史観を唱えました。 ・網野善彦は、海民が農耕民とは異なる独自の世界をもち、農耕民がその生活を維持するうえでなくてはならない交易相手であったこと、中世や近世初期の商人の出自も圧倒的に海民であったことをあげ、日本の社会像をいちぢるしくゆがめてきた閉塞的な「島国論」「稲作一元論」を克服するため、なにより海民の社会と歴史の研究を早急に充実させる必要がある、と訴えたのです。

Posted by ブクログ

2024/12/18

縄文時代の習俗、文化、思想について、著者の研究を紹介した本です。 この国の多くの人々の遺伝子にその痕跡が残り、文化にも大きな影響を与えている縄文人がどのような思想を持っていたのかに興味を持ち、本書を読んでみました。 ゲノム解析によって解明された人類の軌跡を綴った「種の起原」と...

縄文時代の習俗、文化、思想について、著者の研究を紹介した本です。 この国の多くの人々の遺伝子にその痕跡が残り、文化にも大きな影響を与えている縄文人がどのような思想を持っていたのかに興味を持ち、本書を読んでみました。 ゲノム解析によって解明された人類の軌跡を綴った「種の起原」という本によると、縄文時代に遺伝的に均一な集団が日本列島に住んでいたわけではなく、縄文人と分類されている人々は多様なグループから成っていたそうです。よって縄文文化とは何かを画一的に論じることはできないでしょうし、そもそも文字を持たなかった彼らの文化を精緻に知る事は不可能だと思います。こうしたことに注意が必要という前提付きですが、アイヌや南島の人々の習俗を通して縄文の思想を探った本書の仮説は非常に興味深かったです。縄文文化のポイントとして、以下があげられていました。 ①海と山の二元論 ②神と人、人と人の間の贈与による結びつき ③自由、自治、平和、平等(ただし、排斥や閉鎖性を前提としている) ④広い地域での交易と移動を前提とした緩やかな定住 ⑤ 呪術的な儀式や慣習の発達 読んでいて感じたのは、縄文文化は、国土の7割以上を占める山々と、大きな海流が巡る海に囲まれた日本特有の風土によって育まれたものだということです。縄文時代を理想郷だとは思いませんし、そこに立ち返れなどと言う気も全くありませんが、固有な文化を一万年単位で育んだ彼らの思想の残滓が今日の我々の文化にも組み込まれていることを、もっと誇って良い気もします。

Posted by ブクログ

2020/07/10

縄文文化、アイヌ文化、南島(鹿児島など)海民文化に、共通性が見られる、というところから、そこに残っているのは縄文の思想ではないか、という視点から書かれた本。 (縄文文化に文字はないので文献等から知ることはできない) 根底には、農耕(日本の弥生時代)を起源とする資本主義社会の生きづ...

縄文文化、アイヌ文化、南島(鹿児島など)海民文化に、共通性が見られる、というところから、そこに残っているのは縄文の思想ではないか、という視点から書かれた本。 (縄文文化に文字はないので文献等から知ることはできない) 根底には、農耕(日本の弥生時代)を起源とする資本主義社会の生きづらさへに対するヒントとを縄文思想に求めようという著者の意図が伺える。 弥生の農耕文化が朝鮮半島を経由して日本に広がったことはほとんど間違いない。 このとき、縄文人は弥生人に駆逐されたのかというと、遺伝子が大陸の人々と十数%異なることから、縄文人は弥生人と同化もしたであろうことが書かれている(逆に言えば現代人の80%以上は中国や朝鮮半島と共通していることになる)。 著者が縄文の思想を残しているとしているのは、アイヌと海民だ。 イレズミや抜歯といった文化が共通しているという。 また、縄文の思想はそれらの地域の口伝の神話と、『古事記』『風土記』などの文献との共通性からも見出だせるという。 それは海の神と山の神がいて、海の神が山に向かうという共通性に見られる。 もう1つはそれらの神話における(農耕の場である)平野の不在にある。 あるいは女性が太陽光により赤い卵を授かり、そこから神的な人物が生まれる神話は朝鮮とすら共通しているという。 この仮説通りであれば『古事記』などの神話の源流は縄文文化にあることになる。 この本を読むと、確かに立地的に離れた地域で神話や文化の共通性が見られ、それが縄文の思想であると考えることもできる。 一方で「共通性のみに言及」しているため、各地域の差異が分からない問題もある。 アイヌや海民のような狩猟採集文化は平等な社会、農耕文化は支配・被支配的な社会になりやすいことはすでに知られている。 狩猟採集は食物を蓄えられず小規模で、また獲得できるかは運次第にであるから、コミュニティ内で平等な分配が行われる。 ただし、本書で贈与と呼ばれている行為は物々交換に近い。 そのためマルセル・モースの『贈与論』的なものとは異なるが、「神により命を授かった」ということ自体が贈与を受けたことを意味し、その「負い目」がアイヌや海民に贈与文化を生んでいるというモース的な記述もされている。 一方、農耕は食料の生産性の高さと定住から、人口が増える。 (採集民族は多数の乳幼児を抱えて移動することは困難なので人口は一定以上増やせない) また食料の余剰が生まれ備蓄が可能なことから、管理者=生産に直接関わらない権力者や官僚が生まれる。 (彼らは生産しなくても税金、昔で言えば年貢などで暮らすことが可能だ) アイヌや海民のような狩猟採集集団が、農耕の導入を拒否した理由は本書では明らかにされていないが、本州では同じ村に住んでいてさえ、農耕民と漁業民(海民)の交流はほとんどなかったとされる。 そのため近現代でさえ、地域によっては縄文文化の痕跡と思われる信仰などが残っているという。 なお、海民は時代によっては海賊(倭寇など)でもあった。

Posted by ブクログ