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市場の倫理 統治の倫理 ちくま学芸文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
| 発売年月日 | 2016/02/12 |
| JAN | 9784480097163 |
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市場の倫理 統治の倫理
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商品レビュー
4.2
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【市場の倫理 統治の倫理】 ジェイン・ジェイコブズ 著 最近よく目にするので、少し古い本ですが読んでみました。何やら難しい論文かと思ったところ、5人が集まって話し合うという会話形式(かつてのギリシアでの対話形式を模倣)。冒頭にそれぞれの「倫理」特性15項目があり、これをベース...
【市場の倫理 統治の倫理】 ジェイン・ジェイコブズ 著 最近よく目にするので、少し古い本ですが読んでみました。何やら難しい論文かと思ったところ、5人が集まって話し合うという会話形式(かつてのギリシアでの対話形式を模倣)。冒頭にそれぞれの「倫理」特性15項目があり、これをベースに進めていきます。 必要なものを縄張りから取得(take)するか、お互いが取引(trade)するかの二つがあり、前者は動物同様で、後者だけが人間に行えることとしています。そして、前者を集団秩序維持するための「統治の倫理」、後者を他者との協力関係を築く「市場の倫理」と命名し、相互に矛盾・対立すると分析しています(単にこの二つでよいのかについては、本文中でも議論されています)。本書の特徴は、この立証のために社会学、歴史学、生態系などの広範な知識が投入され(日本のことや老子までもが登場)、全編を通じて飽きさせない点です。 「経済計画を統治者の手にゆだねれば統治者優先の計画になるだろう。こうした投資を統括する計画機構は本質的に、発展可能な生産や商業を生み出す役割を果たすのではなく、つぎつぎと自分たちに都合のいい仕事を大量につくり出す政治的事業の渦と化す」とあり、「統治の倫理」下にある政府がやることは、統治者側に利が及ぶように設計されていると述べます。考えてみれば、政府は毎年、経済政策をやりますが、あまり国民生活に寄与しない(ただ税収は増える)ことを考えると納得の一冊です。
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著者が15年かけて気づいたという二つの倫理体系「市場の倫理」と「統治の倫理」、その由来や関係の恒常性を多数の事例や引用で紐解くのだが、それがプラトンから明治維新、グラミン銀行からロッキード事件まで、古今東西・縦横無尽といった豊富さ(と、奔放さも感じる)で圧倒されます。最初のいざこ...
著者が15年かけて気づいたという二つの倫理体系「市場の倫理」と「統治の倫理」、その由来や関係の恒常性を多数の事例や引用で紐解くのだが、それがプラトンから明治維新、グラミン銀行からロッキード事件まで、古今東西・縦横無尽といった豊富さ(と、奔放さも感じる)で圧倒されます。最初のいざこざパートを超えれば、そこと繋がるのか…!という面白さの連打。 対話するメンバーそれぞれの立場からくる熱量、絶望や諦観など、生身の感情も特徴的で、ともすれば自分の理解する範疇で「わかったつもり」になりがちな倫理というテーマの中で、多様な考え方・感じ方をふまえた重層的な理解ができる感じも素晴らしいなと思いました。
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「熱狂的な人というのは自己任命の統治者で、自己任命の検閲官だろう」 ここでの熱狂的な人というのはいわゆるプロ市民であり、ツイフェミのこと。本書では歴史の出来事の中から、道徳規範には統治の倫理と市場の倫理という2つの倫理体系があることを発見し、それらを意図的に混同することで社会...
「熱狂的な人というのは自己任命の統治者で、自己任命の検閲官だろう」 ここでの熱狂的な人というのはいわゆるプロ市民であり、ツイフェミのこと。本書では歴史の出来事の中から、道徳規範には統治の倫理と市場の倫理という2つの倫理体系があることを発見し、それらを意図的に混同することで社会は腐るとしている。なので、自己任命の統治者とは、市場の倫理に都合よく統治の倫理を持ち込んでいる者と言える。 この2つの倫理体系の混同は初等教育の段階からすでにそうであり、教育では、統治の倫理により集団を維持しながら市場の倫理により他者との協調を教える。 学校教育は軍隊をモデルとしており、集団行動や閉鎖性は「規律」や「排他的であれ」という倫理観である。一方、学校で行われるのは、テストやグループワークでありこれは「競争せよ」や「他人や外国人とも気安く協力せよ」や「創意工夫の発揮」という倫理観である。 2つの倫理観の混同が教育からすでになされているということは、育てるはずの教育において、育て腐らしてるということになる。 2つの倫理体系の内、市場の倫理はふに落ちるけど、統治の倫理に違和感あった。読むと確かに理解はできるけれど、違和感は拭えなかった。それは自分が(統治ではない)市場の中で育ち生きているからだと分かった。 例えば、市場の倫理には「正直たれ」という規範がある。これは不正直が多すぎると健全な商取引が阻害されるためで、とてもふに落ちる。確かにそうだろう。 では、統治の倫理には何があるかというと、「目的のために欺け」という規範がある。ここで私の頭の理解は止まる。目的のためとはいえ、欺いたらだめだろうというは市民からして政治家を評じる時の姿勢である。 この「目的のために欺け」を説明する文章では、スパイ活動、私服警官、囮捜査などが挙げられており、たしかに欺いている、そして、にもかかわらず正当化されている。 こう言った統治の倫理は公教育で教えられることはなく、あくまで集団を維持するための規律として用いられているだけである。それは、公教育が統治機構を維持するために実施されているわけではないからだ。 統治の倫理の起源は軍隊組織の遡り、学校教育も軍隊組織に遡る。では、学校が統治機構を再生産するための組織かと言えばそうでなく、それなりの(一昔前の表現では画一的で均質な)労働力を生産する組織である。この不一致が市場の倫理が歪む原因かもしれない。 統治の倫理の目的は、集団の秩序を維持することであり、公の役割を担う。市場の倫理の目的は、協力関係をきずくことであり、個の役割を担う。 法治国家と市場経済という社会を成立させる両輪がそれぞれの役割をになう。
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