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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 文藝春秋 |
発売年月日 | 2014/07/01 |
JAN | 9784163901015 |
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商品レビュー
3.1
154件のお客様レビュー
第151回芥川賞受賞作。何か起きるようで何も起きない系。とにかく描写がこのひとの強みなんだろうなと感じる。そして(個人的にだけど)時間の切り取りかたが心地よいと思う。最後の人称が姉になるところはどういう意図かは考えても分からなかった。 いいなと思った部分を一つ。 毎日歩く地面...
第151回芥川賞受賞作。何か起きるようで何も起きない系。とにかく描写がこのひとの強みなんだろうなと感じる。そして(個人的にだけど)時間の切り取りかたが心地よいと思う。最後の人称が姉になるところはどういう意図かは考えても分からなかった。 いいなと思った部分を一つ。 毎日歩く地面の下は暗渠の川が流れている。水道やガスの管がある。不発弾があるかもしれない。ここはどうだかわからないが、もう少し新宿に寄ったあたりでは空襲の被害があったと~(省略)~毎年の落ち葉や木の実やそこにいた小動物なんかも、時間とともに重なって、地表から少しずつ深いところへ沈んでいった。 その上を太郎は歩いていた。
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よくわからなかった。 でも、なぜがもう一度読んでみようか…という気もおきる。 途中、何気ない日常が描かれていて 私の過去とは何も同じことはないのだけど 不思議と 実家のことや 亡くなった父のことや 父は亡くなったということを未だ実感できてないこと、 父に連れて行ってもらった早...
よくわからなかった。 でも、なぜがもう一度読んでみようか…という気もおきる。 途中、何気ない日常が描かれていて 私の過去とは何も同じことはないのだけど 不思議と 実家のことや 亡くなった父のことや 父は亡くなったということを未だ実感できてないこと、 父に連れて行ってもらった早朝の公園のこと、 でも愛されていなかったんじゃないかと思っていること、 ずっと一人でいた部屋の窓のサッシのことを思い出した。 ストーリーはよくわからないのに不思議な本だった。
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一読した時は何も感じず、そのうっかりすると、読み手の側を、いともあっさりと通り抜けていくような掴み所の無さは、主人公の「太郎」や、写真集『春の庭』に魅せられた、「西さん」といった、あまりにもありふれていて印象に残らない名前だからこそ、再読することによって、少しずつ見えてきたこと...
一読した時は何も感じず、そのうっかりすると、読み手の側を、いともあっさりと通り抜けていくような掴み所の無さは、主人公の「太郎」や、写真集『春の庭』に魅せられた、「西さん」といった、あまりにもありふれていて印象に残らない名前だからこそ、再読することによって、少しずつ見えてきたことを、拾い上げてみる。 本書の主人公である太郎は、何をするにも面倒になりそうなことを回避する質ではあるが、先の先にもっと面倒なことになるところまでは考えない大雑把な一面とは対照的に、自分の生きている世界に対する見方は、とても繊細なものがあると感じ、それは自分の暮らすアパートのみならず、日常で見かける動植物や建造物、更には町の構造や地面の下に長い間存在するものへと思いを馳せる姿に、自分自身を慰めているような印象を抱かせた、それは人間のみならず、彼らと共に移り変わる世界と共存共栄することに生き甲斐を見出しているようなセンチメンタルさがありそうで、実はそうでは無い、淡々とした、ものの見方が却って気になってしまう。 しかし、そんな彼の見方に於いて、時折、彼のモノローグに現れる、亡くなった父親への思いには、一際特別な思いがありそうで、それは、かつて人が住んでいた空き家を見るときの、彼の思いと似ているような気がする。 それは彼が未だに、すり鉢と乳棒を目に見えるところに置いておきたい気持ちとも重なった、現実だったものが現実で無くなってしまうことに対する恐怖心であり、それは雲の上から地上を眺めたときに、初めて地図と同じ形をした世界を知ることによる、彼の世界に対する安堵感へと繋がっているように思われた。 また、エゴノネコアシフシやトックリバチの巣を見た、彼の心境は、何故わざわざ面倒くさいシステムで生きているのかということであったが、それは『そうした仕組みができてしまったから続けている』といった、進化の過程に於いて、必ずしも効率性が重視されるとは限らないことに、彼自身気付いたことは、三年前の離婚時に元妻から言われた、彼自身の性格をそっと癒してくれるような、様々な生き方を後押ししてくれた出来事だったのかもしれない。 彼にとって、とても愛着のあったアパートの立て壊しが決まり、次々と去っていく住人たち。かつて人の住んでいた部屋は、空き家のように、外見は同じようでいて全く雰囲気の異なるものへと変貌してゆき、それを肌で感じ取る彼の姿には、まるで人が去ることによって、命の火が消えてしまったような建物の見えざる思いを映し取っているかのようであったが、現実はいとも容易く、それを壊して更地に変え、そして気が付いたら、何事も無かったかのように違うものが建っている。 それでも、そこで暮らしていた、人から人へと受け継がれていった建物の歴史や思い出は、何かのきっかけで人から人へと話されて、時には共感を呼びながら、いつまでも心に残るような感慨も抱かせる、そんな人と住まいとの関係性は人生とも深く密着し、より彩り深くもしてくれるのだろう。 しかし、そうした思いを抱いても、何か釈然としないものが漂うのは、物語に於いて、太郎の内面を推し量ることが出来る機会は、あくまで断片的な、時折ひっそりと顔を覗かせる程度の少なさであり、おそらく終盤の別の者の視点の描写が無ければ、もっと得体の知れない人間として印象づいただろうと思われた上に、お墓や不発弾、そして上記のすり鉢と乳棒の使い方も含め、いくつかの不穏なワードが何気なく登場しながらの、太郎自身の、西さんのことをあれこれ言っておきながら、それに矛盾した行動と、勿論それらに対して、自分事のように共感出来るのであれば、どんな奇異なものでも構わないのだが、そうした全ての出来事が、そこかしこに浮かび上がっては消えてゆくのを、ただ眺めているだけといった、結局は、最初に書いた掴み所の無い印象へと帰ってきてしまった。 人と住まいに纏わる、日常のささやかな出来事を切り取った物語は、主人公の繊細な内面を覗かせながらも、そう感じさせない言動と、写真集の家に魅せられた、西さんの怖いほどの無邪気さと、彼らを取り巻く、愛情があるのか無いのか、よく分からない人達と、どこか歯車の一つが微妙に噛み合わないような、そんな漠然とした違和感が絶えず付き纏う感じでありながら、上記のような世界と同化するような眼差しを感じられたのも確かなことが、結局は私の心に何も置いていかずに、ただ通り過ぎていったのだろうか? 出来うる限り、こうなのではないかといった、私なりに、作品の意義に思いを馳せてはみたものの、これだけ心に響くことも書いてありながら、読後に何も感じない小説を読んだのは正直久しぶりであったし、これが誉め言葉なのか、そうで無いのかも、正直なところ、未だに分からないのである。
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