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ゾミア 脱国家の世界史
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ゾミア 脱国家の世界史

ジェームズ・C.スコット【著】, 佐藤仁【監訳】

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ゾミア 脱国家の世界史

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 みすず書房
発売年月日 2013/10/07
JAN 9784622077831

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2024/07/21

(01) 「アナーキー・イン・ザ・ゾミア!」と喝采を叫びたくなるような21世紀の国家論(脱国家論)にもなっている.ただ,イデオロギーや政治論はさておき,大陸部東南アジア,現在の中国,ベトナム,カンボジア,ラオス,タイ,ビルマにまたがる高地には,低地の人々とは異なる態度で暮らしてき...

(01) 「アナーキー・イン・ザ・ゾミア!」と喝采を叫びたくなるような21世紀の国家論(脱国家論)にもなっている.ただ,イデオロギーや政治論はさておき,大陸部東南アジア,現在の中国,ベトナム,カンボジア,ラオス,タイ,ビルマにまたがる高地には,低地の人々とは異なる態度で暮らしてきた(*02),その当たり前の事実も,考えて見れば不穏である. なぜ低地と違う暮らしであったのか,それは強いられた暮らしだったのか,虐げられた結果として文明から取り残されてしまったのか,その人々は弱者だったのか,人々はその居住地を選択する自由があったのか,低地の国家とはどのような友好・敵対関係にあったのかなどの疑問に本書は少なからず答えてくれるだろう(*03). その答えは,低地国家の亜流ともいえる文明の中で暮らしているわたしたちから見ると「え,そうだったの?」という驚きがある.著者は,仮説として「ゾミア」のあったであろう姿を示しているものの,その姿の確からしさは,論拠として示され,西洋がこれまで行ってきたこの地域についての調査と文献からも説得的であると感じる.確かにそうだったらしい. 「そうだった」とすれば,わたしたちは本書からどのような現代的な意義を汲み取ることができるだろうか(*04). (02) 逆に,このような複数国家にまたがっていることが,この地域が脱国家的に営まれてきたことの証左にもなりうる.日本においても,河川流域ごとに文化圏に枠組みを与えようという試みもある.日本列島において,河川は,農地の水源でもあり,灌漑は河川の水権とともに編成されてきた.あるいは,もう一つの水利であるため池についても地形と権力によってその配置は左右されてきたことだろう.下流域は,一定の「国家」に統合され,上流域は,その各支流への分かれとともに,脱国家的な集団が遡る経路にもなり得たことが推測される.つまり日本では,信州や甲州,飛州など本州の主要な高地に,も,脱国家的なコミュニティが営まれた可能性がある. (03) 権力は労働力であり,強権的に労働力を確保するために奴隷が山地に向かって捕獲の範囲を広げていく,こうした権力の生態的な運動は興味深い.また,権力に数え上げられ,把握されることを逃れるために,山地の集団は,焼畑などによる作物の栽培へと切り替え,あるいは奴隷として強制移住されることに抵抗するための武装や逃走を身軽に実践し,交易など数々の逃げる技術を国家に放ってきたことには畏れ入る.宗教や信仰をヴァナキュラーにカスタマイズし,書き文字を捨て,口述なども選択しつつ,とにかく国家から逃れるために高地に適応してきたその生態には,驚異すら感じる. (04) 日本で言えば,近年の地方回帰や地方への移住といった人口動態の変化についても示唆を与えるところは大きい.国家といかに距離をとりつつ,快適に(幸せに?)暮らしていくか,国家から逃れることができないにしても,そのヒントが本書には散りばめられている.

Posted by ブクログ

2024/03/24

東南アジア大陸部の五ヵ国と中国の四省を含む広大な丘陵地帯を「ゾミア」という。そこには、狩猟採集や焼畑農業を営み、文字を持たず独自の言語を話す少数民族が1億人ほども住んでいた。 現代的常識では、彼らは文明化から取り残されている原始の人々という感覚かもしれない。しかし、実際のところは...

東南アジア大陸部の五ヵ国と中国の四省を含む広大な丘陵地帯を「ゾミア」という。そこには、狩猟採集や焼畑農業を営み、文字を持たず独自の言語を話す少数民族が1億人ほども住んでいた。 現代的常識では、彼らは文明化から取り残されている原始の人々という感覚かもしれない。しかし、実際のところは、もともとは文明的に統制された平地に住んでいたが、国家による徴税、賦役、徴兵、奴隷狩りから逃れるためあえて国家権力の及ばない山地に逃れた人々だった。平地からのアクセスが難しい山中で分散して住むことで、国家が支配して得られるメリットよりも、支配に要するコストが上回り、結果として国による搾取を免れるというわけだ。 そのようなゾミア研究の大著となっている。読むのも大変だったけれど、違う角度から世界を見られるようになる良書だと思う。

Posted by ブクログ

2021/12/31

"ゾミア"とは東南アジア大陸部の五ヵ国と中国の四省を含む広大な丘陵地帯を指す新名称であり、その地には約一億の少数民族の人々が住み、言語的にも民族的にも目もくらむほど多様だとされる。 一般にこのような山地に住む人びとは、文明から取り残された後進的で原初的な存在...

"ゾミア"とは東南アジア大陸部の五ヵ国と中国の四省を含む広大な丘陵地帯を指す新名称であり、その地には約一億の少数民族の人々が住み、言語的にも民族的にも目もくらむほど多様だとされる。 一般にこのような山地に住む人びとは、文明から取り残された後進的で原初的な存在として認識されがちである。しかし著者はこのような捉え方に真っ向から異を唱える。ゾミアに暮らす(または世界各地の)山地民たちの多くを、「何々以前」の状態としてではなく、むしろ「以後」としての彼らの生き方を提示する。 著者は、山地で生を営むことは、山地民たち自らによる選択であり、生業(狩猟採集・移動農法)、社会組織(首長の不在・頻繁な分裂と吸収)、イデオロギー(平等主義)、そして口承文化(文字の放棄)さえもがあるものから距離を置くために選ばれた戦略だとする。その対象とは「国家」である。古代国家が誕生して以降、一定数の人々は国家からの徴税や賦役をはじめとした統治を避けるために自ら山地へと生活の拠点を移し、山地の営みに適し、国家に絡めとられないための工夫を編み出した。かつ、彼らは自分たちの社会の内部から国家が生まれてこないための機能もつくりだしていた。 ゾミアにおいて見出されるのは、このような国家形成への反応として意図的に作り出された無国家空間であり、アナーキズム史観の提示でもある。つまり、狩猟採集から灌漑農業にいたるとする不可逆的な社会発展的文明史観の否定である。そのような見立て自体が、国家にとって都合の良い社会の在り方を前提に成り立っているということになる。私個人も、学校教育で焼畑のような移動農法は環境に悪影響を及ぼす農法として否定的に教えられていた記憶があり、実はそれが誤りであるという本書の指摘に驚かされるとともに、現実に国家からみた認識を疑いなく受け容れていることを示すわかりやすい一例だろう。 本書を通してとくに従来の認識を改めさせられるのは「民族」「部族」といった集団に対する定義の恣意性と曖昧さである。このような集団の定義はおおむね国家によって「野蛮人」の烙印を押された、国家に従わない人々に対して一方的に与えられる。実際の「民族」「部族」は離散集合も激しく外部の文化や人を積極的に吸収し複数の言語を扱うことなども珍しくないため、本来は厳密な定義をすること自体が困難だ知らされる。そして、そのような集団は生来的な性質や文化、言語といったものではなく、先にあるような人々の意志にもとづいた政治的な選択によって成立する。 ここで描かれる過去のゾミアにあるような山地民の生き方は、(多くの奴隷や戦争の捕虜によっても占められた)国家に暮らす人々と比べてはるかに魅力的に映る。その魅力を支える主な要素は、やはりその平等主義だろう。それは明確な階層社会と貧富差のある平地の水稲国家とは対照的である。同時に、本書が山地民と対比して描きだし、かつ山地民と切り離せない表裏の関係にある「国家」のありようを見るにつけ、全てが一致するわけではないにせよ現代の国家にもつながる国家の本質を理解するためのヒントが数多く示唆されているのではないかと思える。 著者が何度か繰り返すとおり、本書にあるようなゾミア・山地民の生き方は1950年以降の現代のについては当てはまらない。各種のテクノロジーの向上によって実質的な距離が極端に縮まった現代では、世界中のどこであっても国家の網の目を完全に逃れての営みは不可能に近い。また、かつては低地民より山地民のほうがむしろ健康的だったという事実についても、衛生や医療が進歩した現代社会では事情が異なるだろう。しかし、それほど遠くない時代まで、人間の多くが自らの意志で国家を回避して主体的に生き方を選ぶことが可能だったという事実からは、人とその社会にある潜在的な可能性の豊かさについて希望を教えられる。それはいまの社会以外の正解は存在しないという固定観念から解き放つものである。 本文約340ページ、上下二段組。実際に読んだ感覚としてはかなりのボリュームがあった(例えば上下巻ある『サピエンス全史』以上)。本書は価値の高い良書だが、同様のテーマでもう少しコンパクトな著書をお求めなら、古代メソポタミア社会を対象とした同著者による『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』もかなりお薦めです。

Posted by ブクログ

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