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東北発の震災論 周辺から広域システムを考える ちくま新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2013/01/10 |
JAN | 9784480067036 |
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東北発の震災論
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商品レビュー
4
7件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
☆弘前市の職員派遣もかかれているし、思ったより中立的な立場で書かれている。 と思ったが、最終章がいただけない。 広域システムが大きすぎる問題点(個々の人ではなく数値として把握されている。システムの綻びや社会の破局)を指摘し、それを踏まえた上で、広域システムの合理化に対向する「知」は西洋近代と異なる論理が必要で、東北は新しい社会形成の実験場としての再生を訴えている。 しかし、その指摘の根本は我々の生活がインター・ディペンダントであることから発生するものであり、社会が段々とその傾向を強めているからに他ならない。何をどこまでディペンダントし、どこまでインディペンダントを貫くのか、そういう覚悟の問題ではないかと思う。 さらには、資本主義社会の限界もあると思う。
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あくまで「論」であって解決策が示されるわけではないけれど、この復興のあれこれにモヤモヤしたものを感じる原因がわかったような気がする。復興の遅れ…というだけでは済まされない構造的な問題を指摘。新しい社会が形成されていくことを願う!
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数か月前に読み終えていたのだけど、どうにもうまく咀嚼できずにいた。 本書では、東日本大震災を以下の3つのキーワードで読みとくことを試みている。 1.広域システム 2.中心と周辺 3.主体性 日本は多神教であり、家、自治体、天皇制のような親子関係で構成されてきた。 一方で...
数か月前に読み終えていたのだけど、どうにもうまく咀嚼できずにいた。 本書では、東日本大震災を以下の3つのキーワードで読みとくことを試みている。 1.広域システム 2.中心と周辺 3.主体性 日本は多神教であり、家、自治体、天皇制のような親子関係で構成されてきた。 一方で、西欧は一神教であり、個によって構成されてきた。 西欧では主体性を個に求められるが、日本でも同様に主体性を個に求めることは可能なのだろうか。 上記の社会構造の違いによって、日本での主体性は個よりも関係性に求めるべきなのかもしれない。 昭和までの市町村合併は、疑似親子化による下位化だった。 しかし、平成の大合併では中心による周辺の吸収であり、広域システム化に変化した。 広域システムによって経済的な豊かさを享受できるようになった反面、周辺特有の中心と異なる周辺の文化や暮らしは切り捨てられる可能性が出てきた。 システムが巨大化することで、主体であった人が客体化し、周辺化されていった。 システムが小さいうちは主体となれた社会的な関係性が、広域システムでは周辺に追いやられてしまうのである。 周辺に追いやられ、主体であったはずが切り捨てることが可能なモノとされてしまう。 これは、ヨーロッパ思想界では1970年代に人のモノ化として提示された現象に似ていると。 この人のモノ化と対峙する時、日本では社会的な関係性に主体が存在するとしたら、個に主体性がある西欧と異なるスタンスを探るべきなのだろう。 あるいは、西欧の制度を取り込み始めてそろそろ150年であり、日本でも個が主体性を発揮する時代になっていくのだろうか。 一神教と多神教の対比で、中沢新一さんの「日本の大転換」が想起された。 「日本の大転換」は読んでもまったく腑に落ちなかったけど。
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