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評伝 今西錦司 岩波現代文庫 社会238

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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2012/03/19 |
JAN | 9784006032388 |
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評伝 今西錦司
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評伝 今西錦司
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今西錦司に憧れた高校生の本多勝一は彼を尊敬し崇拝したが京大探検部で実際に接して崇拝はなくなり尊敬が増したと言う。今は腹黒さと冷静さが二大特徴で「現代の世界百傑の一人くらいには入る偉大な人物」でそんな今西錦司が「好きだ」とも言う。 京大探検部の「ルーム日誌」に今西錦司論がある。 ...
今西錦司に憧れた高校生の本多勝一は彼を尊敬し崇拝したが京大探検部で実際に接して崇拝はなくなり尊敬が増したと言う。今は腹黒さと冷静さが二大特徴で「現代の世界百傑の一人くらいには入る偉大な人物」でそんな今西錦司が「好きだ」とも言う。 京大探検部の「ルーム日誌」に今西錦司論がある。 ・後輩の面倒を後々まで見ない。 ・いかに仲間であっても、使い物にならないと知る と、すぱっと縁を切る。 ・今西のやっている学問など、学問の中に入らな い。 ・今西が今のような地位にあるのも、周囲に秀れた 人々がいたという特殊事情があったからに過ぎな い。 ・今西の「引きずり込んだまま面倒は見ない」やり 方の犠牲になった例がいくつかある。 ・決して「引っぱる」ことをしない。ついてこない ものは、全く何の容赦もなく捨て去る。 ・口では愉快なことをいっても、腹では何を考えて いるかわからない。うかうかしていると、知らぬ 間にすっぽかされる。 ・あんなのは商人的ずる賢さで、古武士の風上にも おけない。 ・あれはプロだ。プロとしてああいうことをやるん ででもなかったら、決して近寄るな。 ・大ダヌキだ。 部員が自由に意見を記し反論があればそれを述べるという基本方針で書かれている。 反語的表現だが今西の本性を穿っている。 今西錦司は京都西陣の富裕な織元の跡取りに生まれ30人が暮らす大家族の豪勢な環境に育つ。 生来自由とリーダーシップが身上で「わしはリーダーにしかなれまへんのや」と言う。 京都一中で生涯の友西堀栄三郎に出会い山岳部「青葉会」をつくって山登りを始める。三高で二人に加えて「三高の三羽烏」高橋健治・桑原武夫・四手井綱彦を加えて三高山岳部を発足させる。三高・京大時代山行きに明け暮れ初登山にこだわり国内の峰々を登り尽くす。京大を卒業して1928年京都大学学士山岳会(AACK)を結成しヒマラヤ登山を目指すも満州事変で中断、1934年白頭山遠征でヒマラヤ行の準備をする。戦時下も「地図の空白を埋める」大興安領探検のフィールドワークに励む。 学問では、京大農学部入学以来カゲロウの研究から野生ウマ・ニホンザル・アフリカのゴリラ研究へと進み、生態学・動物社会学・霊長類学を経て種社会発展説の「今西進化論」を打ちたてる。それは人類の誕生・文明の成立・未来の予見に及びダーウイン「種の起源」の向こうを張るもので、ついには自然科学の領域を突き抜けた独自の自然学を提唱するに至る。 今西進化論の体系的構想は西田哲学を学び田辺元の種の理論に共鳴するホーリズムの考え方で京都学派に通じる哲学的世界観から出発している。西欧近代の個人・自我という観念より社会のなかの一つにまとまった有機的単位を重視して競争原理よりも協調原理を強調するものであった。 俊英が今西のもとに結集し、1939年「ベンゼン核」(梅棹忠夫・川喜田二郎・吉良龍夫・藤田和夫・伴豊・和崎洋一)を結成してともにパイオニアワークを目指す。飛び級の秀才が留年を繰り返す。彼らは戦時中も満州や蒙古での探検活動に奔走する。 今西は日本の敗戦を「現地に溶け込まず遊離していたから敗走した」と総括する。 戦後1952年ヒマラヤ登山で、名より実をとり主体を日本山岳会に譲る。今西は50歳でアンナプルナの反対側チュルーの頂上で初のヒマラヤ登頂を果たす。 1956年AACK会員で同名の今西が日本山岳会の立場でヒマラヤジャイアント・マナスルの登頂に成功する。その時既に今西の気持ちはヒマラヤにはなかった。桑原武夫は言う「学問でも登山でも、彼は一定の方針をあくまで推し進める。しかし、それが絶対に不可能だという直感に到達すると、彼はとたんに転身する。この妙義の説明は容易でない」と。 1973年から4年間日本山岳会会長になり、1987年緑内障で片目が見えない状態で家族や関係者の世話になり1552山目の登山を最後に、1992年90歳の生涯を閉じる。 本田靖春は流石に期待を裏切らない。 かつて梅棹忠夫の『文明の生態史観』を読み彼の構想に衝撃を受けた。その時彼に決定的影響を与えた師匠の今西錦司を知った。その本を久し振りに再読した。 梅棹の探検・研究への熱中が京大闘争の混乱から仲間を守り通したように、今西の満州関東軍に対応するくだりで目的意識の強さは戦争の時代環境をも超越するということを教えられた。知らないことを知ろうとする本能を体現し、学説・学会などドグマや権威に捉われず思う存分行動し考えた今西錦司の一生はいつ読んでも勇気を与えてくれる。 人間人生の可能性を讃える評伝である。
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今西錦司の、北部大興安嶺横断、戦前戦中の最中なんという贅沢かつ危険な、と不思議に思っていた。西北研究所なるものも怪しくどの様な経緯と不思議に思っていたので、本書でその辺りの経緯、ご本人の悪びれなく善悪判断以前というか無関係にスタンスに戸惑いながらもあの時代を夢と希望を持って夢の実...
今西錦司の、北部大興安嶺横断、戦前戦中の最中なんという贅沢かつ危険な、と不思議に思っていた。西北研究所なるものも怪しくどの様な経緯と不思議に思っていたので、本書でその辺りの経緯、ご本人の悪びれなく善悪判断以前というか無関係にスタンスに戸惑いながらもあの時代を夢と希望を持って夢の実現に近い生き方をされていたのは大変に稀有なこと。 川喜田氏や中尾佐助氏など今西錦司グループの方々との付き合いもしっかり書かれて豊富な、側近たちの生の声インタビュー。楽しい。224ページあたりの中尾佐助氏とネパールヒマラヤ旅するくだりが微笑ましく痛快に楽しい。知のレベル、探求のレベル、が、今風にいえば、現在とはレベチな面々で、この一派の書物は研究分野に親しくなくとも、むしろ全くの門外漢で疎くても面白くあっという間によんでしまう。
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「山と渓谷社」で連載されたものですから、今西錦司氏の学者としてのお話ではなく、90%は「山」の話です。 でも、今西氏の「山」を語らないでは、氏の「学問」への理解度が減少するかもしれないなとは思わせてくれる。 自然科学から自然哲学へ、それが西田哲学にも繋がっているということも、氏の...
「山と渓谷社」で連載されたものですから、今西錦司氏の学者としてのお話ではなく、90%は「山」の話です。 でも、今西氏の「山」を語らないでは、氏の「学問」への理解度が減少するかもしれないなとは思わせてくれる。 自然科学から自然哲学へ、それが西田哲学にも繋がっているということも、氏の「山」にかける人生から当然のように出てくるのかもしれない。 とてもよくできた評伝だと思う。
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