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語りきれないこと 危機と傷みの哲学 角川oneテーマ21
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 角川学芸出版/角川グループパブリッシング |
| 発売年月日 | 2012/02/13 |
| JAN | 9784041101094 |
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語りきれないこと
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商品レビュー
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17件のお客様レビュー
昨年の大震災の後、さまざまな「ことば」が飛び交うようになりました。「がんばろう日本」「絆」といった言葉です。それらはもちろん、被災者へ向けた励ましであり、被災しなかった国民に対して共に力を合わせようという呼びかけの言葉です。しかし私は、被災者へ心を傷めながらも、メディアを通じて伝...
昨年の大震災の後、さまざまな「ことば」が飛び交うようになりました。「がんばろう日本」「絆」といった言葉です。それらはもちろん、被災者へ向けた励ましであり、被災しなかった国民に対して共に力を合わせようという呼びかけの言葉です。しかし私は、被災者へ心を傷めながらも、メディアを通じて伝わってくるそれらの「ことば」には、どこか違和感を持っていました。被災者の計り知れない傷みに思いを馳せる前に励ましや協力を謳うことには、「ことば」の本来の意味から外れた思惑を感じました。そして、震災から一年経って、その違和感について考え、本物のことばを紡ぐことを提唱する本に出会いました。この本では、癒しの押し売りで傷ついた人たちの時間を奪うのではなく、彼らが自分のことばで人生を「語りなおす」のを、そばに寄り添い待つことが必要だと説いています。◆著者の鷲田清一さんは臨床哲学の第一人者です。著者によれば「臨床哲学」は、「臨床」という語の本来の意味の通り「病んでいる人のところへ出かけること」でなければならない。「自分の専門性を棚上げして」、「街」へ出て市民と語り合うことでなければならない。「聴く」ことと「語る」ことの相互作用の中で、じぶん自身が変わっていく。そんな場の大切さを訴えています。◆鷲田さんの本は、どれも語り口が優しく共感的です。レベルの高い知性で「上から」分析してみせるのではなく、横に座って語ってくれるようなあたたかさを感じます。だからこそ、この本の内容も説得力を持つのだと思います。〈K〉 紫雲国語塾通信〈紫のゆかり〉2012年4月号掲載
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『語りきれないこと―危機と傷みの哲学』 2025年5月31日読了 東日本大震災後に執筆されたという本作。本作は第1章から第3章からなり、第1章と第2章は地震と「語りなおし」に関すること、第3章は原発事故と専門家たちの言論について書かれている。 本作の中で心に残ったことが3つあ...
『語りきれないこと―危機と傷みの哲学』 2025年5月31日読了 東日本大震災後に執筆されたという本作。本作は第1章から第3章からなり、第1章と第2章は地震と「語りなおし」に関すること、第3章は原発事故と専門家たちの言論について書かれている。 本作の中で心に残ったことが3つある。 1つ目は「語りなおし」に関することだ。 「アイデンティティとは、じぶんがじぶんに語って聞かせるストーリーのこと」とある通り、わたしたちはじぶんがどんな道を歩んできたのか、どんな物語を紡いできたのか、過去をふりかえることで今のじぶんを形づくっている。しかし、大きな損失を被ったとき、大きな挫折を味わったときなど、それまでの物語が壊れてしまい「〈わたし〉の初期設定を変える、あるいは、人生のフォーマットを書き換える」必要が出てくるわけだ。それが「語りなおし」である。 震災は、これまで紡がれてきたじぶんの物語を、一瞬にして壊してしまう。 被害にあわれた多くの方々が、じぶんの人生の「語りなおし」を余儀なくされる。数十年とかけて積み上げてきたことを、また一から始めるのは大変なことであろう。しかし、「語りなおし」をする人々に、わたしたちにできることは「ひたすら待つ」ということだけだという。 AIやインターネットの発達によって、誰かに代弁してもらうこと、答えを出してもらうことがより簡単になった現代。「ひたすら待つ」という経験そのものが少なくなってきているし、わたしを含めそれができなくなっているようにも思う。でも、そんなときだからこそ、じぶんを作り上げようと励む人に、わたしたちはただ見守るしかないのだ。 2つ目は、「価値の遠近法」である。 本書で鷲田氏は、教養や民度を「なにかに直面したとき、それを絶対になくてはならないもの、あったらいいけどなくてもいいもの、端的になくていいもの、あってはいけないこと、この4つのカテゴリーのいずれかに適切に配置する能力を備えているということ」とし、これを「価値の遠近法」と呼んでいる。 人は、常に何かしらの判断をしながら生きている。頼まれた仕事をいつやるか、今日の夕ご飯の献立、明日のデートに着ていく服といった日常的なことから、じぶんが一生を暮らす街、人生をともに歩む人、もしかしたら愛する人の死についても決断するかもしれない。じぶんの中での価値の遠近感をつかむこと=教養とする話に、なるほどと膝を打った。 一方で、河瀨直美さんの映画『沙羅双樹』の言葉を引き合いに出し、「四分法の遠近法なんて単純なものじゃない。絶対大事なんだけれども、忘れないといけないことも、人間にはあるということです。」と第2章を締めくくっている。いまはまだ、その言葉の意味がよくわからない。でもあと十年、数十年と生きていたら、わたしにもわかるときが来るのだろうか。 3つ目は、専門家に判断を任せず、じぶんたちで考えるということ。 福島の原発事故を話の軸に、未来を見据えて考えねばならないことを、先延ばしにし続けていると指摘する。原発の話はもちろんのこと、いつかは枯渇するとわかっている資源を、大きな転換もせずに延々と使い続ける現在の社会生活。専門家の曖昧な言葉に「まだダメとは言われていないし、有効な手段が見つかるまでは…」と現状に甘んじているわたしたち。いまを生きているのは、この社会に暮らしているのは、ほかでもないわたしたち。だからこそ、専門家の話を聞いて安心するのではなく、それをもってじぶんたちで判断していかねばならない。 本章の中で、我々は行政サービスの消費者、そしてクレーマーになっているとあった。もちろん、税金を払っているのだから、そのお金でもってやってもらわなければならない政策というのはある。しかし、サービスを享受することに慣れきってしまったわたしたちは、行政がいないとなにもできないようになっているのではなかろうか。 本書で梅棹忠夫さんの「請われれば一差し舞える人間になれ」という言葉が出てくるが、誰かになにかに任せきりではなく、一人一人が社会を構成する一員として、判断する力、みなを引っ張っていく力を身につけねばならないと改めて感じた。
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311に関する哲学エッセイ。 #朝ドラおむすび で描きたい事がよくわかる内容で腑に落ちる。震災による喪失は実際に体験してみないと、わからない部分が多いのだろうけど。
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