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カンボジア ゴミ山に生きる子どもたち
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カンボジア ゴミ山に生きる子どもたち

佐々木健二【写真・文】

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カンボジア ゴミ山に生きる子どもたち

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 デジプロ/星雲社
発売年月日 2011/11/21
JAN 9784434162107

カンボジア ゴミ山に生きる子どもたち

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2023/01/03

1.購入動機 かつて相模原市に有った中古ライカ店で売られていたのをたまたま見つけた。 そこの社長がこの写真家を支援しているとの事だった。 2.感想 非常に真面目で真剣なテーマを持った写真集である。インドシナ戦争の傷跡、負の遺産は果てしなく大きく、戦後も弱者である貧しい子供達にそ...

1.購入動機 かつて相模原市に有った中古ライカ店で売られていたのをたまたま見つけた。 そこの社長がこの写真家を支援しているとの事だった。 2.感想 非常に真面目で真剣なテーマを持った写真集である。インドシナ戦争の傷跡、負の遺産は果てしなく大きく、戦後も弱者である貧しい子供達にそれが襲い掛かっているのが強烈である。 本作の事実上のヒロインは僅か10歳で命を落とした少女ネッチさんである。戦争と直接関係が無いと思う人も居られるだろうが、あのような恐ろしい戦乱が無ければ、彼女は幸福に生き続ける事が出来ただろう。生前の人懐こい微笑みと、納棺時のお顔が心に焼き付く。 著者は大変真面目でご自身の生活史とカンボジア、撮影する意味を考えておられる。 3.その他 元々は「社会派」であり「平和と民主主義に寄与」を謳っている写真団体から「人々に何が何でも伝えたい」と言うモノと熱意が全く感じられない無内容な写真集が出版されていて、出版元の名前に期待して、ついウッカリ通販で買ってしまった。社会派の写真集は私の本書の購入経緯の様に少しでも人づてで買うか、立ち読みの出来る書店で内容を確認して買うべきだろう。 私は本書を真面目な写真集であると感じたが、本書を酷評するレビュアーの方が居られる。その方の言い分は一方的には否定できない。仮に本書が氏の言う様に「ごっこ」なら以下の写真集はそれにも増して「ごっこ」の最たる物と言えるだろう。 ↓私による批判的レビュ―をご参照ください。 https://booklog.jp/item/1/4931078591

Posted by ブクログ

2013/05/04

カンボジアにあったゴミ山で暮らす人々を撮った写真集。 場所はフィリピンのスモーキーマウンテンと同じ感じ。 筑豊の子も思い出した。 一応報道写真のくくりに入れておくけど旅のアルバムと言った方が近い。 気色悪いもんを読んでしまった。 まず文章がひどい。 写真が本分であったとしても、...

カンボジアにあったゴミ山で暮らす人々を撮った写真集。 場所はフィリピンのスモーキーマウンテンと同じ感じ。 筑豊の子も思い出した。 一応報道写真のくくりに入れておくけど旅のアルバムと言った方が近い。 気色悪いもんを読んでしまった。 まず文章がひどい。 写真が本分であったとしても、伝えるつもりなら文章は大事だ。 だけどこの本の拙さは文章力だけによるものじゃない。中身が幼稚だ。 これはジャーナリズムごっこ。 ベトナム戦争の報道写真に憧れて、ぼくもああいうのやりたい!って昔の夢を再燃させているだけ。 だから形だけを真似ても薄っぺらい。 写真がモノクロなのも、理由や信念があるわけではなくベトナム報道をそのまま真似ただけに思える。 子どもを撮ってはいるけれど、ただ写しているだけ。 何を知ろうとして何を伝えようとしているのかビジョンがない。少なくとも見えない。 文章からわかるのは「ぼくがなにをかんがえたか」のみ。 その人たちがどんな人でどんな状況の中でどんな思いを持ちどんな暮らしをしているのかはさっぱりわからない。 全部自分の頭の中だけで完結している。 被写体は特定の子が多いそうだ。 ゴミ山にはスター的な子もいて、写真家たちの被写体になっていたらしい。 撮りやすい子、見栄えのする子、案内人が見せてくれる子。 そんなのはサルやイルカをパチパチ撮ってる観光客となんらかわらない。 ちょっとがんばった気になれば手に届く範囲にある見たいものを見ているだけだ。 そこにいてそこで働いて、ここの水を飲んでここの物を食って生きるしかない人を見て「たくましい」とかいう感想しか出てこないのにもぞっとする。 地雷原で働くベトナム人やイラク人を見て「あいつらはベトコン(アルカイダ)だから地雷が埋まってる場所を知っているんだ、じゃなきゃあんな場所で働けるはずがない」とのたまう米兵のような思考停止だ。 こういう視野の狭さはよくあることだから、それだけなら単に小さい人だと思うだけだけど、少女への目線が下衆で完全に嫌になった。 女子と目が合っただけで勘違いする中学生のようだ。 思春期妄想くらいなら可愛いもんだけど、先進国の中年男が貧しい少女に向ける目にはおぞけが走る。 あげくのシメが「こういう場所に何度もいくのはぼくの体によくないかもしれないけどぼくはがんばってとるよ」最悪。 ダニー・ラフェリエールが、「よくブードゥーの秘祭を見たとかっていう外国人がいるけど、あれ観光者向けのパフォーマンスか、せいぜい好意でデモンストレーションしてくれただけだからね。そう指摘するとたいてい、いや自分は現地の人と仲良くなって参加させてもらったんだって反論されるけど、お前がいる時点で秘祭じゃないって気づけよ」みたいなことを書いてたのを思い出した。 「調査されるという迷惑」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4944173547を贈って差し上げたい。 この本の中に、立松和平が「良いマレビト」を自称しているという話があった。 される側は迷惑してるのに、する側は自分が良い存在だと思ってる。 なんかそういう感じ。

Posted by ブクログ

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