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僕はしゃべるためにここへ来た
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僕はしゃべるためにここへ来た

笠井信輔【著】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 産経新聞出版/日本工業新聞社
発売年月日 2011/10/28
JAN 9784819111447

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商品レビュー

3.9

16件のお客様レビュー

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2024/11/09

「僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た」笠井信輔著、産経新聞出版、2011.11.03 285p ¥1,365 C0095 (2024.11.13読了)(2024.11.08借入) 【目次】 僕は何のためにここへ来たのか 第1章 震災発生!報道人は“食べて”はいけない 第2章...

「僕はしゃべるためにここ(被災地)へ来た」笠井信輔著、産経新聞出版、2011.11.03 285p ¥1,365 C0095 (2024.11.13読了)(2024.11.08借入) 【目次】 僕は何のためにここへ来たのか 第1章 震災発生!報道人は“食べて”はいけない 第2章 72時間超!報道人は“乗せて”はいけない 第3章 1週間!報道人は“泣いて”はいけない 第4章 東北人と関西人 第5章 被災地で出会った忘れられない人たち 第6章 2カ月…3カ月…そして半年 終わりに (アマゾンより) 私たちは〝余計な人間〟ではないか? ボランティアをしたほうが役立つのではないか?  被災者に水や食料をあげたほうがいいのではないか? 取材車で行方不明者捜しを手伝った方がいいのではないか?  いや、それならば、何のために僕はここにいるのか…。 フジテレビとくダネ!アナウンサーが覚悟を決めて書いたテレビ報道の裏側、震災報道の真実! 被災地ノンフィクションの決定版! 

Posted by ブクログ

2018/08/13

被災地取材の厳しさ、倫理的ジレンマが生々しく、でも、笠井アナの語り口は親しみやすく読むことができた。 同じ東北でも、人的被害が少ない地域では、東日本大震災の持つ意味合いは全く違うものになることを実感している今日この頃。私は内陸部に住み、津波も原発事故もリアルに体験してはいないが、...

被災地取材の厳しさ、倫理的ジレンマが生々しく、でも、笠井アナの語り口は親しみやすく読むことができた。 同じ東北でも、人的被害が少ない地域では、東日本大震災の持つ意味合いは全く違うものになることを実感している今日この頃。私は内陸部に住み、津波も原発事故もリアルに体験してはいないが、あの時のこと、その後出会った被災者らの話は忘れない。今も、生活再建に、精神的に、困難を抱えている人がいる。忘れない。

Posted by ブクログ

2013/03/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

これまでに読んできた震災関連の域を出るものではなかった。本書の中で本人も触れていることだが、TVで映像とともに物事を実況するという仕事に慣れているためか、事物への描写が時に不鮮明なことがあった。 また、私はこの本を読んで、この笠井氏についてどうしても「業界屋」の域を出る印象を受けなかった。どこと言うわけではないが、言葉の端々に「TVだから何とかなる」とか「TVだから許される」という考え方が見え隠れする気がしたのだ。 そもそも、被災地を巡りながらその特番をどうしても小倉・中野アナのどちらかにやらせようとする笠井アナ。この緊急時にこだわる点としては理解に苦しむ。 本書の中で被災地の中での己(報道人)としての立ち位置について葛藤する場面が幾度とあるが、そこまで複雑なことなのだろうかと私のような一個人は思ってしまう。要は多くの場面において、踏み込み過ぎな取材姿勢がその葛藤の一因となっていると思われるが、ならば踏み込まなければ良い。自分達で被災地に支援活動を行い、そこで体験したこと、そこで通じた人達のことを記事にする、ではいけないのか。そういったことに笠井アナが参加している映像が「英雄気取り」と取られるなら、他の社員、または他社で支援活動をしている人ではだめなのか。そもそも、被災地の支援活動を「英雄気取り」と取るならそれは情報を受け取る方が歪んでいるだけであって、そんなことは支援活動をしたこともない人たちには非難する権利すらない。そういう考え方をすると、「英雄気取り」と取られるから支援活動をしないというのはいささか筋違いな論な気もしてくる。 「映像を撮る」ということは報道においてそこまで重要視されることなのか。現地の人の感情を逆なでする危険まで冒して・・・。 遺体の確認中の家族の様子を撮ろうとした笠井以下スタッフに「撮るなー!」と激高した警察官の気持ちは良くわかる。逆になぜ撮る側はそれがわからないのか。なぜカメラを回そうとするのか、それはどんな時に用い、誰に見せたい映像なのか、いやそもそも、公共の電波に乗せる前提のカメラで撮るべきものなのか。 何らマスメディアへの不信が払しょくされるものではなかった。

Posted by ブクログ

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