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つぎはぎ仏教入門
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2011/07/23 |
JAN | 9784480842961 |
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つぎはぎ仏教入門
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仏陀の語ったとされる金口直説に最も近いとされる阿含経典から、その後まもなく派生する小乗、大乗仏教、それから中国に渡り発展する荘子的な禅宗、密教、日本で発展した浄土宗、日蓮宗などについて、大まかな知識を得れた。 釈迦自体が、カーストの身分制度に対して肯定的だった事や、女性はまず成...
仏陀の語ったとされる金口直説に最も近いとされる阿含経典から、その後まもなく派生する小乗、大乗仏教、それから中国に渡り発展する荘子的な禅宗、密教、日本で発展した浄土宗、日蓮宗などについて、大まかな知識を得れた。 釈迦自体が、カーストの身分制度に対して肯定的だった事や、女性はまず成仏出来ず、一度男性へと変体する工程を経なければ解脱出来ないなどは男尊女卑的であり、現代では受け入れ難い思想も包含している事には留意しておきたい。現代性を考えた時にそういった点が衰微の原因の一つになるなだろう。 この本を読むと、阿含経典以外は傍流で釈迦の真理から大分離れているとしているが、漱石が禅宗に傾倒し、則天去私という真理を説いた事を思い、傍流とは言え、素晴らしく傾聴するに値する思想がまたあるのだと思う。禅宗の元となった荘子の思想に触れてみたいと思った。 それから、コラムにあった漢語の漢音と呉音、宋音についての記載が興味深い。それぞれ、呉の地方音と漢民族の標準音それから唐音(宋音)で、政治や文化、宗教を通して時代も異なる時期に伝来したとされる。これまで一つの漢字に対し漢音がいくつかある理由を考えてみた事もなかったので目から鱗だった。
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「仏教の開祖」釈迦の教えはほんとうのところ極めて理知的合理的な「魂という実体は無い、ひとつの現象にすぎない」「死後は虚無」というものだった。支那に入って先祖崇拝混入で歪められ、日本で怨霊・言霊信仰で… 著者ははじめに「宗教家でも学者でもなく読書によって得た知識のつぎはぎに過ぎない...
「仏教の開祖」釈迦の教えはほんとうのところ極めて理知的合理的な「魂という実体は無い、ひとつの現象にすぎない」「死後は虚無」というものだった。支那に入って先祖崇拝混入で歪められ、日本で怨霊・言霊信仰で… 著者ははじめに「宗教家でも学者でもなく読書によって得た知識のつぎはぎに過ぎない」と謙遜するが、実は日本の仏教が「つぎはぎ」であり、それを批判するのに「無神論者」と自認する自分はふさわしいとの自負も含まれているように思われる。 民衆受けする鎌倉仏教にいたって釈迦以前のウパニシャッド哲学の(釈迦が否定した)「宇宙即我」「自我と宇宙的大我の合一」という呪術信仰になってしまって、なんと「虚心坦懐」が好みの日本では、それが主流となった。 釈迦がはじめにした説法は『十二因縁』とされており、「生が尊いのは死があるからだ、死があるから生がある」という誰も反対できない当たり前のことを説いている、たしかに死という刺激(悲劇)があるから人生に意味を求めるようになる、それが嵩じて健康法とか若さを誇ることに時間を費やしたりすることになるのだが。変化を恐れ拒絶することはいつか負ける戦いを挑むに等しい。『三法印』『四諦』『自業自得』なども言葉をかえて同じことを説いたと言える。 しかしながら著者が「人類最初のインテリゲンチャ」とする釈尊の初期の伝説の「梵天勧請」にすでに「自我法楽」と「民衆救済」の対立図式(=それは後世の「知識人と民衆」とも共通する)が見られるように、釈迦滅後百年ほどで「根本分裂」という立場の違い(=それは人生観のちがいともいえる)で「小乗」と「大乗」に分かれ、後者は「在家の修行者」という開祖と離れた行き方をとった。 ついでながら当然だが仏陀の像に作られるようになったのはかなり後の世で釈迦はたぶん(執着を捨てた証に)剃髪していたと推測される(瀬戸内寂聴によると昔は埋葬前に剃髪するものだったとか)。 もちろん図像に名号・題目を唱えるという鎌倉仏教の「修行」も日本的修行観のあらわれである。 著者は戦後民主主義はおろか明治維新も否定し、封建主義復活を夢見る熱情家。かねてから「孔子・キリストは家庭的幸福を否定した革新的思想」と宗教の世俗的ならざる力に警鐘をならし続けてきた。 著者は宗教学に素人であり、体験ではなく読書で得た知識による「つぎはぎ」で仏教を解説する、と言うが、日本の「仏教」と称するものが支那による思想変遷、個人信仰、呪術、日本の自然観などをつぎはぎして釈迦の思想と似ても似つかないものになったことを暗示しているかも知れない。/まず「存在」を物=物質としての実在と「こと」=対象として在っても実体のない現象に二分するとすれば「魂」=自我=自分以外の何モノでもない自分は後者であるとする至極当然の立場が仏教である…理知的な哲学がのちに陰徳陽報、輪廻転生、超能力と歪められたと断定する。 戦後、「葬式仏教」と伝統宗教が批判され新興宗教、新新宗教などが立ちあっがってきたが、本書で著者は「葬式仏教ですらないところに現代日本の仏教の混迷がある」と言う。人生の節目、国家・企業など共同体・組織の維持には儀式がつきもので、「宗教は儀式そのもの」とも言えるのである。まして、なにかの儀式をしないと、「人の死」は片付かないのである。 日本人のアイデンティティは家族の中でぼんやりと形成されヨーロッパ的孤高に至らないとされる(だから殺人者を親兄弟が悲しむと非難したり、彼にも親兄弟がいるからと弁護したりする)が、自我が弱いままに肥大し自己愛、自分探しに奔走してニート、ひきこもりになったりあげくに無差別殺人、ストーカー事件にいたるのも共同体が弱まって拘束力が無くなった現代の病理ではある。 著者は「上から目線」という言葉を嫌悪するという。哀れみをかけられるのを拒絶ししかもプライドを持てない自分に固執することは、人からの教えを受け取ろうとしない尊敬できる先達を持たない姿であろう。 「本が好き!」掲載日:2012年11月18日
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2012.1記。 仏教がもともとはどのような教義で成立したのか、そしてどのように変貌しながら広がっていったのか、という素朴な疑問について、かなりいろいろ示唆を与えてくれる本。 お釈迦様が最初にたどり着いた真理は、(おそらく)深遠かつシンプルなものだったのだ。それがどのように禅...
2012.1記。 仏教がもともとはどのような教義で成立したのか、そしてどのように変貌しながら広がっていったのか、という素朴な疑問について、かなりいろいろ示唆を与えてくれる本。 お釈迦様が最初にたどり着いた真理は、(おそらく)深遠かつシンプルなものだったのだ。それがどのように禅とか阿弥陀信仰、密教なんかに展開していったのか、最近の研究なども紹介されていて興味深い。 最近私が最も笑い倒したマンガ「聖おにいさん」の元ネタについていくつか新情報が得られたのも収穫。
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