つぎはぎ仏教入門 の商品レビュー
仏陀の語ったとされる金口直説に最も近いとされる阿含経典から、その後まもなく派生する小乗、大乗仏教、それから中国に渡り発展する荘子的な禅宗、密教、日本で発展した浄土宗、日蓮宗などについて、大まかな知識を得れた。 釈迦自体が、カーストの身分制度に対して肯定的だった事や、女性はまず成...
仏陀の語ったとされる金口直説に最も近いとされる阿含経典から、その後まもなく派生する小乗、大乗仏教、それから中国に渡り発展する荘子的な禅宗、密教、日本で発展した浄土宗、日蓮宗などについて、大まかな知識を得れた。 釈迦自体が、カーストの身分制度に対して肯定的だった事や、女性はまず成仏出来ず、一度男性へと変体する工程を経なければ解脱出来ないなどは男尊女卑的であり、現代では受け入れ難い思想も包含している事には留意しておきたい。現代性を考えた時にそういった点が衰微の原因の一つになるなだろう。 この本を読むと、阿含経典以外は傍流で釈迦の真理から大分離れているとしているが、漱石が禅宗に傾倒し、則天去私という真理を説いた事を思い、傍流とは言え、素晴らしく傾聴するに値する思想がまたあるのだと思う。禅宗の元となった荘子の思想に触れてみたいと思った。 それから、コラムにあった漢語の漢音と呉音、宋音についての記載が興味深い。それぞれ、呉の地方音と漢民族の標準音それから唐音(宋音)で、政治や文化、宗教を通して時代も異なる時期に伝来したとされる。これまで一つの漢字に対し漢音がいくつかある理由を考えてみた事もなかったので目から鱗だった。
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「仏教の開祖」釈迦の教えはほんとうのところ極めて理知的合理的な「魂という実体は無い、ひとつの現象にすぎない」「死後は虚無」というものだった。支那に入って先祖崇拝混入で歪められ、日本で怨霊・言霊信仰で… 著者ははじめに「宗教家でも学者でもなく読書によって得た知識のつぎはぎに過ぎない...
「仏教の開祖」釈迦の教えはほんとうのところ極めて理知的合理的な「魂という実体は無い、ひとつの現象にすぎない」「死後は虚無」というものだった。支那に入って先祖崇拝混入で歪められ、日本で怨霊・言霊信仰で… 著者ははじめに「宗教家でも学者でもなく読書によって得た知識のつぎはぎに過ぎない」と謙遜するが、実は日本の仏教が「つぎはぎ」であり、それを批判するのに「無神論者」と自認する自分はふさわしいとの自負も含まれているように思われる。 民衆受けする鎌倉仏教にいたって釈迦以前のウパニシャッド哲学の(釈迦が否定した)「宇宙即我」「自我と宇宙的大我の合一」という呪術信仰になってしまって、なんと「虚心坦懐」が好みの日本では、それが主流となった。 釈迦がはじめにした説法は『十二因縁』とされており、「生が尊いのは死があるからだ、死があるから生がある」という誰も反対できない当たり前のことを説いている、たしかに死という刺激(悲劇)があるから人生に意味を求めるようになる、それが嵩じて健康法とか若さを誇ることに時間を費やしたりすることになるのだが。変化を恐れ拒絶することはいつか負ける戦いを挑むに等しい。『三法印』『四諦』『自業自得』なども言葉をかえて同じことを説いたと言える。 しかしながら著者が「人類最初のインテリゲンチャ」とする釈尊の初期の伝説の「梵天勧請」にすでに「自我法楽」と「民衆救済」の対立図式(=それは後世の「知識人と民衆」とも共通する)が見られるように、釈迦滅後百年ほどで「根本分裂」という立場の違い(=それは人生観のちがいともいえる)で「小乗」と「大乗」に分かれ、後者は「在家の修行者」という開祖と離れた行き方をとった。 ついでながら当然だが仏陀の像に作られるようになったのはかなり後の世で釈迦はたぶん(執着を捨てた証に)剃髪していたと推測される(瀬戸内寂聴によると昔は埋葬前に剃髪するものだったとか)。 もちろん図像に名号・題目を唱えるという鎌倉仏教の「修行」も日本的修行観のあらわれである。 著者は戦後民主主義はおろか明治維新も否定し、封建主義復活を夢見る熱情家。かねてから「孔子・キリストは家庭的幸福を否定した革新的思想」と宗教の世俗的ならざる力に警鐘をならし続けてきた。 著者は宗教学に素人であり、体験ではなく読書で得た知識による「つぎはぎ」で仏教を解説する、と言うが、日本の「仏教」と称するものが支那による思想変遷、個人信仰、呪術、日本の自然観などをつぎはぎして釈迦の思想と似ても似つかないものになったことを暗示しているかも知れない。/まず「存在」を物=物質としての実在と「こと」=対象として在っても実体のない現象に二分するとすれば「魂」=自我=自分以外の何モノでもない自分は後者であるとする至極当然の立場が仏教である…理知的な哲学がのちに陰徳陽報、輪廻転生、超能力と歪められたと断定する。 戦後、「葬式仏教」と伝統宗教が批判され新興宗教、新新宗教などが立ちあっがってきたが、本書で著者は「葬式仏教ですらないところに現代日本の仏教の混迷がある」と言う。人生の節目、国家・企業など共同体・組織の維持には儀式がつきもので、「宗教は儀式そのもの」とも言えるのである。まして、なにかの儀式をしないと、「人の死」は片付かないのである。 日本人のアイデンティティは家族の中でぼんやりと形成されヨーロッパ的孤高に至らないとされる(だから殺人者を親兄弟が悲しむと非難したり、彼にも親兄弟がいるからと弁護したりする)が、自我が弱いままに肥大し自己愛、自分探しに奔走してニート、ひきこもりになったりあげくに無差別殺人、ストーカー事件にいたるのも共同体が弱まって拘束力が無くなった現代の病理ではある。 著者は「上から目線」という言葉を嫌悪するという。哀れみをかけられるのを拒絶ししかもプライドを持てない自分に固執することは、人からの教えを受け取ろうとしない尊敬できる先達を持たない姿であろう。 「本が好き!」掲載日:2012年11月18日
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2012.1記。 仏教がもともとはどのような教義で成立したのか、そしてどのように変貌しながら広がっていったのか、という素朴な疑問について、かなりいろいろ示唆を与えてくれる本。 お釈迦様が最初にたどり着いた真理は、(おそらく)深遠かつシンプルなものだったのだ。それがどのように禅...
2012.1記。 仏教がもともとはどのような教義で成立したのか、そしてどのように変貌しながら広がっていったのか、という素朴な疑問について、かなりいろいろ示唆を与えてくれる本。 お釈迦様が最初にたどり着いた真理は、(おそらく)深遠かつシンプルなものだったのだ。それがどのように禅とか阿弥陀信仰、密教なんかに展開していったのか、最近の研究なども紹介されていて興味深い。 最近私が最も笑い倒したマンガ「聖おにいさん」の元ネタについていくつか新情報が得られたのも収穫。
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仏教のそんなところの疑問を明確に説明してくれた人や本はないな。大乗非仏説。輪廻と魂の有無。自己と無我。先祖崇拝と仏教。後世に創造された大乗経典。などなど。
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仏教のエッセンスが簡潔にわかる。その上で、「現代は自我が肥大化した時代であるからこそ、我執を捨てよととく仏教の意義は大である」とまとめた最終章もおもしろかった。
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まじめに葬式仏教やりましょう、と仏教の本来を釈尊に求めるのと、上座部と大乗とその後の日本仏教とを一冊に詰め込んである。
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第1章 宗教とは何か 第2章 仏教はどういう宗教か 第3章 釈迦は何を覚り、何を説いたか 第4章 仏教の発展と変容 第5章 仏教と現代
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呉智英氏の著書は、これまで読んだことがないかもしれないと思い、手にとってみました。 まず彼は、自分が仏教徒ではなく、どの宗教にも属していないことを明記します。 そのニュートラルな視点から仏教について語っているのが本書です。 キリスト教と仏教との違いについて、著者は「仏教は覚りの...
呉智英氏の著書は、これまで読んだことがないかもしれないと思い、手にとってみました。 まず彼は、自分が仏教徒ではなく、どの宗教にも属していないことを明記します。 そのニュートラルな視点から仏教について語っているのが本書です。 キリスト教と仏教との違いについて、著者は「仏教は覚りの宗教で、キリスト教は救いの宗教」だと表現します。 仏教は「絶対存在へこちらから向かう」、キリスト教は「絶対存在が向こうからくる」のだと。 仏教に絶対存在があるのか、個人的には疑問ですが、信者のベクトルが逆さだということは理解できました。 仏教といっても、いまでは他宗派に分かれているため、まとめて語るのは難しいことです。 浄土真宗では親鸞の血を引く法主が入浴した残り湯を門徒たちがありがたく飲むことや、日蓮宗では法華経を中心にした国を建てる「立正安国論」も根本経典にしていることなど、同じ仏教徒でも、他宗派の信徒には考えられない特徴が紹介され、読んでいて驚きます。 密教の特色は「曼荼羅」による世界象徴と「真言」による世界獲得だとのこと。 もはや、釈迦の思想とほとんど関係ない宗教となっているそうです。 密教に限らず、釈迦が説いたもともとの仏教と、日本の仏教はかなりかけ離れていることも言及されています。 たとえばシャカは剃髪していなかったとか、苦行を否定し、知恵によって解脱する道を説いたとか。 禅宗は完全に中国起源の仏教であり、中核思想はほとんど荘子思想だと語られます。 荘子の思想は儒教思想の反対物であり、そのキーワードの一つが「無」。 老荘思想の荘子は道教ではなかったかしらと、なんだか混乱してきます。 そもそも大乗仏教は釈迦の説いたものではなく、キリスト教ほどではないにせよ、日本の仏教は大きな矛盾を抱えているとの指摘は、他の人々の口からも語られていますが、もはやシャカの仏教を離れた現状が日本仏教としての完成形だととらえたほうが良さそうです。 僧侶の肉食妻帯が認められた時点で、完全に別のものとなったと私は思います。 そんな日本仏教は、存続の問題を抱えているとのこと。 日本の仏教寺院は今世紀の半ばには現在の9割が消滅すると推定する社会学者がいるそうです。 檀家制度が機能しにくくなっていることと、寺の後継者難という問題は、今後一層深まりそう。 明日のことは誰にもわからない、それは仏教寺院にとっても同じこと。 著者らしい、毒舌とも思えるほどの切り口鮮やかな日本仏教論ですが、それでもおそらく宗教は人がいる限りなくなることはなく、日本仏教は、時代に合わせて形を変えながらもずっと続いていくものだろうと感じられました。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
仏教系の本を自分もいくつか乱読雑読してきた手前、それら本と同じで解説本のたぐいかな。借りたけど読まなくていいかなと思っていた。 しかしながら、いざ読み始めると違った。鮮やかな切り口とスピード感をもって、かつどの宗派(書中「祖師仏教」)にも依らず解説されている。無用に一所に止めて解説されることもなく、スッと読めるので、興味が広がった人はある意味他で補う必要があるか。あんまり順序よく 入門といいつつも各宗派がどんなんかも分かってないと読めない部分もあるので、立ち返るべき一冊とも言えるか。 檀家としてとある宗派にある身ではあるが、それを考えさせられた。供養も執着なんだろうけど、バッサリ行くにはこれまたしんどいので薄めていく力添えが宗教の役目なんだと思っているところもあるので、切れずとの関係でもあると思う。
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著者が、あくまで知識を中心としてとして(信仰心はもたないまま)仏教を理解し、解説しようとする姿に好感が持てる本。 あとがきに書いてあるが、周りの友人があまりに仏教のことを知らないので、専門が儒教の筆者が書いた仏教の解説書であり、そのうえで事実や研究、歴史などを通して、仏教の違い...
著者が、あくまで知識を中心としてとして(信仰心はもたないまま)仏教を理解し、解説しようとする姿に好感が持てる本。 あとがきに書いてあるが、周りの友人があまりに仏教のことを知らないので、専門が儒教の筆者が書いた仏教の解説書であり、そのうえで事実や研究、歴史などを通して、仏教の違いなどを明確にしている。体系的に学んでいないこともあり、書名の「つぎはぎ」という表現になっている。 まったくもって個人的な意見だが、日本人はキリスト教やイスラム教についてはいろいろとダメ出しや意見をすることが多いが、実は仏教には興味をもっていないことや土着宗教化して意見がないような気がする。その意味では、足元をもう一度確かめるためるには良い本だと思う。
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