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“緑の革命
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“緑の革命"を起した不屈の農学者 ノーマン・ボーローグ

レオンヘッサー(著者), 岩永勝(訳者)

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“緑の革命

定価 ¥2,200

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 悠書館
発売年月日 2009/09/30
JAN 9784903487304

“緑の革命"を起した不屈の農学者 ノーマン・ボーローグ

¥1,980

商品レビュー

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2016/03/09

ボーローグは緑の革命を担い、世界各地の食糧問題を解決したが、数千もの品種を交配するという努力家だったことや、夏冬の2期栽培を周囲の反対を押し切って遂行するといった常識にとらわれない発想と実行力が実を結んだことが伝わってくる。また、その前段階にはヘンリー・ウォレスによるハイブリッド...

ボーローグは緑の革命を担い、世界各地の食糧問題を解決したが、数千もの品種を交配するという努力家だったことや、夏冬の2期栽培を周囲の反対を押し切って遂行するといった常識にとらわれない発想と実行力が実を結んだことが伝わってくる。また、その前段階にはヘンリー・ウォレスによるハイブリッド種の開発実績があったこと、取り組みの結果としていくつもの国際的な研究センターが設立されたことも描かれている。 大学卒業後に収量が4倍以上になるトウモロコシのハイブリッド種を開発した実績があるヘンリー・ウォレスは、ルーズベルト大統領の下で副大統領に就任する前に、メキシコを訪問してトウモロコシ畑の収量が低いことを目にし、ロックフェラー財団に食糧生産に関する援助を相談した。メキシコは、1910〜18年の革命で大地主や教会の農地を小規模農家に再配分したが、知識や技術、資金を持たない農民の間では貧困と飢えが続いていた。現状の分析を依頼されたステークスマンは、小麦の改良種の開発に取り組む研究者のチームを結成することを提案して、当時デュポン社の生化学研究所所長を務めていたボーローグをメンバーに推薦した。 ボーローグは世界中から数千種の小麦を集めて交配し、6000個体の中からさび病に耐性がある品種を見出した。また、品種改良に要する時間を短縮するために、夏に高地で、冬に海岸沿いで交互に栽培、選抜したことにより、異なる土壌や気候に幅広い適応力を獲得した小麦を得ることができた。収量を上げるために、肥料を多く与えても丈が伸びて倒れることがない茎が短く強い種を探して矮小型の農林10号を用い、メキシコの品種と交配した。この小麦が1961年に配布されると、メキシコ国内の平均生産量は7年で2倍になった。 その後、新しい品種を世界に人々にいきわたらせるために、プログラムはメキシコ1国から国際的に転換され、パキスタンは1968年に小麦とコメを自給できるようになり、インドは1972年に小麦、74年にすべての穀物で自給できるようになった。サハラ以南のアフリカについては、日本財団の笹川良一がボーローグに働きかけて、1986年から笹川グローバル2000が始められた。 この取り組みによって、研究の世界的ネットワークも作られた。トウモロコシや小麦で取り組んでいる増産計画をコメについても行うために、1960年に国際稲研究所(IRRI)がフィリピンのロスバニョスに設立された。1963年にはメキシコの成果をほかの途上国に伝えるために、国際トウモロコシ小麦改良センター(CIMMYT)が設立された。その後、コロンビアに国際熱帯農業研究センター(CIAT)、ナイジェリアに国際熱帯農業研究所(IITA)など、合計15の国際農業研究センターが設立されている。

Posted by ブクログ

2011/11/13

今も、食べ物を手に入れることが困難で、生命の危機に瀕している人々が世界中にいることを忘れてはいけない。 そして、先進国と呼ばれる国で十分な食糧を得ている人々も、如何に希薄な安定の上に食べ物を得られているのかを考えなくてはならない。 改めて、ノーマン博士の生涯を通した飢饉との戦いを...

今も、食べ物を手に入れることが困難で、生命の危機に瀕している人々が世界中にいることを忘れてはいけない。 そして、先進国と呼ばれる国で十分な食糧を得ている人々も、如何に希薄な安定の上に食べ物を得られているのかを考えなくてはならない。 改めて、ノーマン博士の生涯を通した飢饉との戦いを知り、そう感じざるをえませんでした。 彼は、メキシコで小麦の生産効率を大幅に高めることを契機として、世界中に小麦の生産革新をもたらし、 物凄い勢いで人口が急上昇する発展途上国の食糧問題を解決するための道筋を見出しました。 彼が生涯持った問題意識は、自らがアメリカへの移民として、辺境の地に、厳しい環境で生きていくことを余儀なくされたことに始まります。 人が生きるためには、食べ物に困らない環境を作らなければならない。 単純かつ、本質的なこの想いが、小麦を変え、人の心を変え、多くの国の仕組みを変えていきました。 飽食の国、日本に存在する人間は、もっと食糧について考えなければならないのではないかと痛切に考えさせられた著書でした。

Posted by ブクログ

2010/01/09

(2010.01.09読了) ノーマン・ボーローグは、1970年にノーベル平和賞を受賞した、農科学者です。 日経新聞の夕刊に紹介されていたので、図書館から借りて読んでみました。 この翻訳本が出版される直前の2009年9月12日に95歳で亡くなっています。(本を読み終わった後、ウェ...

(2010.01.09読了) ノーマン・ボーローグは、1970年にノーベル平和賞を受賞した、農科学者です。 日経新聞の夕刊に紹介されていたので、図書館から借りて読んでみました。 この翻訳本が出版される直前の2009年9月12日に95歳で亡くなっています。(本を読み終わった後、ウェブで調べてわかりました。) 授賞理由は、「食糧難で苦しむ世界の人々の空腹を満たすために彼ほど大きな貢献をした人はいないからです。私たちが彼を受賞者に選んだのは、食料を提供することが世界の平和につながると考えているからにほかなりません」(154頁) 病気に強く収穫量の多い小麦の品種を開発して栽培方法とともに世界に広げる活動が認められたからです。栽培がうまく行くためには、受け入れる国の首脳や農業科学者に働きかけ、農民への融資や肥料の増産、政府による買い上げ価格などについて政策変更を行ってもらう必要があります。ボーローグは、必要と思われることを何でもやったようです。そういう意味で、単なる植物病理学者では、なかったということです。 国民の主食となる農作物を変更するということは、国家にとっての重要事項ということです。国民の主食は、その国で自給できることが基本になりますので、日本にとっての米は、大事ということになります。(輸入する方が安いから、作るのをやめるとはいかないでしょう。) ノーマン・ボーローグは1914年生まれのノルウェー系米国人で、小学校のころは、教師一人教室一つの学校で学んだ。アイオワの農民の子として育った。 植物を育てることに夢中で、「植物がどうやって大きくななるか知りたい」という気持ちでいっぱいだった。(15頁) ミネソタ大学に入り、大学院で、植物病理学を専攻した。(31頁) 1943年、デュポン社に勤めていたボーローグに「メキシコでの飢えを克服する」ロックフェラー財団の事業に参加の誘いがあった。妻に相談したら、「飢えた人々のためにやるべきだ」とけしかけられた。 1944年9月、ボーローグはメキシコへ赴任した。 メキシコに赴任して10年の間に緑の革命を起こす主因となった三つの改良に着手した。まず、数千種の小麦を交配し、さび病に耐性のある数少ない品種を苦心して絞り込んでいった。次に「シャトル育種」計画に取り掛かった。収穫までの時間を半分に縮め、さび病に強く、世界各地で栽培できる品種の開発に成功した。さらにボーローグは、ひょろりと長かった小麦の苗を、茎が短く、茎数が多い構造に帰ることに成功した。機械での収穫に適していて、倒伏しにくく肥料の大量投入に反応しやすいこの品種ができた結果、収穫量は格段に増えた。(50頁) ●アフリカに必要なこと(184頁) アフリカには、もっと広範囲にわたる交通網が必要だ。農村部を通る砂利道もたくさんいるが、それとともに港へのアクセスを良くする舗装した幹線道路も必要になってくる。農村部の道路の舗装は、その後に行うことができる。基本的な交通網を改良すれば、農業生産は大きく加速し、民族間の対立は和らぎ、これまで教師や医者がゆきたがらなかった農村部に学校や診療所を作る助けになるだろう。 (南アジアでは、緑の革命のための輸送インフラはすでに整っていた) 人間の病気と同様、植物の病気も進化し続けるので、植物病理学の戦いは終わらない。常に病気の観察を続け、新しい病気に強い品種を作り続けないといけない。 (2010年1月12日・記)

Posted by ブクログ