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創造者 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2009/06/18 |
JAN | 9784003279229 |
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商品レビュー
3.8
17件のお客様レビュー
20代の頃、気まぐれに買った『伝奇集』がとても面白く、期待をもって次に購入したのがこの詩集。何度か読んだもののピン来ず、ハマるものが無かったので終には手放してしまった。 いま思えば、詩集に注がれるボルヘスの広大な知識を窮屈に感じたのかもしれない。博識な人が読めば2倍も3倍も楽しめ...
20代の頃、気まぐれに買った『伝奇集』がとても面白く、期待をもって次に購入したのがこの詩集。何度か読んだもののピン来ず、ハマるものが無かったので終には手放してしまった。 いま思えば、詩集に注がれるボルヘスの広大な知識を窮屈に感じたのかもしれない。博識な人が読めば2倍も3倍も楽しめる味わい深い詩集なのだと思う。
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世界の本質を綴り尽くそうという試みが表すものが結局は自分自身の輪郭であるというのは面白い。 作者の事物に対する濃縮された感覚を楽しめました。
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20世紀アルゼンチンの詩人ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899-1986)の詩文集、1960年。 訳者の「解説」によると、「文体においてつねに精確と簡潔をめざし、個人としての具体的な経験から生じた根源的な感情も抽象化と普遍化をとおしてしか表現しないボルヘス」は、「この世界について...
20世紀アルゼンチンの詩人ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899-1986)の詩文集、1960年。 訳者の「解説」によると、「文体においてつねに精確と簡潔をめざし、個人としての具体的な経験から生じた根源的な感情も抽象化と普遍化をとおしてしか表現しないボルヘス」は、「この世界についての経験のすべてを調和的かつ観念的なヴィジョンによって、或いは絶対的な価値への信仰によって可能なかぎり整序し、純粋な形式もしくは元型を追い求めてきた」(p199)。 □ ボルヘスがこの極限まで切り詰められた詩篇によって繰り返し表現しようと試みているもののひとつは、彼も作品中で書いているように「人間という存在者のその影のような虚しさ」であろう。「鏡」「夢」「死」「記憶」「迷宮」「転生」「無限循環」「無限遡行」といったモチーフも、人間のアイデンティティなるものの幻想性を淡々と表出させるために配置されているのだと思う。 「夢をよそおう夜とさまざまな形の/鏡を神がお造りになったその目的は、/影のような虚しい存在だということを人間に/悟らせるためだった。/それ故わたしたちは怯えるのだ」(p110「鏡」)。 「わたしもまた、わたしではない。シェイクスピアよ、お前がその作品を夢みたように、わたしも世界を夢みた。わたしの夢に現われるさまざまな形象のなかに、確かにお前もある。お前はわたしと同様、多くの人間でありながら何者でもないのだ」(p80-81「Everything and Nothing――全と無」)。 ボルヘスの作品には、時間、空間、属性といった具象性の重みが、どこまでも無化されていくような印象がある。超-属。しかし、人間存在の一切の規定が取り去られてしまおうとするまさにそのとき、そこには何もなくなくなってしまうのではなくて、最も elementary な無内容な何か(哀しみなど)が残るような気がする。無内容に到達してしまうそのぎりぎりの境界、透明になって消失してしまうその直前に、最後に残る何か。ボルヘスがそこを目指していたのかどうかはわからないが、彼の作品を読んで感じるあの特有の戦慄は、この「何か」が垣間見えてしまったということに由来するのかもしれない。 メルロ・ポンティは『知覚の現象学』において、人間の経験や言語の根底にはその前提条件として「身体」があることを明らかにしたそうだが、ボルヘスを読んでいると、それと類比的な人間存在の前提条件、人間が最後までそれをなぞらずにはおれない「形式」があるような気がしてくる。ボルヘスはそこに表現を与えようとしているのではないかと想像してしまう。 「わたしは思ったが、詩人というのは、/楽園の赤毛のアダムのように、/それぞれの事物に、正しい真実の/いまだ知られざる名称を与える人間なのだ」(p121「月」)。 □ もうひとつ、本書のなかで繰り返し語られているのは、人間が言語で以て世界を表現=創造しようなどという企てはそれ自体が法外で破綻に終わるしかない、ということ(「黄色い薔薇」「王宮の寓話」「月」「別の虎」「学問の厳密さについて」「エピローグ」など)。 「一人の人間が世界を描くという仕事をもくろむ。長い歳月をかけて、地方、王国、山岳、内海、船、島、魚、部屋、器具、星、馬、人などのイメージで空間を埋める。しかし、死の直前に気付く、その忍耐づよい線の迷路は彼自身の顔をなぞっているのだと」(p190「エピローグ」)。 言語で世界を包含しようとすることに論理必然的に伴う自己矛盾。そこからくる、詩人の、ひいては人間の虚しさ。 「わたしの仕事道具は汚辱と辛苦である。/いっそ死んで生まれれば良かったのでは」(p183「詩人その名声を告白する」)。
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