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新左翼とロスジェネ 集英社新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 集英社 |
発売年月日 | 2009/04/22 |
JAN | 9784087204889 |
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新左翼とロスジェネ
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商品レビュー
2.9
12件のお客様レビュー
1975年生まれのロストジェネレーションのジャーナリストが、新左翼運動とその周辺を描いた文学を紹介する注目作。キーワードは自分探し! こんな紹介文で恥ずかしくなかったのか心配。 で、これが裏表紙だが、やはり巻末に著者が「本書の作品だけで新左翼の事実を知るのは無理がある。小説はフ...
1975年生まれのロストジェネレーションのジャーナリストが、新左翼運動とその周辺を描いた文学を紹介する注目作。キーワードは自分探し! こんな紹介文で恥ずかしくなかったのか心配。 で、これが裏表紙だが、やはり巻末に著者が「本書の作品だけで新左翼の事実を知るのは無理がある。小説はフィクション。抜け落ちた論点も多い。この本は新左翼を文献資料だけで書いたと言う点で軽率」と締める。とどのつまり、本著は、左翼小説家による小説の書評本だ。 ー自分探しと言う言葉は時に揶揄的な使い方もするが、広い意味での自分探しを近代以降に生きる人間の宿命みたいなものだろう。 …分からなくもないが、自分を見失うという状態から、そこにいる実存は自分では無いと信じる幼い厨二病のような視点で革命は語れるのか。その切り口こそ迷走している気がする。いや、それも踏まえた上で、新左翼を盛大に小馬鹿にしているとも言えるのかも知れない。 高橋和巳や大江健三郎、柴田翔はもう少し広く読んでみたいなと思った。
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これ、もしかして“意外と”掘り出し物だったりするのかも? いや、“意外と”とつけたのは、これ、実は読んでいて、とにかく面白くないからだ(^^ゞ この著者って、いわゆる「学生運動」世代でじゃないらしいんだけど、まるっきりの学生運動のはまってたその世代の人が書いているようで。 やたら...
これ、もしかして“意外と”掘り出し物だったりするのかも? いや、“意外と”とつけたのは、これ、実は読んでいて、とにかく面白くないからだ(^^ゞ この著者って、いわゆる「学生運動」世代でじゃないらしいんだけど、まるっきりの学生運動のはまってたその世代の人が書いているようで。 やたら文学文学していて(個人的には左翼思想っていうのは文学にすぎないと思うw)、屁理屈の上に屁理屈を建てるから、も―、何が何やら(^^; おまけに、学生運動なんてはるか昔に生まれた人が、学生運動をしてた人が過去の憧憬で書いているみたいで、なんかちょっと笑っちゃうのだw ていうか、タイトルにある「ロスジェネ」って、ヘミングウェイとかの世代のことじゃないんだ! 恥ずかしながら、初めて知ったぞ(^^; ていうか、もしかしたら「ロストジェネレーション」はヘミングウェイとかの世代で、「ロスジェネ」はこの著者の世代を指す言葉なのかな? たださ―。 個人的には、例えば「今年の新入社員は〇△〇型」とか、「〇△世代」みたいなマスコミや評論家が勝手につくる、そういう言葉って嫌いなだよね。 上から目線っていうか、揶揄してるようで。 そういう言葉って、面白さとわかりやすさでマスコミとか評論家は飛びつくように使うけどさ。 でも、そういう言葉って、その言葉が生まれた瞬間、それを聞いた人たちがそれぞれに本来の意味からズレて使うようになっちゃうんだと思う。 それは、この本に出てくる戦後の左がかった人たちがまさにそれで。 マルクス主義だの、プロレタリア―ト対ブルジョアだのと言っちゃぁ、「そういう言葉を使ってる俺/私って賢いよね?」と思い込んじゃって。 「賢い俺/私がその思想や考えに基づく行動は全て正しい」と、若い時期に誰もが持つ暴力衝動を身勝手に発散したり。 あるいは、ちょっとでも意見の違う仲間や他者を殺しちゃぁ、「マルクス主義の革命だから」と屁理屈こねて自己満足に浸ってたってことなんだろう。 でも、それって、「IS」や「オウム」とどこが違うんだろう?と思ってしまうのもさりながら。 「学生運動」世代がそれにのめり込んだメンタリティ―って、その後にあった校内暴力や暴走族、あるいは成人式で暴れるのと全然一緒じゃん!って思ってしまうんだよね(^^ゞ だって、学生運動だって、ほとんどの人はそれがその頃流行ってたからしていたわけでしょ?(爆) うん。ま―、わかるのはわかるの。 例えば、自分は本多勝一は嫌いだけど、でも、本多勝一が自らの学生時代のことを書いた『旅立ちの記』はすごく好きで(学生運動の本ではない)。 あれなんか読むと、本多勝一にしろ、その他学生運動をしてた人、さらにはこの本の著者も、すっごく優秀で真面目な人なんだろうな―と思うのだ。 ああいう真面目さっていうのは、自分が大学生だった頃にはもうほぼなくなっていた。 だから、ある意味で、すごくうらやましい気がするのだ (もしかしたら、この本の著者もそういうところがあるんじゃないだろうか?)。 ただ、それと同時に、自分はその時代に大学生じゃなくてよかったな―と思う。 だって、その時代に大学生だったら、間違いなく左翼思想にとりこまれて学生運動してたもん(^^; 左がかった考え方というのは、必要だとは思う。 特に今の日本ではそうだろう。 ただ、それはあくまで“必要悪”だ。 左がかった考えにとり憑かれると、人は必ず上から目線になって、自らの考えとちょっとでも違う人を攻撃するようになる。 そして、それは次第にエスカレ―トしていって、人々を殺しまくったり、そこまでいかないまでも変な主張や規範で社会を歪めていく。 でも、左がかった人の主張というのは、いつの時代も「正論」なのだ。 正論だから、誰しもそれがいいことのように思えるし、また正論には逆らえない。 左がかった考え方の恐ろしさはそこにこそある。
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終章は新左翼についての頭の整理として使えそう。だが、全体的に頭に入ってこなかった。思想自体の問題かだいぶ好き嫌いでそう。
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