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正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | ナカニシヤ出版 |
発売年月日 | 2007/10/25 |
JAN | 9784779501647 |
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正義と境を接するもの
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第一部ではヨナスの責任倫理を、第二部ではギリガンらのケアの倫理を取り上げて、それらがどのような意味で従来の正義の倫理に対する反論となりえているのかを論じている。とくに第一部は、形而上学的な負担の大きいヨナスの倫理学を現代的な問題設定の中に組み入れる、スリリングな試みだ。 他者は...
第一部ではヨナスの責任倫理を、第二部ではギリガンらのケアの倫理を取り上げて、それらがどのような意味で従来の正義の倫理に対する反論となりえているのかを論じている。とくに第一部は、形而上学的な負担の大きいヨナスの倫理学を現代的な問題設定の中に組み入れる、スリリングな試みだ。 他者は私より「よい」から、という理由によってではなく、端的にそれ自身であるという点で、固有の権利をもっているとヨナスは考える。ここに、ヨナスの責任倫理とアーペルらの討議倫理との差異を認めることができる。討議倫理は、コミュニケーション可能な理性をもった、いわば等しい相手に対する責任を論じているのに対して、ヨナスの責任は、力の不均衡な相手に成立する。 では、両者の差異をどのように評価すべきなのだろうか。著者は積極的に両者の優劣をつけることはしないが、両者の対立がどこにあるのかを正確に見極めようと検討を進める。それによると、討議倫理学、とりわけアーペルは、コミュニケーション可能な人間の媒介がなければ成り立たないのに、そのような人間の存在を前提にしているにすぎず、そうした人間の存在を積極的に促すような議論を欠いている。これに対して、ヨナスの責任倫理は、私たちの世代と非対称的な未来世代に対して、私たちが責任をもつと主張している。 未来世代の人間が存在するということは、討議倫理学の想定するコミュニケーション共同体の外部条件であるが、それを外部条件として規定することは、外部を正義の倫理に内部化することになってしまう。ヨナスはただ、「人類が存続するべきでない」と考えるということは、責任の成立する条件もなくなるということであり、当の倫理的問いそのものの存立基盤が失われてしまうことであるから、責任の存続が第一の責任であると論じている。きわめて乱暴な言い方をすれば、正義の内に入らない、「正義と境を接するもの」への配慮をつねに欠かさないことが、責任を引き受けることなのである。 ケアの倫理学についても、それが正義の倫理学に対してどのような異議申し立てをおこなったのかということの検討がおこなわれ、従来の正義の倫理学に対して「正義と境を接するもの」を指摘する意義をもっていたことを明らかにし、両者の性急な統一は、「正義と境を接するもの」を消し去ってしまう危険性を孕んでいることに注意を促している。
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