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〈子ども〉のための哲学 講談社現代新書Jeunesse
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内容紹介 | 哲学者・永井均が子供のころからずっと考えていた「なぜ悪いことをしてはいけないのか。」「なぜぼくは存在するのか。」という2つの大きな疑問。本書はこの2つの疑問を解き明かす考察を基本に、子どもの時の「知りたい」を、ずっーっと考え続ける事、それこそが哲学の原点があると証明してくれます。そして本書には著者が考える哲学は自己の内奥から始めるもので、哲学した人の残した思想を理解することから始めるものではないという考えを示してくれます。 |
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販売会社/発売会社 | 講談社/講談社 |
発売年月日 | 1996/05/22 |
JAN | 9784061493018 |
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〈子ども〉のための哲学
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商品レビュー
4
70件のお客様レビュー
「なぜぼくは存在する…
「なぜぼくは存在するのか」「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という二つの問いをウィトゲンシュタインとニーチェを手掛りに徹底的に考える。議論についていくのはしんどいが、既製品の思想とは一味違った哲学の醍醐味を味わえる。
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一般に哲学は思想や…
一般に哲学は思想や思想史というものと混同され、誰がどんなことを考えたのかを理解することと思われているようだ。その証拠にこの誤解への回答であるような入門書が書店に並んでいる。以前にはやった「ソフィーの世界」などもその類の本であろう。 その点、本書は入門書ではあるが、自ら哲学するめ...
一般に哲学は思想や思想史というものと混同され、誰がどんなことを考えたのかを理解することと思われているようだ。その証拠にこの誤解への回答であるような入門書が書店に並んでいる。以前にはやった「ソフィーの世界」などもその類の本であろう。 その点、本書は入門書ではあるが、自ら哲学するめの入門書である。本書では著者自身が子どもの頃にもった「なぜぼくは存在するのか」及び「なぜ悪いことをしてはいけないのか」という2つの問いに対する考えを述べながら、哲学における考え方をもあわせて示している。もしもあなたが考えた
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
20年ぶりの再読。 学生時代に買った本ですが、大事に取ってあったので余程思い入れがったのだろう。 ・・・ <僕>の独自性の問題、そしてそれに続く道徳の問題、どちらも刺激的で面白かった。でも、それを賞賛してもなお余りあるのは最後の章の『哲学とは』ではなかろうか。 ここに、<哲学>と「哲学」の違い、あるいは<哲学>と「哲学史」ないし「思想」との違いが書かれている。 つまり、<哲学>とは実に極私的問題であり、他人が理解する必要などないもの。また学校で教えるものでもなく、個人の疑念・疑問として知らずのうちに考えてしまうもの、とも言える。 他方でそうした変人奇人たちの一連の極私的文章を「哲学」という枠で括って、教え、場合によって利用するような輩すらいる。そして哲学とは大体そのようなものだし、そうやって<哲学>もその命脈を保ってきたという。 ・・・ 高校生の頃、進学先を決めねばならなかった。そして、未熟でもあった(今もだけど)。 環境関連の仕事に興味があり化学の専攻を希望していた。が、色弱であったため、学校の先生には「進学はできても就職は難しい」と言われた。それを確認もせずにそのまま渋々従った。既に愚の骨頂であった。そして文系に進むことになった。 周囲の友人たちを眺めてみる。なぜ法学部なのか、なぜ商学部なのか。返ってくるのは「親から言われた」「給料が高そうだから」。お前ら自分の頭で考えているのか?確固たる「自分」はないのか? かくいう私も、何がやりたいかなんて全く考えていなかった。 そこで、一番役に立たなそうな学問、ということで哲学科を選んだ。 ・・・ しかし道は苦しかった。 当初、何か大変なすごい秘密が隠されているのでは、と思った。秘密の発見以前に、とにかく理解できない。日本語は言わずもがな。ドイツ語の原典は、それこそ読むというより辞書を引く時間の方が長かったくらい。 縁あって、他の大学院でも学ばせてもらったが、修士一年の夏休みには、この道はなかろう、と就職へと舵を切った。理解できない絶望感は強かった。 ・・・ 今、永井氏の作品を読んで、改めて思った。 ああ、私はある意味で普通の人間たりえたのだ。人様が当然だと思えるようなことに、立てつくように疑問を感じて、止むにやまれぬ思いを感じてしまう質の人間ではなかったのだ、と。 そして、そうした<哲学>をする人たちの私的問題は、分からなくて当然。否、分かる必要もない。ただ、類似の問題を抱えてしまった人が、「ああ、自分と同じ疑問を持ったひとにも他にいるのだ」と感じるのみ。 思えば、自分にはそのような止むにやまれぬような疑問はなかった。あるとすれば、「人は死んだらどうなるのか」とか「人は(自分は)好きな人以外にでもどうして好意をもてるのか」とかその程度であった。 前者は小学生ごろからもっていた。筆者に言わせるとそれは、<老人>の哲学に該当するらしい。宗教がそのあたりの守備範囲とのこと。いいじゃない。勉強しようじゃないの。 そして後者は学生時代に今の嫁と付き合い始め出してからむくむくともたげてきた。K.ローレンツ(動物学者)やR.ドーキンス(進化生物学者)を読み、我が物顔で彼女に「動物として、大きな胸に目が行くのは仕方ないんだって」「種として、種に踊らされているから、他人に惹かれるのは仕方ない」といっても、当然理解は得られなかった。自分から喧嘩のタネをまいていたといっても過言ではない。それでも今まだ夫婦で(だいぶ)仲良く暮らせているのは、僥倖という他ない。 ・・・ 話は逸れてしまったが、永井氏の作品。 彼のいう<哲学>とは、ひょっとしたら<人生>と言い換えてもいいのではないか。他人に自分の人生をとやかく言われて、自分の人生が傷つくだろうか。自分が満足した人生を送っているところに、他人の価値尺度は必要だろうか。きっと不要なのだ。 もちろん、金銭、地位、名誉など多くの外的な切り口で自分の評価は上下しよう。これらのラベルを目指す人々は、その上下に一喜一憂しよう。しかし、もし本当にやりたい何かを持つのであれば、他人の評価や既成の価値があなたに影響を与えるものは僅かであろう。 本作は哲学的には、毛色の異なる独我論、そして道徳の限界、について述べられているもの。でもこれらを越えて、自分の頭で考える、自分の疑問を考える姿勢を強く説くものである。 響く人には、強く響く作品。
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