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神々の明治維新-神仏分離と廃仏毀釈 岩波新書
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店/岩波書店 |
発売年月日 | 2006/02/23 |
JAN | 9784004201038 |
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神々の明治維新-神仏分離と廃仏毀釈
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商品レビュー
4.2
20件のお客様レビュー
奈良以前から輸入され、日本の国情に深く根を下ろし、荘園などももって大いに儲け大いに力を得た仏教。 中世、武装し国家に逆らう仏教徒を討伐しようと信長の時代は躍起になっていた。その反面で先進技術と抱き合わせで入ってきた耶蘇教にはある程度寛大な態度がとられたが、秀吉、家康あたりから、死...
奈良以前から輸入され、日本の国情に深く根を下ろし、荘園などももって大いに儲け大いに力を得た仏教。 中世、武装し国家に逆らう仏教徒を討伐しようと信長の時代は躍起になっていた。その反面で先進技術と抱き合わせで入ってきた耶蘇教にはある程度寛大な態度がとられたが、秀吉、家康あたりから、死をも恐れぬ耶蘇教の排斥に向かう。 耶蘇教排斥のために、元々排斥の対象であった仏教が利用されるようになったが、天皇を中心とする新国家の建設に神道を利用することが維新政府の意向で決まると、仏教の、来世や死後の世界を説く思想がそれに悖るとみなされ、仏教はまた排斥の対象となる。 結局、仏教排斥に大いに息巻いたのは、長い間仏教のもとで補佐役に甘んじてきた神道家で、政府の政策を鶴の一声とばかりに、積年の恨みを霽らすべく、一挙に仏教排斥に動く。 しかし人の死霊を弔う方法を神道はもっていない、あるいはあっても原始的すぎて、仏教の格式だった葬祭の前には霞んでしまう。江戸時代に、耶蘇教排斥にあわせて仏教の檀家にさせられ、それ以来何世代もその仏式に慣れ親しんだ庶民からすれば、今更神式で弔えと言われても確かに心もとない。本当に神式で「成仏」できるのだろうかと不安になる。 新しい時代の到来を予期して一部の藩では仏教排斥を大いに進めたが、藩制がおわってみると、日本国内にだけでなく、世界を視野に物事を考えることが必要となり、結局耶蘇教も仏教も有耶無耶のままに日本人の宗教の中に残留する。 面白かったが、引用される文はどうしても江戸時代のものが多いため、非常に疲れる。
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薩長討幕派は新政権の権威確立のため、天皇の神権的絶対性にすがり、国体神学には、その理論的根拠づけを委ねた。 明治政府の新参指導者たちが必要としたのは、天皇を中心とした新しい国家への国民の忠誠心であり、神道的な教説はそのイデオロギー的手段として採用されたにすぎなかった。 天皇...
薩長討幕派は新政権の権威確立のため、天皇の神権的絶対性にすがり、国体神学には、その理論的根拠づけを委ねた。 明治政府の新参指導者たちが必要としたのは、天皇を中心とした新しい国家への国民の忠誠心であり、神道的な教説はそのイデオロギー的手段として採用されたにすぎなかった。 天皇家には菩提寺があり、明治維新までの宮中では仏教や陰陽道、俗信などが入り混じった祭祀や行事が行われていた。宮中で行われる神道行事は大嘗祭くらいのものだったのだ。 神道国教化政策は、暴力的ともいえる勢いで行われたが、それは雑で独善的であり、廃仏毀釈の失敗どころか第2次世界大戦での敗北をももたらした。
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1979年刊行と古い本だが違和感なく読めた。神仏分離と廃仏毀釈について政治・歴史など背景を含めて解説し考察を加えている。 以前に文春新書『仏教抹殺』を読んだときは、正月飾りや七夕まで禁じた京都の事例を不思議に思いつつ読んだが、廃仏毀釈で廃絶しようとしたのは仏のみならず国家により...
1979年刊行と古い本だが違和感なく読めた。神仏分離と廃仏毀釈について政治・歴史など背景を含めて解説し考察を加えている。 以前に文春新書『仏教抹殺』を読んだときは、正月飾りや七夕まで禁じた京都の事例を不思議に思いつつ読んだが、廃仏毀釈で廃絶しようとしたのは仏のみならず国家により権威づけられていない神仏すべてであったと言われて納得。新しい開明的なもの(文明開化だけでなく国家神道もこちら)と、古くて民俗的なもの(仏教、民間の習俗)との対立軸があったようだ。明治はおもしろい
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