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パンセ 中公文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 中央公論新社/中央公論新社 |
発売年月日 | 1973/12/10 |
JAN | 9784122000605 |
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パンセ
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商品レビュー
4
23件のお客様レビュー
翻訳者の前田陽一はマルクス・アウレリウス『自省録』の翻訳者の神谷美恵子の兄である事を最近知りました。
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青年時代に三木清の『 パスカルにおける人間の研究 (岩波文庫) 』を読んで以来、キルケゴールやハイデガーの先駆者としての実存哲学風のパスカルの印象を長らく持っていた。それもパスカルの重要な一面であろうが、実際に読んで見ると『パンセ』はそれに尽きない魅力に溢れている。 一例をあげ...
青年時代に三木清の『 パスカルにおける人間の研究 (岩波文庫) 』を読んで以来、キルケゴールやハイデガーの先駆者としての実存哲学風のパスカルの印象を長らく持っていた。それもパスカルの重要な一面であろうが、実際に読んで見ると『パンセ』はそれに尽きない魅力に溢れている。 一例をあげると、パスカルは懐疑と独断のいずれにも全面的には与せず、両者の間で何とか平衡を保とうとする。この点で、極端を排する常識(コモンセンス)、あるいは良識(ボンサンス)を持った人に思える。「二つの行き過ぎ。理性を排除すること、理性しか認めないこと(断章253)」「われわれが徳の中に身を保っているのは、・・・相反する二つの悪徳の釣合によってである。それらの悪徳の一つを取り除くがいい。われわれは他のほうにおちこむだろう。(断章359)」「この世では、一つ一つのものが、部分的に真であり、部分的に偽である。・・・何ものも純粋に真ではない。(断章385)」『パンセ』には求道者パスカルとはまた一味違ったこうしたバランス感覚が随所に顔を覗かせている。 もっとも、本書は元々キリスト教の護教論として構想された未完の書物の草稿群であり、信仰のない人生がいかに悲惨であるか、信仰と理性の適切な関係はどうあるべきか、といった問題が主要テーマになっている。そして後半は聖書について相当な知識がないとかなりつらい。注と聖書本文を照らし合わせて読まなければ、断片的な記述にどんな意図がこめられているのか殆ど理解不能だ。とは言え、その大半は前半の思索を聖書の具体的な言葉に関連づけて再論したものであり、前半だけ読んでもパスカルの全体像はある程度掴めるだろう。
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20170927 人間は考える葦であるで有名なパスカルの著作。 要旨として、人間にユニークな思考力の存在を認めつつも、性悪説的に人間は傲慢か堕落に陥ってしまうことを、神の存在で中道に人間を引き戻そうというもの。 唯一神であり、預言を受けていて、奇跡を起こす宗教はキリスト教だけであ...
20170927 人間は考える葦であるで有名なパスカルの著作。 要旨として、人間にユニークな思考力の存在を認めつつも、性悪説的に人間は傲慢か堕落に陥ってしまうことを、神の存在で中道に人間を引き戻そうというもの。 唯一神であり、預言を受けていて、奇跡を起こす宗教はキリスト教だけであり、それを信仰すべきという論調である。 確かに、キリスト教が中世ヨーロッパに与えた影響が計り知れないのは知っている。7つの大罪を定め、人々の理性的な生活を確立させた習慣・成果は計り知れない。 しかし、人間が生まれながら極端にしか走れず、空想の存在である神を信じなければいけないということは、あまりにも想像力の欠如ではないか。現状認識までは共感できるが、解決策に真理・理性を感じない。それならば、人間の弱さを認識し、幸福へ修行を積む仏教の方がよっぽど肌に合う。人の思考力を重んじる上でも、キリスト教に盲目になるのは思考の放棄ではないか。それに、対立者を受け入れることなく批判し続けるのも、仏教思想と合わないし、対話の可能性も無くなっている。 人間は考える葦である 他の動植物とは違って、仮説を置き推論を立て、結論を導き出すことができる。人間をメタ視点で見てみるとどういう存在なのか、自分を客観視することで思考力の幅を広げる 繊細と幾何学について 極端には走れない。無限と零の間 信仰心=キリスト教=愛 不確かなこと→賭けることの必然性 理性、習慣、霊感 力のあるもの→正義 人間は考える葦である 中庸 完全な真理と無知の間にしか存在し得ない。 究極の真理は神である=キリスト教 人間は傲慢と怠惰のどちらかを彷徨う性悪説 神が正義と哀れみで正してくれる
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