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パンセ の商品レビュー

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23件のお客様レビュー

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2024/03/09

翻訳者の前田陽一はマルクス・アウレリウス『自省録』の翻訳者の神谷美恵子の兄である事を最近知りました。

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2023/12/28

青年時代に三木清の『 パスカルにおける人間の研究 (岩波文庫) 』を読んで以来、キルケゴールやハイデガーの先駆者としての実存哲学風のパスカルの印象を長らく持っていた。それもパスカルの重要な一面であろうが、実際に読んで見ると『パンセ』はそれに尽きない魅力に溢れている。 一例をあげ...

青年時代に三木清の『 パスカルにおける人間の研究 (岩波文庫) 』を読んで以来、キルケゴールやハイデガーの先駆者としての実存哲学風のパスカルの印象を長らく持っていた。それもパスカルの重要な一面であろうが、実際に読んで見ると『パンセ』はそれに尽きない魅力に溢れている。 一例をあげると、パスカルは懐疑と独断のいずれにも全面的には与せず、両者の間で何とか平衡を保とうとする。この点で、極端を排する常識(コモンセンス)、あるいは良識(ボンサンス)を持った人に思える。「二つの行き過ぎ。理性を排除すること、理性しか認めないこと(断章253)」「われわれが徳の中に身を保っているのは、・・・相反する二つの悪徳の釣合によってである。それらの悪徳の一つを取り除くがいい。われわれは他のほうにおちこむだろう。(断章359)」「この世では、一つ一つのものが、部分的に真であり、部分的に偽である。・・・何ものも純粋に真ではない。(断章385)」『パンセ』には求道者パスカルとはまた一味違ったこうしたバランス感覚が随所に顔を覗かせている。 もっとも、本書は元々キリスト教の護教論として構想された未完の書物の草稿群であり、信仰のない人生がいかに悲惨であるか、信仰と理性の適切な関係はどうあるべきか、といった問題が主要テーマになっている。そして後半は聖書について相当な知識がないとかなりつらい。注と聖書本文を照らし合わせて読まなければ、断片的な記述にどんな意図がこめられているのか殆ど理解不能だ。とは言え、その大半は前半の思索を聖書の具体的な言葉に関連づけて再論したものであり、前半だけ読んでもパスカルの全体像はある程度掴めるだろう。

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2023/01/09

20170927 人間は考える葦であるで有名なパスカルの著作。 要旨として、人間にユニークな思考力の存在を認めつつも、性悪説的に人間は傲慢か堕落に陥ってしまうことを、神の存在で中道に人間を引き戻そうというもの。 唯一神であり、預言を受けていて、奇跡を起こす宗教はキリスト教だけであ...

20170927 人間は考える葦であるで有名なパスカルの著作。 要旨として、人間にユニークな思考力の存在を認めつつも、性悪説的に人間は傲慢か堕落に陥ってしまうことを、神の存在で中道に人間を引き戻そうというもの。 唯一神であり、預言を受けていて、奇跡を起こす宗教はキリスト教だけであり、それを信仰すべきという論調である。 確かに、キリスト教が中世ヨーロッパに与えた影響が計り知れないのは知っている。7つの大罪を定め、人々の理性的な生活を確立させた習慣・成果は計り知れない。 しかし、人間が生まれながら極端にしか走れず、空想の存在である神を信じなければいけないということは、あまりにも想像力の欠如ではないか。現状認識までは共感できるが、解決策に真理・理性を感じない。それならば、人間の弱さを認識し、幸福へ修行を積む仏教の方がよっぽど肌に合う。人の思考力を重んじる上でも、キリスト教に盲目になるのは思考の放棄ではないか。それに、対立者を受け入れることなく批判し続けるのも、仏教思想と合わないし、対話の可能性も無くなっている。 人間は考える葦である 他の動植物とは違って、仮説を置き推論を立て、結論を導き出すことができる。人間をメタ視点で見てみるとどういう存在なのか、自分を客観視することで思考力の幅を広げる 繊細と幾何学について 極端には走れない。無限と零の間 信仰心=キリスト教=愛 不確かなこと→賭けることの必然性 理性、習慣、霊感 力のあるもの→正義 人間は考える葦である 中庸 完全な真理と無知の間にしか存在し得ない。 究極の真理は神である=キリスト教 人間は傲慢と怠惰のどちらかを彷徨う性悪説 神が正義と哀れみで正してくれる

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2020/04/13

烏兎の庭 第二部 箱庭 4.10.05 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto02/diary/d0504.html#0410

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2019/04/21

キリスト教擁護論。ヤンセニスム寄り。 でも 訴えていることは 恩寵ももちろんなのだけれど 神様の愛 ストーリーではなく いろんな思考の葉を重ね合わせたもの

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2018/03/22

人間は考える葦である、で有名な一冊。 かといって、それがどんな本なのか?という素朴な疑問から読み始めた本だったのですが、これがまた興味深くて何度も読み返した。 今のジャンルで乱暴に当てはめるならば、当時のエッセイみたいなものだよね。 ブーレーズパスカルという人が、どういった出来事...

人間は考える葦である、で有名な一冊。 かといって、それがどんな本なのか?という素朴な疑問から読み始めた本だったのですが、これがまた興味深くて何度も読み返した。 今のジャンルで乱暴に当てはめるならば、当時のエッセイみたいなものだよね。 ブーレーズパスカルという人が、どういった出来事に感銘を受けて、どういった出来事にムカついたのか。 その対処法などは現代にも通じてすごく面白い。

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2016/01/08

カテゴリ:図書館企画展示 2015年度第5回図書館企画展示 「大学生に読んでほしい本」 第3弾! 本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。 伊豆藏好美教授(哲学科)からのおすすめ図書を展示しています。      展示中の図...

カテゴリ:図書館企画展示 2015年度第5回図書館企画展示 「大学生に読んでほしい本」 第3弾! 本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。 伊豆藏好美教授(哲学科)からのおすすめ図書を展示しています。      展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。 開催期間:2016年1月6日(水) ~ 2016年3月4日(金) 開催場所:図書館第1ゲート入口すぐ、雑誌閲覧室前の展示スペース 数ある哲学の古典の中から、とくに哲学や思想史についての予備知識がなくても読める本として上記三冊をお奨めします。「おもしろい」とか「わかりやすい」とはあえて言いません。私自身、これらの本を高校から大学にかけての時期に初めて読んだときは、「わかった」とも「おもしろかった」とも思えませんでした。それでも「わかりたい」とは思い、「いつかもう一度読みたい」とも思いました。そして、これまで折にふれて読み返しては、その都度新たな驚きや感動を与えてもらっています。結局はそのような書物こそが「古典」と呼ばれるのでしょう。多少なりとも自由な時間のある大学生時代こそ、そうした書物との最初の出会いのまたとない機会です。どうかその機会を逃されませんように。

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2013/04/17

物事の価値が両義的であることを、 しっかりと捉えつつ、懐疑論に与しない。 その代わりに、キリストへの愛をもって、 人生の価値を担保しようとする。

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2013/03/23

中途半端な存在としての人間 不確実であり惨めであり、真にも善にも辿りつけないが、動物でもない。 そこで人間は考えることから逃げて気晴らしをする。賭けは賭け金が必要だが、その金がほしいわけではなく、その時間を楽しむ。何もかもが気晴らしであって、死の事実、惨めさに直面するのは不幸。し...

中途半端な存在としての人間 不確実であり惨めであり、真にも善にも辿りつけないが、動物でもない。 そこで人間は考えることから逃げて気晴らしをする。賭けは賭け金が必要だが、その金がほしいわけではなく、その時間を楽しむ。何もかもが気晴らしであって、死の事実、惨めさに直面するのは不幸。しかし逃避するのもそれはそれで不幸。そこからの逃げ道をキリスト教に求める。 良さの核心を永続性に置き、旧約と新約を折り合わせるための原理を表徴に求める(事実において合っていない部分は隠喩的表現にすぎないと解釈するということ?)。新約の中心人物としてイエスを置き、正当性の基準の一つを奇跡に求めて、奇跡について論じる。 モンテーニュ批判。自分の頭で考える、という姿勢に対していかに習慣や自己愛が人間に作用しているかで以て反論する。 終盤は教皇批判も。信仰において真理を重視することと、理性を優先することの一致。

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2012/09/28

キリスト教が絡んでくる社会情勢の中で書かれたものでしょうから,パスカルの真意をよく汲み取れていないかもしれませんが,自分流の解釈をつけながら,記録していきます。 *****  哲学をばかにすることこそ,真に哲学することである。(断章4) ⇒否定学の精神か。「心理学をばかにする...

キリスト教が絡んでくる社会情勢の中で書かれたものでしょうから,パスカルの真意をよく汲み取れていないかもしれませんが,自分流の解釈をつけながら,記録していきます。 *****  哲学をばかにすることこそ,真に哲学することである。(断章4) ⇒否定学の精神か。「心理学をばかにすることこそ,真に心理学することである」も成立するのか?  人を有益にたしなめ,その人にまちがっていることを示してやるには,彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意しなければならない。なぜなら,それは通常,その方面からは真なのであるから。そしてそれが真であることを彼に認めてやり,そのかわり,それがそこからは誤っている他の方面を見せてやるのだ。彼はそれで満足する。なぜなら彼は,自分がまちがっていたのではなく,ただすべての方面を見るのを怠っていたのだということを悟るからである。(断章9) ⇒物自体は見えない。ある側面からの解釈が全てではないという相対性を配慮しましょう。世界平和のためにも,科学論としても大事な視点だろう。

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