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ゲーム的リアリズムの誕生(2) 動物化するポストモダン 講談社現代新書
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社/講談社 |
| 発売年月日 | 2007/03/20 |
| JAN | 9784061498839 |
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ゲーム的リアリズムの誕生(2)
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ゲーム的リアリズムの誕生(2)
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商品レビュー
3.6
68件のお客様レビュー
学びについて ・文章の透明性という概念。2010年以降のラノベ(なろう)史はこの概念なしでは語れないかも、という風に思う。 ・データベースから設定を組み合わせた世界線の地続きの中で、メタの概念は"一瞬"盛り上がりを見せたように感じるが今は当時のそのままのメタ概...
学びについて ・文章の透明性という概念。2010年以降のラノベ(なろう)史はこの概念なしでは語れないかも、という風に思う。 ・データベースから設定を組み合わせた世界線の地続きの中で、メタの概念は"一瞬"盛り上がりを見せたように感じるが今は当時のそのままのメタ概念はほぼ死滅状態にあるように感じる。生き残ったのはマーダーミステリーやTRPGだなあと。 ・なぜマダミスやTRPGが生き残ったのか?についてメタ的知見から考えるのは重要なように感じるが、この本が生まれたのはそれらに翳りがあり、むしろ現代翳っている美少女ゲームが勃興している時代なので言及はなし。 ・今に生きる部分は前作・"動物化するポストモダン"の方が大きく深い。この本はロストテクノロジーについて記した歴史書くらいに見た方がむしろ良いように感じる
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本書で、著者東浩紀は大塚の議論を参照しながら、近代文学を、現実を「透明な」言語で表現するリアリズム小説に代表させ、それに対してキャラクター小説を「不透明な記号」が現実を乱反射するものとして捉えている。キャラクター小説を、近代以前の神話や民話が形を変えて復活したものと見ている。 し...
本書で、著者東浩紀は大塚の議論を参照しながら、近代文学を、現実を「透明な」言語で表現するリアリズム小説に代表させ、それに対してキャラクター小説を「不透明な記号」が現実を乱反射するものとして捉えている。キャラクター小説を、近代以前の神話や民話が形を変えて復活したものと見ている。 しかし現実を非現実的に異化したり、非現実的なものを逆にリアルに表現するような小説なら、近代文学にありふれているし、オタクたちのキャラクター小説など及ばないレベルで既にやられているのである。ここでは二項対立そのものが不適切で、後者を不当に高評価することにしかならない。 オタク的な文化を近代を越えるものとして考えるのはまったくの誤解で、それは単に近代のレベルにも到達していない未熟さを表すものにすぎないのではないか。それが日本において発展したのは日本にはその未熟さを受け入れるようなものがある、そのことが特殊なのではないか。 成熟の過程で、漫画やアニメやゲームといったサブカルチャーを卒業し、文学や芸術に進む、というふつうの道のりを経ずに、サブカルチャーに固着してしまったのが、オタクという現象なのではないか。(もちろんそのような近代的成熟概念を無効にするのがポストモダンだといえばそれまでだが。) オタクは資本主義の消費者という視点も欠けている。オタクコンテンツは資本主義商品であり、東がいう「データベース」も商品を売るためのマーケティング戦略だ。 東がいう「メタ物語的構成」も、オタク文化に特有のものではない。そもそも作品とは、創作者からその受け手に対して送られたメッセージであり、その内部的な構造だけが意味を持つようなものではない。それははじめから外部環境の産物であり、作者も受け手もそのことを意識している。 ただのオタク文化がポストモダン文化であり、これまでの近代的文化を超えるものであるかのような過大評価が行われている、という印象を持った。私は、オタク文化がそれほど重要な意義を持つものだとは思えない。 もうひとつ指摘しておきたい重要なことは、ゲームといえば、さまざまなものがあるのになぜ美少女ゲームを中心に語るのか。仮に「ゲーム的リアリズム」のようなものがあるとしても、それを美少女ゲームだけを対象にして分析できるのか。 この本が出た当初は、いまと時代状況が違ったのかもしれない。しかしいまになってみれば、オタク文化が文化の中心になることはなかったとはっきり言えるのである。後出しじゃんけんのようだが、そういうことだ。
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自身もオタクであり、何となく肌感覚として『萌え』が分かる側の人間なのでそこそこの実感を伴って読めた。二次創作やメディアミックス等、マルチに展開する現状のサブカルチャーを文学的 もとい作者の恣意性ではなく環境に基づいて分析したという点が画期的なのだろうか。 筆者はメタ物語性という言...
自身もオタクであり、何となく肌感覚として『萌え』が分かる側の人間なのでそこそこの実感を伴って読めた。二次創作やメディアミックス等、マルチに展開する現状のサブカルチャーを文学的 もとい作者の恣意性ではなく環境に基づいて分析したという点が画期的なのだろうか。 筆者はメタ物語性という言葉を多用し、読者=プレイヤーのメタレベルを前提とした作劇の為されている(作者が意図していなかったとしても、結果的にそうなっている)作品を幾つか例として挙げている。この読者としての自意識が文学の批評に参入してくる点については、昨今の『推し活』的な文化にも通ずるものがあるのではないか。『推し活』は対象を『推す』こと自体が目的ではなく、寧ろ対象を推す行為によって自己のアイデンティティを確立することが第一義とされている(と、最近の世相を見ると思われる)。そこにはキャラクター=『推し』への感情移入ではなく、キャラクターを通して外在化されるプレイヤー=自分への感情移入ないしは愛情がある。 このように一見関係が無いとも思われる部分まで筆者の論を採用してみると、本作が文学のみに留まらず、ポストモダンの消費活動全般を通観して論を纏めていたことも頷ける。 ただ、もう少し精読したり前作を読んだりしないと確証めいたことは言えない。頓珍漢なことを言っているかも。
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