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スピノザ 「無神論者」は宗教を肯定できるか シリーズ・哲学のエッセンス
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 日本放送出版協会/日本放送出版協会 |
| 発売年月日 | 2006/07/28 |
| JAN | 9784140093337 |
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スピノザ
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商品レビュー
4.7
5件のお客様レビュー
同じ著者の『スピノザの世界 神あるいは自然』がとても良かったので続けて読んだ。何より『「無神論者」は宗教を肯定できるか』というサブタイトルに惹かれた。本書では『神学・政治論』が主に扱われている。少数者の道を示す『エチカ』とは異なり、『神学・政治論』では群衆のための道が示される。 ...
同じ著者の『スピノザの世界 神あるいは自然』がとても良かったので続けて読んだ。何より『「無神論者」は宗教を肯定できるか』というサブタイトルに惹かれた。本書では『神学・政治論』が主に扱われている。少数者の道を示す『エチカ』とは異なり、『神学・政治論』では群衆のための道が示される。 『神学・政治論』の執筆動機は、宗教を擁護したうえで、哲学とは切り離して、それぞれを同時に肯定することだったようだ。つまり、17世紀のオランダで先鋭化してきた『理性』-『信仰』という対立に際して、どちらか片方に与せず、両方を同時に肯定しようとしたのである。しかしその顛末は、理性サイド(デカルト主義者)にも信仰サイド(キリスト教会)にも猛批判され、あげく禁書に指定されるという、なんとも不遇な運命を辿った書物のようである。 『神学・政治論』の宗教観は『宗教は真理を教えない』、『聖書は真理を教えていないし教える必要もない』、『信仰は無知であってかまわない』、『聖書は敬虔の正しい文法を教え、敬虔は共同社会の平和に不可欠である』、『よって、真理を知る者は宗教と信仰を肯定する』といった主張に集約される。つまり『宗教』や『信仰』は、平和な社会の維持に寄与するための方便だということになる。これは非常にプラグマティックな考え方だと思う。デカルト主義者の反論も、このスピノザの宗教観をきちんと理解したうえで、それを『欺瞞』として批判するという論調だったらしい。著者も批判者の言い分について『わからないでもない』と述べているし、私もそう思う。著者はスピノザの宗教への接し方について『少なくとも信者が信じるようには信じてない』、『けれども受け入れている』と説明する。宗教に『真理』を認めない以上、それは普通の意味での『信仰』ではありえない、しかしながら肯定しているというわけだ。本書のサブタイトルが『「無神論者」は宗教を肯定できるか』であって『「無神論者」は宗教を信じることができるか』ではないことも、つまりはそのような意味であろう。 そのような意味での宗教の肯定は中世に特有なものだろうか?そうではない。現代の社会も「人権」をあたかも「あるもの」として扱っており、その前提で憲法が作られ、人々はそのような法に従って生活している。率直に考えれば、「人権」とは一つの形而上学的概念であり、作為的なものですらあることに疑いの余地はない。中世の「宗教」も、現代の「人権」も本質的には変わらない。どちらもフィクションであり、どちらも尊重すべきだ、という意味で。スピノザも『敬虔』かどうかの基準となるガイドラインとして『強大な第三者が彼らの上に最高権力をもって君臨すること』が要請されると考えた。著者も指摘するように、このような『強大な第三者』は多かれ少なかれ神学的なもの、つまりフィクション性をもつ。スピノザとしては、少数の者は哲学、つまり『エチカ』の示す『理性』の道によって『誠実と正義を愛する』のであり、群衆は『信仰』によって『隣人愛の教え』に促されるのだから、どちらも等しく『敬虔』なのだということになる。啓蒙されたはずの現代人にも「人権」などのフィクションが必要だということは、群衆が『理性』のみに従わないのはいつの時代も同じだということだろう。 スピノザはもちろん『理性』サイドの人間である。『神学・政治論』の最も大きな主張は、言論と思考の自由を『信仰』の圧力によって弾圧するのならば、そのような権力は不正なものとして人々に映り、そのような社会からは『敬虔』とともに平和も失われるということである。つまり『理性』と『信仰』を切り離したうえで、『信仰』自体は肯定しつつ、哲学の自由を確保しようとしたのだ。それにもかかわらず、『理性』サイドのデカルト主義者たちに批判されるのは、スピノザとしても予想外であり大変動揺したらしい。あまりに新しすぎて、中世で拒絶されたのも無理はないと思ってしまった。現代人の誰かが「人権なんてフィクションだ」とテレビ等で公言したと想像してみても、『神学・政治論』への戸惑いはその比ではなかったのだろう。
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著者の「スピノザの世界」が分かりやすかったので、勢いで、こちらのほうも読んでみた。「スピノザの世界」が「エチカ」を中心としているのに対し、本書はスピノザの生前にでた主著(?)「神学・政治論」を中心とした宗教・モラル・政治論。 「スピノザの世界」が、「エチカ」を時代や社会環境を...
著者の「スピノザの世界」が分かりやすかったので、勢いで、こちらのほうも読んでみた。「スピノザの世界」が「エチカ」を中心としているのに対し、本書はスピノザの生前にでた主著(?)「神学・政治論」を中心とした宗教・モラル・政治論。 「スピノザの世界」が、「エチカ」を時代や社会環境を超えて、そのテクスト自体から読み解いていく試みであったのに対して、本書は、当時の社会情勢や思想的なコンテクストを踏まえながら、「神学・政治論」を読み解いていく。といっても、著者の読みは、やはりスピノザのテクストの論理に忠実で、隠された意図、例えば、「本当はスピノザが主張したいのは無神論だが、それを直接的に言えないので、こういう主張の形をとったのだ」という読みを排除する。つまり、表題のとおり「無神論者がなぜ宗教を肯定できるのか」というパラドックスに正面から答えようとしているのだ。 著者によると、スピノザの聖書の読みは、いわばテクストとしての読みであり、また、聖書のロジックはそれ自体正しく、そしてそれは政治的な権力ともつながる、とのこと。これは、きわめて、フランス現代思想っぽい世界で、なかなかスリリングだ。 スピノザは、その倫理のみならず、権力論においても、ニーチェみたいなんだな、と思った。 面白い本だと思うが、100ページの本が、1000円もするというのは、少し高いのではないだろうか。なので、満足度は4点としておく。
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信仰と理性をめぐる関係において、ここまで切実に、また、真正面から考え、論じた哲学者がいたのか。スピノザ。ここから、私の新たな探求が始まりそうだ。時代制約があったればこそ、ここまで深まったのだろう。 短いながらも濃密な思考の軌跡だった。 ・自由が牧歌的だったことはない。p19 ...
信仰と理性をめぐる関係において、ここまで切実に、また、真正面から考え、論じた哲学者がいたのか。スピノザ。ここから、私の新たな探求が始まりそうだ。時代制約があったればこそ、ここまで深まったのだろう。 短いながらも濃密な思考の軌跡だった。 ・自由が牧歌的だったことはない。p19 ・哲学の目的はもっぱら真理のみであり、これに反して信仰の目的は、服従と敬虔以外の何ものでもない。p57 ・ほかのどんな政体もフィクションである。政治はメンバーの誰でもない服従と不可視の第三者を呼び出しその声を法として取り次ぐ。p69
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