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文庫版 陰摩羅鬼の瑕 講談社文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社/講談社 |
| 発売年月日 | 2006/09/14 |
| JAN | 9784062754996 |
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文庫版 陰摩羅鬼の瑕
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文庫版 陰摩羅鬼の瑕
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商品レビュー
3.8
181件のお客様レビュー
シリーズ通して読んで…
シリーズ通して読んできた人には、冒頭で結末が読めてしまう。裏切ってくれと思いながら、あの厚さを読むのは拷問に近かった。
文庫OFF
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※このレビューにはネタバレを含みます
鵺の碑のために再読中。絡新婦の理までは何度か読み返していたが、本作はほとんど読んでいなかった。 初めて読んだときはそこまで好きになれなかった本作が、今回はとても深く心に残る一作となった。伯爵と世間のずれが、ほんの少しの認識のずれなのにここまで大きくなるのかと思った。 家族とは意思を持たず、言葉を発さない物になるということ。また死ぬとは生命活動の停止を意味するのではなく形として存在しなくなること。【家族の概念】と【生死の概念】の違いがこんな悲惨な事件を起こすとは思わなかった。 伯爵も殺人犯ではあるが悪人ではなくまさに「殺意のない殺人事件」だと思った。 事件の流れ、伯爵のズレが判明し薫子の遺体が伯爵の前に運ばれた時、薫子の遺体に向かって、「無事だったのか」と叫び「このように元気に生きております」と元気に答えるシーン。伯爵からは純粋な言葉だが、こちら側の認識の自分からすれば狂気に感じる。 そのずれがわかったとたんそれまでの会話がホラーに変わる。例えば伯爵が「明日からは私だけのために笑ってください」と口説くシーン。薫子から「鳥たちのようにですか?」と聞くと、伯爵は「まさにその通りです」と返す。ただのろけているシーンかと思えば、言葉の通り鳥たちのように動かず微笑んで剥製としてその場に居る状態になるという意味となる。ほかにも晩餐会でのもう二度と食べられませんよという場面。豪華な食事は滅多に食べられないということかと思うが、伯爵の【家族】は食べないし何も言わない。動かない存在になるということ。 確かに伯爵は何も嘘をついていない。悪意もないが、受け取り側としてはそんな風に言っているとは思わない。それこそ意味が分かると怖い話だと思った。 ただ自分が変に感じただけなのかもしれないが伯爵の「薫子とは幾度も話し合いました。」から続く台詞にて、「この家の家長である私の意志に従うことになる」といいその流れで、「私は彼女の自由意思を尊重したかった。」とも語っている。 悪意はなかったのかもしれないが、そう思うのであれば彼女から婚姻の意志を得たうえで、そのままにしてあげられなかったのだろうかと思ってしまった。ただ、その思ったうえで犯行に及んだということはやはり心のどこかで価値観のずれというか、婚姻することの後ろめたさみたいなものを感じていたのではと思い、単純に悪人ではないととらえてもよいのかともちょっと思い、なんだかモヤモヤがする。 あと前作で悲惨な状況に置かれ壊れただろうといわれていた関口が案外元気であり、妻と買い物に行くといっていたラストを読んだとき、事件は悲しかったが、解決し日常に戻るのだと思った。
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※このレビューにはネタバレを含みます
『鵼の碑』発売決定記念に再読シリーズその8 これまでの作品と比べても圧倒的に”起きたこと(ハウダニット)”は分かりやすいというか。 いや、元々魑魅魍魎シリーズはその傾向が強いんだけど、今作は特に簡潔だったね。 新婚初夜に花嫁が殺された事件の犯人は当然──、なんだけど伯爵の悲しみを正面から受け止めた彼らは5度に渡って伯爵を疑えなかった。 状況だけ見れば当たり前なのに、常識が「それはありえない」と蓋をしてしまった。 20世紀の哲学者ウィトゲンシュタインに曰く、規則は行為を決定できない。 あらゆる行為はその規則に合致するように解釈できる。私たちが想定する規則(例えば、その人は生きている/死んでいる)というのは物理法則のように純然としてあるわけではなく、”なんとなく”私たちがそう思っているだけに過ぎない。 そういった現実世界で私たちが学んでいた生きている/死んでいるを、儒学の枠という歪んだ形でのみ学んだからこそ起きた悲劇。 ただ、ここまで大きくなくても現実世界と自分の世界の中の常識にはいくつかの乖離があり、そのたびに人は学んでいくものなのだと思う。 自分の世界の中にいればたしかに傷付くことはないけれど、神も仏も噓っ八になってしまった以上は 『自分の目で現実を見て自分の足でその場所に立つしかない』、という京極堂の結びが何とも哀しいね。
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