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無面目・太公望伝 希望C187
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 潮出版社 |
| 発売年月日 | 1989/08/10 |
| JAN | 9784267901928 |
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無面目・太公望伝
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無面目・太公望伝
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商品レビュー
4.5
6件のお客様レビュー
前漢の時代、天地開闢の前より瞑想にふけり続けている顔のない(のっぺらぼうの)神様「混沌」が、仙人たちに目鼻口を描かれたことにより、瞑想を止めて人間たちの俗世間にやってくる。そこで政争を自ら起こし欲俗にまみれかつての神だったころの自分のことも忘れてしまうという『無面目』。殷の時代、...
前漢の時代、天地開闢の前より瞑想にふけり続けている顔のない(のっぺらぼうの)神様「混沌」が、仙人たちに目鼻口を描かれたことにより、瞑想を止めて人間たちの俗世間にやってくる。そこで政争を自ら起こし欲俗にまみれかつての神だったころの自分のことも忘れてしまうという『無面目』。殷の時代、生贄にされる奴隷から逃げ出し諸国放浪を続けた男が、旅の途中で神と出会い海で竜を釣り上げるという体験をし、さらなる旅の中で知識見聞を広げ、易学を研究し神の秘密を探り、もう一度竜を釣り上げようとする後の周の軍師にもなる男の運命を描いた『太公望』。ほぼ同じボリュームで描かれた中編はそれぞれ独立した話であり、中国の故事を題材にしたフィクションという以外両者に関連はないのだが、ある一人の男の数奇な一代記を描いたものでありながら、ただ人間の物語を描くにとどまらない、諸星ワールドとも言うべきプリミティブな神々のいる世界観の中にそれを描いているところが最大限の共通点とも言うべきで、描画も含めこれはもうこの著者にしか描けない唯一無二の物語世界に耽溺できる。
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人生で一番回数読んだマンガじゃないのかな。なぜ繰り返し読んでしまうのかはわからない。諸星先生だったらもっとおもしろいのは他にあるような気はするのに。
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この本には『無面目』と『太公望伝』という二つの作品が収録されている。 僕は、少し前に読んだ、宮崎哲弥と呉智英の対談本『知的唯仏論』の中で『無面目』の話題が出てきたので興味を持って購入してみた。 もともと諸星大二郎ファンで以前は本が出るそばから買っていたのだが、ここ最近はご無沙...
この本には『無面目』と『太公望伝』という二つの作品が収録されている。 僕は、少し前に読んだ、宮崎哲弥と呉智英の対談本『知的唯仏論』の中で『無面目』の話題が出てきたので興味を持って購入してみた。 もともと諸星大二郎ファンで以前は本が出るそばから買っていたのだが、ここ最近はご無沙汰だった。 諸星氏による中国に題材を取った作品は、好きなものもあるが、どちらかというと面白みよりも小難しさの方が気になってこれまで敬遠しがちだった。 だから本作もこれまで手を出さずにいたのだけれど、読んだ今となってはなんて馬鹿なことをしちまったんだと後悔しまくりだ。 『無面目』は、のっぺらぼうの思索の神さまである混沌がとある仙人に目、鼻、口、耳を描かれたことで顔を得て、そのせいで欲や死への恐怖といった神とは本来無縁な人間的感情を持ってしまうというお話。 もともとの題材は『莊子』の中にあるごく短い話でそれを諸星流に膨らませたものだという。 呉智英氏も指摘していたが、『莊子』中の題材でありながら、どういうわけか釈迦の教えの一番根幹に当たるようなところをズバッと突いた話になっている。 図らずも、なのか、図ったのかはわからないが、こういうところが諸星大二郎の面白さのひとつだろう。 『太公望伝』はもともと購入の目当てではなかったのだけれども、結果的にはこちらの方が好みだった。 僕だけでなくおそらくほとんどの人にとってここに描かれた太公望の姿は自分自身として読めるものだと思う。 ここに描かれているのは後に太公望と呼ばれることになる呂尚が、自由を求めて放浪する物語だ。 いったい呂尚は何から自由になろうとしているのか。 最近『007』を撮ったサム・メンデスの代表作『アメリカン・ビューティー』もそうだったが、人が最終的に望む自由とは自分自身の欲望からの自由なのだ。 この物語は呂尚が太公望として社会的成功を得る直前で終わってしまう。 しかし、それも道理で、自分自身の欲から自由になった呂尚にとって成功などどうでもいいことなのだ。 これもまた仏教の深いところに共通することだと思う。
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