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苔のむすまで
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苔のむすまで

杉本博司(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新潮社
発売年月日 2005/08/25
JAN 9784104781010

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商品レビュー

4.2

30件のお客様レビュー

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2025/03/26
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※このレビューにはネタバレを含みます

 著者である杉本博司は、1948年に東京都で生まれた。1970年に立教大学経済学部卒業後、ロサンゼルスのアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで写真を学び、その後ニューヨークを拠点に活動を開始した。1970年代後半から写真家として国際的に注目されるようになり、「劇場」「海景」「建築」などのシリーズを通じて独自の美学を確立した。2000年代以降は写真にとどまらず、能舞台の演出や建築設計、インスタレーションなど多方面に表現領域を広げており、2010年には自身の構想による文化施設「江之浦測候所」を神奈川県小田原市に開設した。彼の作品は世界各地の美術館に収蔵され、現代美術を代表する作家の一人として高く評価されている。  そんなマルチタレントな著者だが、文章がまた味わい深い。なかでも、本書の「異邦人の眼」というエッセイにとても考えさせられた。エッセイはこんなQ&Aから始まる。 Q: 海外に長くお住いですね。 A: 私は法的には在留邦人と呼ばれます。            中略 Q: 在留が長くなるとどうですか? A: 日本が見えてきます。 Q: どのように? A: もっと日本人になりたくなります。  日本はペリー来航以降西洋化し、二度の大戦を経て、Japan as No.1と呼ばれるまで一心不乱に突き進んできた。それは決して平坦な道ではなかったはずだ。しかし、日本は成長の過程で、歴史を通して培ってきた思想や価値観を置き去りにしてしまったのではないか。エッセイはそのような問題意識を孕んでいる。現代のようにグローバル化が進んだ世界では、否応なく国と国が比較され続ける。そんなしんどい世界において、我々はもう一度「日本とは何か」という問いに立ち返る段階に来ているだろうと思う。  一つのヒントとしてエッセイには、アーネスト・フェノロサのエピソードが登場する。フェノロサは1853年にアメリカ・マサチューセッツ州で生まれた東洋美術研究者である。ハーバード大学で哲学や美術を学んだ後、1878年に来日し、東京大学で哲学・政治経済学を教えた。その傍ら、日本美術への関心を深め、岡倉天心らと共に日本の伝統美術の保存・評価に尽力した。とりわけ仏教美術や日本画の価値を見直し、西洋に紹介した功績は大きい。  似たような例で思い付くのは、ドイツ出身の建築家ブルーノ・タウトだ。タウトは1933年にナチス政権から逃れて日本に渡った。日本滞在中、桂離宮や伊勢神宮など日本の伝統建築に深く感銘を受け、その美を高く評価したことで知られている。特に桂離宮については「東洋のバウハウス」と称賛し、西洋とは異なる日本建築の洗練された美意識を紹介した。また、群馬県高崎の「少林山達磨寺」や、日光の「旧高橋是清別邸」などで実際に設計や装飾にも関与している。  彼らの活動はいずれも、日本人自身が忘れかけていた自国文化の価値を再認識させる契機となった点において共通している。フェノロサの美術保護運動は、日本政府による文化財の保存政策の形成に影響を与え、タウトの桂離宮への賞賛は、それまであまり顧みられていなかった日本建築の美意識を再評価する流れを生んだ。すなわち、彼らは「外からのまなざし」を通じて日本文化の内なる価値を掘り起こし、日本人のアイデンティティの再構築にも寄与したといえる。「日本とは何か」を考えるにあたって、"かつて日本を愛した異邦人"の視点を学ぶことは重要な示唆をもたらすだろう。

Posted by ブクログ

2025/02/13

メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1889870045989445828?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw

Posted by ブクログ

2024/04/06
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

元々は写真家で、現在は写真を主にした現代アートの作家が書く、さまざまな芸術ジャンルに関する評論集。 やっぱりダメだ。 芸術に対する感度が、壊滅的に低いことを痛感する。 AIが、例えばゴッホの絵の、その周辺を違和感なく書き足せるようなことができるのは、センスではなく知識があるからだと思う。 なので、とりあえず知識を蓄えようと手を出してみたのだけれど、いやもう全然だめだ。 例えば、奈良時代の仏像の写真を見る。(本物を見るでもよい) 素朴で温かみのある表情なのはわかる。 けれど、宗教が精神のかなりの部分を支え、時代の社会生活を支えていた時代の人が捉える仏像と、歴史的遺物または芸術品として見る仏像では、同じものを見ても見えているものが違うのではないか。 なんてことを考え出すと、もういけない。 芸術よりも歴史だったり民俗学だったりの方に思考が行ってしまう。 崇徳院と後白河院。 兄弟で全く逆の人生が待っていたというその宿命(保元物語)を、大河ドラマで見たいなあ…なんていうのは、後白河院の好きな「今様」とは全く関係のない話。 「俺のもとに集まって戦え~」と言って敗れた徳川慶喜(鳥羽・伏見の戦い)は、同じくそう言って敗れた後鳥羽上皇(承久の乱)に似ているなーと思っていたけれど、著者は、後鳥羽上皇の時から昭和天皇が人間宣言するまで、ずっと天皇は象徴であったのだ、と言う。 そう言われればそうなのかも、と思うけれど、これもまた芸術とは関係ない話。

Posted by ブクログ