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苦海浄土 新装版 わが水俣病 講談社文庫
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 講談社 |
| 発売年月日 | 2004/07/14 |
| JAN | 9784062748155 |
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苦海浄土 新装版
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商品レビュー
4.5
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水俣病をめぐる闘争と、そのなかを生きた人びとの姿を描いた作品。チッソ水俣工場の廃液によって、かつて豊かな恵みをもたらした海は「苦海」へと変わってしまった。魚は浮かび、猫は奇妙に踊りながら海へ飛び込み、やがて人びとも神経症状に苦しむ。漁に出ることも、自分で食事をとることもできず、病...
水俣病をめぐる闘争と、そのなかを生きた人びとの姿を描いた作品。チッソ水俣工場の廃液によって、かつて豊かな恵みをもたらした海は「苦海」へと変わってしまった。魚は浮かび、猫は奇妙に踊りながら海へ飛び込み、やがて人びとも神経症状に苦しむ。漁に出ることも、自分で食事をとることもできず、病院や自宅で過ごさざるをえなくなった患者たちの日々が描かれる。 けれども、患者たちの「語り」をとおして立ち現れる海は、驚くほど美しい。海の中には花が咲き、夫婦で漁に出た記憶があり、船の上で食べた食事や、獲ったタコの愛らしさが語られる。かつて人びとの暮らしを包み込み、「苦海」となってしまった海は、「浄土」として語られる。 失われたものの大きさを、被害の事実だけでなく、人びとの記憶と言葉を通して描き出す。その美しさゆえに、奪われたものの残酷さがいっそう胸に迫る。
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人は豊かな海の恵みに生かされてきた。そんな生活が変わる。最初は猫。そして人間。壮年の男も病魔に侵され、弱い者たち、生まれる前の胎児も障害を負う。悲劇の中、家族は支え合い、かろうじて生きている。 文字で書かれてはいるが、この本は音であり、歌である。壮絶な不幸が、叙事詩として水俣弁...
人は豊かな海の恵みに生かされてきた。そんな生活が変わる。最初は猫。そして人間。壮年の男も病魔に侵され、弱い者たち、生まれる前の胎児も障害を負う。悲劇の中、家族は支え合い、かろうじて生きている。 文字で書かれてはいるが、この本は音であり、歌である。壮絶な不幸が、叙事詩として水俣弁で語られる。告発の書ではない。生き続けるしかなかった人々の記録である。 目を覆うような不幸の傍らで排水は止まらない。水俣病そのものとは別の、日本社会の病理にも気づかされる。
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「白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である」 この話はまさに「苦界」と「浄土」である。 先に読んだ第三部を前作に比べジャーナリズムに重きを置いたとする感想があったがその意見もよくわかる。泥臭く人間味の強烈な本作と比べれば確かに第三部はドラ...
「白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である」 この話はまさに「苦界」と「浄土」である。 先に読んだ第三部を前作に比べジャーナリズムに重きを置いたとする感想があったがその意見もよくわかる。泥臭く人間味の強烈な本作と比べれば確かに第三部はドライとも言える。 これは正確な聞き書きではなく「あねさん」として当事者と接する内に著者の中にふくらんだものが形になったという本作。このことが「浄瑠璃」との形容に繋がったのだろうか。 この聞き書きでないことを述べた「石牟礼道子の世界」も「水俣病の五十年」も解説もとても読み応えがある。新装版を読んで良かった 補償という責任があるのはわかっているがやはり今チッソで働く従業員がどう捉えているかが気になってしまう。特に転職サイトの口コミに「水俣病補償のことがあるので潰れることはない」と書き込むような人の 水俣病わかめといえど春の味覚。そうおもいわたくしは味噌汁を作る。不思議なことがあらわれる。味噌が 凝固して味噌とじワカメができあがったのだ。口に含むとその味噌がねちゃりと気持わるく歯ぐきにくっついてはなれない。わかめはきしきしとくっつきながら軋み音を立てる。 「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」 白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である 私のたしかめたところでは、石牟礼氏はこの作品を書くために、患者の家にしげしげと通うことなどしていない。これが聞き書だと信じこんでいる人にはおどろくべき知れないが、彼女は一度か二度しかそれぞれの家を訪ねなかったそうである。「そんなに行けるものじゃありません」と彼女はいう。むろん、ノートとかテープコーダーなぞは持って行くわけがない。彼女が患者たちとどのようにして接触して行ったかということは、江津野杢太郎家を訪なうくだりを読んでみるとわかる。彼女は「あねさん」として、彼らと接しているのである。これは何も取材のテクニックの話ではない。存在としての彼女がそういうものであって、そういうふれあいの中で、書くべきものがおのずと彼女の中にふくらんで来たことをいうのである。 一九六二(昭和三十七)年の夏、一人の女の子が静かに息を引きとった。この子が解剖され、"胎盤を通じておこった水保俣"(胎児性水俣病)と診断されたことで、この年の十一月に十六名が同時に胎児性水俣病と認定されたのである。先の言葉どおり、誰かが死亡してやっと認定されたのである
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