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デリダ 脱構築 現代思想の冒険者たちSelect
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2003/07/10 |
JAN | 9784062743549 |
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第1章 波乱に満ちたデリダの生涯を概観。アルジェリア生まれのユダヤ系フランス移民という二重三重の意味でマイノリティな出自。学界にも敵が多かったこと。 第2章 初期の論文「プラトンのパルマケイアー」を題材に、脱構築の概念を解説。デリダは、伝統的な形而上学の階層的二項対立(優れたも...
第1章 波乱に満ちたデリダの生涯を概観。アルジェリア生まれのユダヤ系フランス移民という二重三重の意味でマイノリティな出自。学界にも敵が多かったこと。 第2章 初期の論文「プラトンのパルマケイアー」を題材に、脱構築の概念を解説。デリダは、伝統的な形而上学の階層的二項対立(優れたものと劣ったもの:パロール/エクリチュール、男/女、西洋/非西洋、etc)の内に潜む矛盾をあぶりだすことにより、私たちが陥りがちな、排他的な価値判断をいったん留保し、最終的には「二項対立」の双方を肯定する。脱構築とは、究極の「肯定」の思想である。 第3章 「暴力と形而上学」『グラマトロジーについて』(第2部第1章)などを題材に、デリダの暴力論について解説。 デリダは「非暴力」を追求する行為の中に根源的な暴力=「原暴力」を見出し、非暴力が暴力に回収される現象を「暴力のエコノミー」と呼んだ。デリダは、非暴力さえも一種の暴力であることを自覚しつつ、現前する暴力に対抗する手段として最小の「暴力」を選択すべしと説いた。ここでデリダは、すべての他者を肯定することをよしとしており、他者を否定するような態度を「暴力」と呼んでいることに留意。 “脱構築的言説の暴力は、脱構築的であるかぎりロゴス中心主義の暴力に抵抗し、言説であるかぎり、問答無用のテロリズムの暴力に抵抗する。それは二重の意味で「暴力に抵抗する暴力」なのだ”(p137) 第4章 晩年の著書『法の力』を題材に、デリダの正義論を解説。後期のデリダは、脱構築の思考を哲学/文学の領域から法学/正義論の領域へと拡大した。 デリダは、法の根源には必ず「暴力」があることを喝破した。 “法を創設し、創始し、正当化することに帰着する操作、すなわち法を作ることに帰着する操作は、力の一撃からなるものであろう。この力の一撃は、行為遂行的暴力、したがって解釈の暴力にほかならないが、それ自身は正当でも不正でもない。そしてまた、いかなる正義も、いかなる事前の、先行する創設の法も、いかなる規制の創設行為も、定義上、その暴力にお墨付きを与えることはできないし、それを反駁したり無効化したりすることもできないだろう”(『法の力』からの引用文、pp192-193) “この行為遂行的暴力がいったん成功すると、法や〈法の支配〉はみずからの起源を隠蔽し、暴力の痕跡を抹消しようと企てる。すなわち不可能な正当化を企てる。まさにそこに脱構築が起動する可能性が生じる”(p194) デリダは決して現前しない、「脱構築できない正義」というものの「存在」を想定する。いわく、「脱構築できない正義」があるからこそ、法の脱構築が可能なのである。 “もしも正義それ自体というようなものが、法の外あるいは法のかなたに存在するとしたら、それを脱構築することはできない。同様にまた、もしも脱構築それ自体というようなものが存在するとしたら、それを脱構築することはできない。脱構築は正義なのである”(『法の力』からの引用、p188) この考え方はカントの倫理学と親和性が高いように感じる。実際デリダは「ポストモダニスト」を自称したことがないし、むしろモダニズムの理想を称揚する次のような言葉を残しているという。 “私には、古典的な解放の理想ほど古びていないものはないように思われる。粗雑な仕方であれ洗練された仕方であれ、今日それの失効を宣言しようとすれば、少なくともいささか軽率のそしりを免れないし、最悪のものに加担することにしかならない”(p219) もちろん、脱構築は伝統的な形而上学の潮流の中にあるモダニズム/啓蒙主義そのものではない。プラトン以来の排他的な決定の仕方を見直し、より先鋭化されたモダニズムの理想を提示しているのだと言えるだろう。 著者は、「否定/破壊のニヒリズム」という、人口に膾炙しているデリダ解釈を明確に否定している。ポストモダンアレルギーでデリダを食わず嫌いしている人は、非常にもったいないことをしているので、一刻も早く本書を読んで、自らの誤解を解かれることをオススメする。
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ななめ読みだが、 知りたいことと内容がずれているのか 頭にはいってこなかった。 そのため、 デリダ―なぜ「脱‐構築」は正義なのか (シリーズ・哲学のエッセンス)の再読をした。 こちらのほうが、私にはわかりやすく。かつ知りたいことが書いてあった。
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全くもって誰だ、デリダを非合理主義だのニヒリズムだのシニシズムだの空論だのと揶揄する輩は?この本を読むとそういう誤解がガラガラと完膚なきまでにデコンストラクションされまくる。ジャック・デリダの思想の全体像、特にその底の底にいつも流れる倫理と正義の思想家としてのデリダの、最高の入門...
全くもって誰だ、デリダを非合理主義だのニヒリズムだのシニシズムだの空論だのと揶揄する輩は?この本を読むとそういう誤解がガラガラと完膚なきまでにデコンストラクションされまくる。ジャック・デリダの思想の全体像、特にその底の底にいつも流れる倫理と正義の思想家としてのデリダの、最高の入門書 この本で解説されているアポリアやメシアニズムなきメシア性、幽霊といった一見難解な言葉は、オレたちが日常生きていく上で普通に感じうることだ。二つの道理の板挟み、どんな時でもつきまとう他者との関係、未来への備え デリダがずば抜けているところは、それらを語る明晰な手つきだけじゃなく、それらの難問にどう生きるかまで、自分自身に極めて厳しい水準を叩きつけ根元的緊張感を保ち実践し続けたことだ 脱構築という方法の解説からデリダの伝記的事実まで網羅的で、引用がところどころ決まっていてデリダってなんか読みやすそうと感じてしまう。それが正しくて間違ってるのは、デリダを読むことは否応なしに読み手の側がある種の緊張感を体験するからであり、その緊張感がデリダ理解には不可欠だからだろう
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