1,800円以上の注文で送料無料
カント哲学の思惟構造 理性批判と批判理性
  • 中古
  • 書籍
  • 書籍
  • 1215-02-08

カント哲学の思惟構造 理性批判と批判理性

山本博史(著者)

追加する に追加する

カント哲学の思惟構造 理性批判と批判理性

定価 ¥3,960

1,375円 定価より2,585円(65%)おトク

獲得ポイント12P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 ナカニシヤ出版
発売年月日 2002/03/30
JAN 9784888486927

カント哲学の思惟構造

¥1,375

商品レビュー

3

1件のお客様レビュー

レビューを投稿

2026/04/22

人間が「叡智的存在」だという自覚が、カントの批判哲学の根幹をなすという立場から、カントの理論哲学と実践哲学の諸問題について論じている本です。 『純粋理性批判』では、「私は考える」という超越論的統覚の働きにもとづいて、われわれの認識がとりまとめられているということが示されました。...

人間が「叡智的存在」だという自覚が、カントの批判哲学の根幹をなすという立場から、カントの理論哲学と実践哲学の諸問題について論じている本です。 『純粋理性批判』では、「私は考える」という超越論的統覚の働きにもとづいて、われわれの認識がとりまとめられているということが示されました。カントの「理性批判」とは、こうした統覚の役割を解明する試みにほかなりません。ただし、「私は考える」という働きは、それじたいではもっとも内容の乏しい、空虚な意識です。 その一方でカントは、「「私は考える」は、私の現存在を限定する」と主張します。つまり、「私は考える」という働きは、「私は考えつつ存在する」という働きだと考えられていたのです。さらに、認識において統覚が果たしている役割に対して哲学的な反省を遂行する、こうした「批判理性」は、比量的ではなく直覚的であるといわれており、したがってそれは個体的な存在とみなされなければなりません。 それでは、カント哲学において「理性批判」と「批判理性」を結びつけている、こうした叡智的存在のありかたを、どのように理解すればよいのでしょうか。これが、本書の中心的な問題です。フィヒテはこの問題に対して、実践理性の優位のもとに「事行」における統一を主張することで解決を図りました。またヘーゲルは、カントの理性批判の試みを、水に入る前に水泳を習うようなものだと批判して、弁証法的な過程のうちに理性批判を取り込みました。これに対してカントは、個体的な叡智的存在としての批判理性が、超個体的な「意識一般」を要請すると考えることで、この問題を解決しようとしており、そのことが彼の哲学の大きな特徴をなしていることを著者は明らかにしています。 あつかわれている問題そのものは非常に興味深いのですが、専門書なのでしかたがないのかもしれませんが、カントのテクストに密着して議論が展開されており、けっきょくのところカントの思索がなにを達成したのかということが見通しにくいように感じてしまいました。

Posted by ブクログ

関連ワードから探す

関連商品

同じジャンルのおすすめ商品

同じジャンルのおすすめ商品

最近チェックした商品

履歴をすべて削除しました