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完全なる人間 魂のめざすもの
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商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 誠信書房/ |
| 発売年月日 | 1998/09/15 |
| JAN | 9784414304107 |
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完全なる人間
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商品レビュー
4.1
13件のお客様レビュー
私たちは生まれ自我が芽生え、大小問わず集団の中で必ず生活をする。その人間関係で私という個が動くことで存在として共鳴し周囲の人間関係や私という個自身へ大しても影響を及ぼす。 本著はマスロー視点で、「完全なる人間(特別な天才ではなく、「人類に特有な部分をよく発達させ、精神的に健康で、...
私たちは生まれ自我が芽生え、大小問わず集団の中で必ず生活をする。その人間関係で私という個が動くことで存在として共鳴し周囲の人間関係や私という個自身へ大しても影響を及ぼす。 本著はマスロー視点で、「完全なる人間(特別な天才ではなく、「人類に特有な部分をよく発達させ、精神的に健康で、重大な病理に侵されていない、人間としての能力を十分に働かせている人」を指す)」とは何かを思索し問い導こうとする指南書であり教養本でもある。著書の中で、成長動機という言葉が出てくる。人は、欠乏(自分が渇望している)を埋めるためだけでなく、「成長したい」「もっと完全な存在になりたい」という成長動機に突き動かされている、と実際にいた人たちからデータとして列挙している。私たちは誰のために生きているのだろうか。見栄、欲望、嫉妬など、私たちは例外無く誰しもが他者の物差しであなたや私という存在という人間を比較し、悩み、不安になり、葛藤し、生きづらさを抱えることになる。それは今に始まったことではなく、人間が人間であり続ける以上それは続く。だからこそ、マスローは問い説く、「人間は、不完全さを抱えたまま、それを正面から受け容れつつ、より完全な存在へと一生をかけて成長していく存在であり、そのプロセス=自己実現こそが、人間の魂がめざすものだ」と。 さて、本著では完全なる人間として、常に自己鍛錬に励み意識し思索し行動に移して一生という人生の中で個として人間として質を高めるべきと説く。本来の人間は他者のために質を上げるのではなく、個としてのあなた自身という「人間」としてどう善く生きるべきかを。ニーチェの言葉で「超人」という「人間は乗り越えられるべき“綱”であり、目的ではない」というテーゼのもと、既存の道徳(とくにキリスト教的価値)を自己超克し、自ら価値を創造する存在として描かれている。マズローの自己実現・自己超越は、欲求階層の上位段階であり、内発的成長・創造性・真善美への志向や他者・社会への貢献を含む「成熟したパーソナリティ」の記述として提示される点で、ニーチェよりも臨床・経験科学寄りと視点や思考の流れとして比較することができる。 つまり、両者に通ずるのは「人間は固定的な存在ではなく、自己変容・成長・自己超克を志向するべきだ」「外から与えられた価値や快楽だけに生きるのでは足りない」という前提であり、この点でマズローとニーチェ、そして多くの古典思想が響き合うのだと。 私は思うのだ、完全なる人間になるには、多くの苦難と出来ること出来ないことに気付き大切にし自身へと活かすべきだと。マスローの言う完全なる人間とは、如何様にもあなたや私だけの「人生の質・人間としての質」を磨き高めていくものだと。それは他者と比べるものでも、才能というものでも無く、ただ、多くの体験を通して絶望も希望も受け入れながらも常に鍛錬していく存在であり、それが目指すべきゴールではないか。人間がそのゴールに対して答えが出るときは、人間としての生が終わる瞬間だ。善も悪も立場や状況や環境が異なれば、いくらでもどんな姿でも変わる。本著では人は善であると説く。私も同意だ。そして、内包する反対の悪の部分もあることを忘れてはならない。それらを受け入れ、磨き、思考と思索と行動を止めない限り、私は善であり、善く生きる質の高い人生だと思うのだ。 人間が人間たらしめる存在の一端と理解と思索と視点に富んだ良書であるといえよう。
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マズローは、「欲求の5段解説」を教科書的に知っているだけで、それはなんとなくそんなものかなという感じはするものの、実証データはないわけだし、そんなに深いものとは思っていなかった。 むしろ、「自己実現」を強調することで、一種の労働強化への誘導というディスコースを作っているんじゃな...
マズローは、「欲求の5段解説」を教科書的に知っているだけで、それはなんとなくそんなものかなという感じはするものの、実証データはないわけだし、そんなに深いものとは思っていなかった。 むしろ、「自己実現」を強調することで、一種の労働強化への誘導というディスコースを作っているんじゃないかと思うくらいだった。 が、マズローの本を読まずに批判するわけにもいかないと思って、この「完全なる人間」を読んでみると事前のイメージとは違う感じで、かなり深い。 まずは、人間性心理学、そしてその始祖の一人マズローは、性善説と言われていて、この本の冒頭も「人間の本性は善である」という宣言から始まっている。 こう書かれると、そもそも人間に「本性」はあるのか?とか、善とはなにか?とか、いろいろ突っ込みたくなるんだけど、本を読み進めていくと、そんな単純な話しをしているわけではなく、哲学的にとても深いところから考えていることがわかる。 人間性心理学のベースには、実存主義や現象学があるのは、なんとなくわかってきたのだが、マズローも基本、それらをベースとしている。 そして、マズローは「悪」の存在を人間の外部に位置付けるのではなく、本性かどうかは保留しつつ、人間の内部に位置付けている。そして、この善と悪の二元論の超越みたいなことを考えているようだ。 こうなってくると、ほとんどユングの対立物の結合に近い感じ。 なんだ、そんなことだったのか、だったら、マズローは私とは、わりと近いところにいたんだな〜と。 私自身としては、「社会的構築」的な考えのほうが、しっくりしていて、マズローの本質論的だったり、西洋中心的な部分に違和感を持つんだけど、自分の考えを整理するときに対峙すべきテキストだと思った。 とはいっても、ちょっと文章が難しかったり、「昔」の議論もあるので、なかなかすべてを理解するのは難しいかな? ちなみに、「完全なる人間」の元タイトルは、"Toward a Psychology of Being"でかなりニュアンスが違う。本文にでてくる「完全なる人間」に一番近いのは、「完全なる人間性」で、原文では、"full-humanness"。 ここでのfullは、充分というか、満ち足りたというか、その可能性がしっかりと発現された、とか、そんな感じで、訳は難しいなと思うけど、「完全」ではないような気がする。 あるいは、本文中ででてくる「完全なる人間性」とか、「完全な人間性」とか、「人間」というより、「人間性」にフォーカスした表現のほうがいいのかなとか思った。
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この本の題名「完全なる人間」とは、「人類に特有な部分をすべて備えた人、よく発達をとげ、完全にはたらく人間の能力をすべて備え、どんな種類の明白な疾病、特に中心的、決定的で、人間として必要不可欠の特徴を傷つけるかもしれないような病気にもかかっていない人びとを、とりあげることができる」...
この本の題名「完全なる人間」とは、「人類に特有な部分をすべて備えた人、よく発達をとげ、完全にはたらく人間の能力をすべて備え、どんな種類の明白な疾病、特に中心的、決定的で、人間として必要不可欠の特徴を傷つけるかもしれないような病気にもかかっていない人びとを、とりあげることができる」(p229)人のことである。著者の主張は、病気を中心とした心理学から健康な人をも含めた心理学の拡張にある。 有名なマスローの欲求段階は、この本では詳しく触れられない。しかし、その最終段階である自己実現の段階については、完全な人間に到達した人の特徴として、詳しく触れられている。ただし、この自己実現というのは一般にいわれていることとは大きく異なっている。自己実現というと、「医者や弁護士になりたい」とか理想の実現のことを指すことが多い。しかし、著者は「ショッキングにいえば、自己実現する人は、自己を受け容れ、洞察力を持つ神経症者ということさえできると思う。というのは、こういういいかたは、『本質的な人間状況を理解し、受け容れる』こと、つまり、人間性のもつ『欠陥』を否定しようとするのではなく、これと立ち向い、勇気をもって受け容れ、これに甘んじて楽しみさえ見出すというのと、ほとんど同じである。」(pp162~163)とさえいう。 マスローは、フロイトと同じ神経症者の治療から理論を組み立てた、ということも興味深い。それはフロイト批判であるばかりでなく、アメリカ人からヨーロッパ文化への批判としても読み取れるように思う。
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