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日本社会の歴史(上) 岩波新書
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日本社会の歴史(上) 岩波新書

網野善彦(著者)

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日本社会の歴史(上) 岩波新書

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 1997/04/21
JAN 9784004305002

日本社会の歴史(上)

¥330

商品レビュー

3.6

24件のお客様レビュー

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2010/05/28

「日本列島に生きた人…

「日本列島に生きた人々の歴史」とでもいうべきユニークな通史.暗黙の前提にしてしまいがちな「日本(国)」「日本人」という色眼鏡をはずして,日本列島に生きた人々のダイナミックな歴史を描き出す.その史実の新しい見方には目からウロコ.

文庫OFF

2025/12/24

日本列島の歴史を「日本国」や「日本人」という固定された枠組みから解放し、列島における人間社会の歩みとして記述する試み。本書の最大の特色は、「日本人は昔から米を食う均質な民族だった」という幻想を、考古学と文献の両面から打ち砕く点にある。著者は「中世史」の大家であり、古代についても中...

日本列島の歴史を「日本国」や「日本人」という固定された枠組みから解放し、列島における人間社会の歩みとして記述する試み。本書の最大の特色は、「日本人は昔から米を食う均質な民族だった」という幻想を、考古学と文献の両面から打ち砕く点にある。著者は「中世史」の大家であり、古代についても中世的な「職能民」「無縁」の視点から光を当てる独自の史観を持つ。 まず強調されるのは、「日本」国号が定められた7世紀末以前には「日本」も「日本人」も存在しないという点。それ以前の住民を最初から「日本人の祖先」とみなすのは現代の思い込みであり、従来の「農本主義的な日本人論」を排し、列島の多様な生業と地域性、東アジアとの交流から社会変遷を辿る。 列島社会の東西格差については、旧石器時代以来、フォッサ・マグナを境とする東西の地域差が石器文化や植生に現れており、これが後の列島史を規定したと指摘。縄文時代までは生活の豊かさと人口において列島東部が西部を圧倒していたが、弥生時代以降の穀物生産の普及により、西部が人口増加と政治的統合で優位に立った。 弥生・古墳時代は、大陸・半島の激動と連動した「首長制」の時代であり、特に海を生活舞台とする「海民」の交流が文化変容を支えた。海民が運ぶのは物資だけでなく、うわさ、戦況、疫病、渡来人、武器の作り方、墓の作法など、技術・情報・文化変容を支える"見えない動脈"として機能した。 天智期関連では、乙巳の変後、中大兄皇子は入鹿を殺害後、自らは「大兄」の立場にとどまり、孝徳を立てつつ改革を主導した。難波遷都後、中大兄は群臣を率いて飛鳥に還り、孝徳を孤立・客死させた。この冷徹な政治的決断が権力集中の背景にある。 白村江の敗戦については、663年の白村江の敗戦後、唐・新羅の侵攻に備えるための「戦時体制」構築が、律令制の導入と中央集権化を強力に推進した「最大の国家危機」として位置づけられる。この危機対応として二十六階の冠位制定や「民部・家部」の公認を行い、首長層の動揺を鎮めた。筑紫の水城や朝鮮式山城、対馬の金田城などは朝鮮海峡を「国境」とする意識の萌芽を示す。 667年、唐・新羅への警戒から大津宮へ遷都。この時期に「倭」に代わる呼称や、最初の全国戸籍(庚午年籍)作成など、律令国家の骨格が整えられた。庚午年籍はわが国最初の全国的戸籍で、氏姓の根本基準となり、個別的人民把握の端緒となった。 律令国家の構造については、畿内の貴族(官人)と、在地での実質的支配権を保持し続ける郡司(旧首長)との二重構造の上に成り立っていたと論じる。"中央の理想"と"地方の現実"が噛み合わないまま制度が走るのが、初期国家の常態として描かれる。 成立した律令国家は、高度な中国文明を模倣しつつも、社会の実態は呪術的で未開な要素を色濃く残しており、この「早熟な国家」の矛盾が9世紀以降の国制の弛緩と社会変容(富豪の輩の台頭)を招いたとする。文明的な律令制度を導入しながら、社会の実態は呪術や神判(クガタチ)に依存しており、理想と現実の乖離が著しい。 具体例として、644年、東国で白い虫(常世神)をまつり歌い踊る熱狂が広まった事例が挙げられる。これは社会転換を待望する平民の心理が反映されているとされ、群衆シーンの素材として最高の事例。 注意点として、推古朝や天智朝における「天皇」号の使用については、後年の『日本書紀』による潤色である可能性が高いとする慎重な立場をとっている。創作において「当時から天皇と呼ばれていたか」を設定する際には、この議論を念頭に置く必要がある。 岩波新書で平易な文章、初学者向け。農業だけでなく、漁師や商人の視点があるため、モブキャラや世界観の解像度が飛躍的に上がる。飛鳥時代の宮廷を、常に海の向こうの大国を意識し、東国の「蝦夷」を侵略する「小さな帝国」として描き出す。中大兄皇子の時代が、いかに切迫した軍事緊張の中にあったかを知るための最良のテキスト。

Posted by ブクログ

2024/06/19

たまたま入れた奈良の豊住書店で見つけた新古本。著者自身が「むすびにかえて」で書かれているが、社会の歴史というよりは政治の歴史が主な内容になってしまっている時代もある。さらに、江戸時代の後半からは展望という形で軽く触れられているだけだ。としても、自分の中では多くの学びがあった。だい...

たまたま入れた奈良の豊住書店で見つけた新古本。著者自身が「むすびにかえて」で書かれているが、社会の歴史というよりは政治の歴史が主な内容になってしまっている時代もある。さらに、江戸時代の後半からは展望という形で軽く触れられているだけだ。としても、自分の中では多くの学びがあった。だいたい、そんなことは当たり前のことなのだろうが、日本という国ができたと言っても、きっとそう思った人がいたというだけで、多くの日本列島に住む人々は、そんなこと関知せずに生きていたのだろう。時間的にも空間的にもずいぶんとあいまいなわけだ。いまのように、ここからここまでが日本国であるとか、誰が日本人であるとかはっきりしていたわけではないのだろう。それから時代区分にしてもそうだ。語呂合わせとかで年台を覚えていたとしても、そこからはっきり鎌倉時代や室町時代が始まるわけでも終わるわけでもないのだろう。だいたい、京都で元号を変えたとしても、他の場所ではそれに従わないで、自分勝手に決めていたというようなことも、何度もあるようだ。そんなこと、日本史の勉強をちゃんとしている人は分かっているのかもしれないが、僕にとってはとても新鮮な話だった。さて政治の歴史を読んでいても事実の羅列で頭をかすめていくだけなのだけれど、大河ドラマで見ている時代だけは立体的に浮き上がってきた。道長の時代、鎌倉殿の時代、真田丸の時代(真田という名前は本書には登場しなかったと思うが)。西郷どんの時代はさらっとしか触れられていないので立ち上がっては来なかったが。明治についてはかなり批判的に書かれている。いろいろな仕組みを西欧から取り入れて、追いつけ追い越せとやってきたように言われることが多いが、たとえば経済についての用語など、市場とか手形とか株式とか全く翻訳語がなく、日本で独自にそういう考え方をしていたのだ。こういう点は梅棹忠夫もよく言っていた。大陸の西の端と東の端で同じように歴史は進んでいったと。それから、海上を通してのいろいろなやりとりが早い時代から頻繁に行われていたという。また、百姓というのは農業をする人のみを指すというわけではなかったという。このあたりは網野善彦の他の著書でも読んでいた内容だが、復習になった。そして今回一番の疑問点として出てきたのが、定子や彰子の読みについてである。「さだこ」「あきこ」とふりがながある。それはどこまで一般的なのであろうか。先日、源氏物語を専門にされている先生が、大河ドラマ「光る君へ」で「さだこ」「あきこ」と呼んでいるが、そんなことはあり得ないです、とはっきりおっしゃっていた。次に会ったときに質問する材料としておこう。いやあ、まだまだ知らないことがいっぱいあっておもしろい。当たり前だけれど。

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