日本社会の歴史(上) の商品レビュー
「日本列島に生きた人…
「日本列島に生きた人々の歴史」とでもいうべきユニークな通史.暗黙の前提にしてしまいがちな「日本(国)」「日本人」という色眼鏡をはずして,日本列島に生きた人々のダイナミックな歴史を描き出す.その史実の新しい見方には目からウロコ.
文庫OFF
日本列島の歴史を「日本国」や「日本人」という固定された枠組みから解放し、列島における人間社会の歩みとして記述する試み。本書の最大の特色は、「日本人は昔から米を食う均質な民族だった」という幻想を、考古学と文献の両面から打ち砕く点にある。著者は「中世史」の大家であり、古代についても中...
日本列島の歴史を「日本国」や「日本人」という固定された枠組みから解放し、列島における人間社会の歩みとして記述する試み。本書の最大の特色は、「日本人は昔から米を食う均質な民族だった」という幻想を、考古学と文献の両面から打ち砕く点にある。著者は「中世史」の大家であり、古代についても中世的な「職能民」「無縁」の視点から光を当てる独自の史観を持つ。 まず強調されるのは、「日本」国号が定められた7世紀末以前には「日本」も「日本人」も存在しないという点。それ以前の住民を最初から「日本人の祖先」とみなすのは現代の思い込みであり、従来の「農本主義的な日本人論」を排し、列島の多様な生業と地域性、東アジアとの交流から社会変遷を辿る。 列島社会の東西格差については、旧石器時代以来、フォッサ・マグナを境とする東西の地域差が石器文化や植生に現れており、これが後の列島史を規定したと指摘。縄文時代までは生活の豊かさと人口において列島東部が西部を圧倒していたが、弥生時代以降の穀物生産の普及により、西部が人口増加と政治的統合で優位に立った。 弥生・古墳時代は、大陸・半島の激動と連動した「首長制」の時代であり、特に海を生活舞台とする「海民」の交流が文化変容を支えた。海民が運ぶのは物資だけでなく、うわさ、戦況、疫病、渡来人、武器の作り方、墓の作法など、技術・情報・文化変容を支える"見えない動脈"として機能した。 天智期関連では、乙巳の変後、中大兄皇子は入鹿を殺害後、自らは「大兄」の立場にとどまり、孝徳を立てつつ改革を主導した。難波遷都後、中大兄は群臣を率いて飛鳥に還り、孝徳を孤立・客死させた。この冷徹な政治的決断が権力集中の背景にある。 白村江の敗戦については、663年の白村江の敗戦後、唐・新羅の侵攻に備えるための「戦時体制」構築が、律令制の導入と中央集権化を強力に推進した「最大の国家危機」として位置づけられる。この危機対応として二十六階の冠位制定や「民部・家部」の公認を行い、首長層の動揺を鎮めた。筑紫の水城や朝鮮式山城、対馬の金田城などは朝鮮海峡を「国境」とする意識の萌芽を示す。 667年、唐・新羅への警戒から大津宮へ遷都。この時期に「倭」に代わる呼称や、最初の全国戸籍(庚午年籍)作成など、律令国家の骨格が整えられた。庚午年籍はわが国最初の全国的戸籍で、氏姓の根本基準となり、個別的人民把握の端緒となった。 律令国家の構造については、畿内の貴族(官人)と、在地での実質的支配権を保持し続ける郡司(旧首長)との二重構造の上に成り立っていたと論じる。"中央の理想"と"地方の現実"が噛み合わないまま制度が走るのが、初期国家の常態として描かれる。 成立した律令国家は、高度な中国文明を模倣しつつも、社会の実態は呪術的で未開な要素を色濃く残しており、この「早熟な国家」の矛盾が9世紀以降の国制の弛緩と社会変容(富豪の輩の台頭)を招いたとする。文明的な律令制度を導入しながら、社会の実態は呪術や神判(クガタチ)に依存しており、理想と現実の乖離が著しい。 具体例として、644年、東国で白い虫(常世神)をまつり歌い踊る熱狂が広まった事例が挙げられる。これは社会転換を待望する平民の心理が反映されているとされ、群衆シーンの素材として最高の事例。 注意点として、推古朝や天智朝における「天皇」号の使用については、後年の『日本書紀』による潤色である可能性が高いとする慎重な立場をとっている。創作において「当時から天皇と呼ばれていたか」を設定する際には、この議論を念頭に置く必要がある。 岩波新書で平易な文章、初学者向け。農業だけでなく、漁師や商人の視点があるため、モブキャラや世界観の解像度が飛躍的に上がる。飛鳥時代の宮廷を、常に海の向こうの大国を意識し、東国の「蝦夷」を侵略する「小さな帝国」として描き出す。中大兄皇子の時代が、いかに切迫した軍事緊張の中にあったかを知るための最良のテキスト。
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たまたま入れた奈良の豊住書店で見つけた新古本。著者自身が「むすびにかえて」で書かれているが、社会の歴史というよりは政治の歴史が主な内容になってしまっている時代もある。さらに、江戸時代の後半からは展望という形で軽く触れられているだけだ。としても、自分の中では多くの学びがあった。だい...
たまたま入れた奈良の豊住書店で見つけた新古本。著者自身が「むすびにかえて」で書かれているが、社会の歴史というよりは政治の歴史が主な内容になってしまっている時代もある。さらに、江戸時代の後半からは展望という形で軽く触れられているだけだ。としても、自分の中では多くの学びがあった。だいたい、そんなことは当たり前のことなのだろうが、日本という国ができたと言っても、きっとそう思った人がいたというだけで、多くの日本列島に住む人々は、そんなこと関知せずに生きていたのだろう。時間的にも空間的にもずいぶんとあいまいなわけだ。いまのように、ここからここまでが日本国であるとか、誰が日本人であるとかはっきりしていたわけではないのだろう。それから時代区分にしてもそうだ。語呂合わせとかで年台を覚えていたとしても、そこからはっきり鎌倉時代や室町時代が始まるわけでも終わるわけでもないのだろう。だいたい、京都で元号を変えたとしても、他の場所ではそれに従わないで、自分勝手に決めていたというようなことも、何度もあるようだ。そんなこと、日本史の勉強をちゃんとしている人は分かっているのかもしれないが、僕にとってはとても新鮮な話だった。さて政治の歴史を読んでいても事実の羅列で頭をかすめていくだけなのだけれど、大河ドラマで見ている時代だけは立体的に浮き上がってきた。道長の時代、鎌倉殿の時代、真田丸の時代(真田という名前は本書には登場しなかったと思うが)。西郷どんの時代はさらっとしか触れられていないので立ち上がっては来なかったが。明治についてはかなり批判的に書かれている。いろいろな仕組みを西欧から取り入れて、追いつけ追い越せとやってきたように言われることが多いが、たとえば経済についての用語など、市場とか手形とか株式とか全く翻訳語がなく、日本で独自にそういう考え方をしていたのだ。こういう点は梅棹忠夫もよく言っていた。大陸の西の端と東の端で同じように歴史は進んでいったと。それから、海上を通してのいろいろなやりとりが早い時代から頻繁に行われていたという。また、百姓というのは農業をする人のみを指すというわけではなかったという。このあたりは網野善彦の他の著書でも読んでいた内容だが、復習になった。そして今回一番の疑問点として出てきたのが、定子や彰子の読みについてである。「さだこ」「あきこ」とふりがながある。それはどこまで一般的なのであろうか。先日、源氏物語を専門にされている先生が、大河ドラマ「光る君へ」で「さだこ」「あきこ」と呼んでいるが、そんなことはあり得ないです、とはっきりおっしゃっていた。次に会ったときに質問する材料としておこう。いやあ、まだまだ知らないことがいっぱいあっておもしろい。当たり前だけれど。
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久しぶりに日本史の通史を読んでいます。それも,網野史学です。 網野さんの本は,さすがに視点が違います。それは初っぱなからわかります。網野さんは「はじめに」で次のように述べています。 「日本社会の歴史」と題してこれからのべようとするのは、日本列島における人間社会の歴史であり、...
久しぶりに日本史の通史を読んでいます。それも,網野史学です。 網野さんの本は,さすがに視点が違います。それは初っぱなからわかります。網野さんは「はじめに」で次のように述べています。 「日本社会の歴史」と題してこれからのべようとするのは、日本列島における人間社会の歴史であり、「日本国」の歴史でもないし、「日本人」の歴史でもない。これまでの「日本史」は、日本列島に生活をしてきた人類を最初から日本人の祖先ととらえ、ある場合にはこれを「原日本人」と表現していたこともあり、そこから「日本」の歴史を説きおこすのが普通だったと思う。いわば「はじめに日本人ありき」とでもいうべき思い込みがあり、それがわれわれ現代日本人の歴史像を大変にあいまいなものにし、われわれ自身の自己認識を、非常に不鮮明なものにしてきたと考えられる。 そして,そのことば通り,まだ日本ではなかったころの日本社会の歴史を,東アジア全体の歴史的地理的観点から書き進めてくれています。だから,もう40年以上前に習った教科書で学んだだけの断片的なできごとでできあがっているわたしの中の日本の歴史が,世界とつながりながらつながっていく楽しさがありました。 本著作は上中下の3部作ですが,第3部の最後までいっても17世紀前半までらしいです。どんな話題が展開されるか,続編がたのしみです。
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さすがに網野氏の書く歴史は、表層だけではなく、社会の深層からの分析が多く、新鮮な感覚で読むことが出来る。この巻は、有史以前の日本列島の成り立ちから当時の人類の動きにまで話が及ぶ。しかし、逆に人物像としては、大化の改新後の中大兄皇子が自ら天皇位に就かず、対立する古人大兄王子、蘇我倉...
さすがに網野氏の書く歴史は、表層だけではなく、社会の深層からの分析が多く、新鮮な感覚で読むことが出来る。この巻は、有史以前の日本列島の成り立ちから当時の人類の動きにまで話が及ぶ。しかし、逆に人物像としては、大化の改新後の中大兄皇子が自ら天皇位に就かず、対立する古人大兄王子、蘇我倉山田石川麻呂、孝徳天皇などを排斥していく過程の描写は詳しく、天智天皇は陰湿な人物との印象を受けた。日本の古代は8世紀に多く登場した女性天皇の存在に見られるように女性の社会的地位が外国と比べて相対的に高かったとの説明は現在と比べて、皮肉なことである。
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中世を主要なフィールドとして、従来の「日本史」の枠組みの見なおしをおこない、「網野史学」と称される新しい観点を提出したことで知られる著者による日本通史の試みです。ただし17世紀の後半から現代にかけては、「展望」というかたちで著者の問題意識が示されるにとどまっています。上巻では、古...
中世を主要なフィールドとして、従来の「日本史」の枠組みの見なおしをおこない、「網野史学」と称される新しい観点を提出したことで知られる著者による日本通史の試みです。ただし17世紀の後半から現代にかけては、「展望」というかたちで著者の問題意識が示されるにとどまっています。上巻では、古代から平安時代初期までがあつかわれています。 著者は「はじめに」で、従来の日本史のとらえかたが「はじめに日本人ありき」というべきものになっており、そのことがわれわれの歴史像をあいまいなものにしてきたと述べています。著者は、古代から日本列島とその周辺の地域とのあいだに切り離しがたいつながりがあったことに注目するとともに、日本列島の西と東、あるいは東北・北海道や沖縄の歴史のあゆみにも目くばりをおこない、日本の歴史がまさにその展開を通じてしだいにかたちづくられていったものであることを論じています。
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網野善彦さんの日本の歴史概説書。 従来の日本史では捉えられなかった事象にスポットを当てるという意味を込めて、タイトルを「(日本列島の)日本社会の歴史」にしたそうである。 上中下巻に分かれており、上巻は人類誕生〜9世紀の弘仁貞観の頃まで。 古墳や鉄器などへの朝鮮半島や大陸の影...
網野善彦さんの日本の歴史概説書。 従来の日本史では捉えられなかった事象にスポットを当てるという意味を込めて、タイトルを「(日本列島の)日本社会の歴史」にしたそうである。 上中下巻に分かれており、上巻は人類誕生〜9世紀の弘仁貞観の頃まで。 古墳や鉄器などへの朝鮮半島や大陸の影響、中央に従わない東北地方への遠征など、周辺への視点が多いのが網野さんらしい。 高校日本史的な知識が多いので、日本史を復習したい方にもおすすめである。
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古代から九世紀まで。 それにしても、古代社会の歴史をこんなに断定的に言い切るのも凄い。最近の研究で根底から覆される記述は多いのでは?
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有史以前から平安初期まで。 日本の歴史ではなく、日本社会の歴史というタイトルにするだけあり、社会の運用と展開に焦点が当てられ、記述が進められている。日本社会と稲作の深い結びつき、それを基盤とした朝廷の統治形態について言及しつつも、決してそれだけでは片づけられない多様な要素の集合体...
有史以前から平安初期まで。 日本の歴史ではなく、日本社会の歴史というタイトルにするだけあり、社会の運用と展開に焦点が当てられ、記述が進められている。日本社会と稲作の深い結びつき、それを基盤とした朝廷の統治形態について言及しつつも、決してそれだけでは片づけられない多様な要素の集合体が古代日本であったことも意識的にしっかりと書き出している。
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日本人でも日本国でもなく、“日本社会“に関する通史。上巻は9世紀末、宇多天皇の治世まで。文化や技術、制度がどのよう変遷してきたかがよくわかる。
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